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「なぜ『再入所』 ハンセン病 隔離の傷あと」(時論公論) 

堀家 春野  解説委員

6月22日はハンセン病の元患者の名誉を回復し、亡くなった人を追悼する日と定められています。患者を療養所に強制的に隔離してきた「らい予防法」が廃止されてから20年余り。療養所を出て社会復帰を果たした人もいます。ところが、いま、自由を手にしたはずの元患者たちが再び療養所に戻ってくる事態となっています。何が社会での生活を阻んでいるのでしょうか。

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(解説のポイント)
解説のポイントです。ハンセン病政策とはどのようなものだったのか。なぜ療養所に再入所するのか。そして、求められる支援策について考えます。

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(ハンセン病政策とは)
ハンセン病は細菌による感染症です。手足の末梢神経が麻痺し、熱さや痛みといった感覚がなくなることがあります。衛生状態や栄養状態が改善したいまの日本では感染することも発病することもほぼありません。たとえ発病したとしても完全に治る病気です。
しかし、治療薬がなかった時代には手足の変形や外見が変わるといった後遺症のため、患者たちは差別や偏見にさらされてきました。

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患者の療養所への隔離は明治時代に始まりました。戦後も、国は「らい予防法」で強制隔離を続けます。地域では「無らい県運動」といって、すべての患者を隔離して、その県から患者を無くそうという運動が繰り広げられました。住民は患者の疑いがあれば警察や保健所に通報し、その家は真っ白になるまで消毒される。こうして、病気への恐怖心があおられていきました。療養所の中では、身元がわからないよう本名を名乗らず、結婚の条件に断種や堕胎が強いられることもめずらしくありませんでした。効果的な治療薬が開発されたあとも強制隔離政策は改められることなく、平成8年までおよそ90年間続きました。

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その後、国の政策によって人権を侵害されたとして元患者たちが熊本地方裁判所に起こした裁判で、国は全面的に敗訴し、控訴を断念して謝罪。新たに補償を行う法律がつくられました。当時、全国の療養所に暮らしていた入所者は4400人余り。平均年齢は74歳を超えていました。多くの人はそのまま療養所に残る道を選びましたが、これが最後のチャンスだと新たな法律が施行された前後には300人を超える人が社会復帰を果たしました。

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(なぜ?再入所)
ところが、いま、再び療養所に戻ってくる人が少なからずいることがわかってきました。その数は、平成での10年間に少なくとも110人余りに上っています。深刻に受け止めなければならない数字です。

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こちらの78歳の男性は、去年、東日本の療養所に再入所しました。
16年前に社会復帰し、働けるうちは働きたいとタクシーの運転手をしていました。しかし、ハンセン病だったという理由で解雇されます。裁判で勝っても、国が謝罪しても差別や偏見は簡単にはなくならない、そう実感したと話します。足腰が弱くなり、ひとりでの生活が難しくなったときに選んだのは、再び療養所に戻ることでした。老人ホームへの入居も考えましたが、病歴が明らかになることをおそれ、誰にも相談できませんでした。男性には頼れる家族はおらず、保証人を頼めるあてもありません。結局、差別や偏見をおそれ、社会で普通に暮らすという願いを手放さざるを得ませんでした。

(病歴を明かせない・・・)
このように、高齢になり医療や介護が必要になったのをきっかけに療養所に再入所する人は少なくありません。裏を返せば、社会の中で必要な医療や介護が受けづらい実態があるのです。ことし、療養所を退所した人を対象に行われた初めての大規模調査がまとまりました。

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現在困っていることについてたずねたところ、▼ハンセン病の病歴を明かして医療や介護を受けづらい、▼自宅での生活が難しくなったときの居場所、▼差別や偏見などがあげられました。多くの人が何らかの後遺症を抱えています。熱さや痛みに気づかずやけどや怪我をしやすい、足裏の感覚がないため歩くときのバランスが悪く傷ができやすい。こうした後遺症を理解してもらったうえで、医療や介護を受ける必要がありますが、かつての病歴を明かせないというのです。ハンセン病のことを気にしすぎる、杞憂ではないかと考える人もいるかもしれません。しかし、「無らい県運動」などで家族ともども壮絶な被害を受けた記憶は薄れることはないといいます。そして、後遺症を説明するため病歴を明かしたとたん、「いやな顔をされた」「療養所に行ってくれ」などと、心無い対応をされた人も実際にいます。強制隔離政策のため患者に接する機会がなく、医療の現場でさえハンセン病のことを知らない人が増えています。知らないということは当事者を傷つけることにつながります。決して消えることのないハンセン病の歴史に目を向け、理解し、隔離の傷あとともいえる弊害をなくしていかなければなりません。

(元患者と社会の架け橋に)
社会の一員として暮らしたい。こうした元患者の願いをかなえるため、活動している団体があります。大阪にある「ハンセン病回復者支援センター」では療養所を退所した人から生活の相談を受けたり、医療機関に付き添ったりします。差別や偏見をおそれ、体調が悪くなってもがまんしている。こうした元患者たちが臆することなく診察が受けられるよう、実情を説明します。長年療養所で暮らした元患者と社会とのいわば架け橋の役割を担っているのです。センターの職員は5人。社会福祉法人が運営し大阪府からの補助金も入っていますが、人件費の捻出すら厳しい状況です。こうしたきめ細かな活動をしているのは全国でもここだけです。国が支援を行い、ほかの地域にも活動を広げていく必要があります。

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(残された課題は)
ハンセン病問題を解決するため施行された新たな法律には、元患者が地域社会から孤立することなく生活できるよう対策を急がなければならないと明記されています。この中では、国に対し療養所に残った人の生活保障や社会復帰の支援、そして元患者の名誉の回復を求めています。しかし、この法律の理念の実現はまだ程遠いといわざるを得ません。

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私は17年前(平成13年)、熊本地裁で判決が言い渡された法廷で、「これでやっと息ができる」と話した元患者の男性の言葉が忘れられません。人権は空気のようなもので、当たり前に保障されている人にとっては気にも留めないもの。しかし、自分たちにとってはその当たり前のものがなく、まるで窒息している状態だったというのです。
国の強制隔離政策の下、社会全体で元患者を追いつめていったことを決して忘れてはなりません。社会の一員として生活したい。その当たり前の願いを実現するため、私たちは差別と偏見を無くす努力を絶えず続けていかなければならないと思います。

(堀家 春野 解説委員)

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