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「受動喫煙対策の行方」(時論公論)

土屋 敏之  解説委員

他人のたばこの有害物質を吸い込む受動喫煙。WHOは世界で毎年89万人の命が奪われているとし、厚生労働省は日本でも毎年1万5千人が亡くなっていると試算しています。この受動喫煙を防ぐため、日本では初めてとなる罰則付きの法案が先月国会に提出されました。そこで、「結局どんな規制になるのか?」「それで何が変わるのか?」そして「なぜこのような複雑な内容になったのか?」という観点から考えます。

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 3月9日政府は受動喫煙対策のため現在の健康増進法を改正する案を閣議決定し、国会に提出しました。主な内容としては、学校や病院、行政機関などは基本的に禁煙になります。その他の多くの人が集まる場所、例えばオフィスやお店などは原則として屋内禁煙ですが、喫煙専用室の設置は認められます。
 お店の中で最大の焦点となっていた飲食店の扱いは複雑です。資本金5000万円以下の中小企業や個人が経営する客席面積100平方メートル以下の既存の店は、「喫煙」などの掲示を行えば店全体が喫煙可能にも出来る、というものです。これ以外の飲食店はオフィスなどと同様に喫煙専用室以外は屋内禁煙です。つまり食事をしながら吸うことは出来なくなります。ただ、加熱式たばこは規制が一段ゆるく食事をしながら喫煙できる部屋の設置も可、つまりいわゆる分煙の形も認められます。20歳未満のお客や従業員はこれらの喫煙空間に立ち入ることが禁止されます。禁煙の場所でくり返したばこを吸うなどの違反には罰金が設けられます。
 これで結局、喫煙できる店はどれぐらい残るのかというと、飲食店の半数以上がこの条件に該当すると推計されています。要するに今たばこを吸える店の多くは今後も吸えると見られます。飲食店などの業界団体からは、要望の多くが認められたと評価する声も出ています。
 政府は今国会でこの法案を成立させ、2020年4月から全面的に施行させたい考えです。

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 では、これで受動喫煙対策としてはどの程度進むのでしょう?
 WHOが世界各国の受動喫煙対策を4段階に分類したものでは、これまで日本は「最低ランク」と位置づけられていました。強制力を持つ法規制が全く無かったためです。それが今回の規制で1ランクだけ上がります。なぜまだ下の方なのかと言うと、規制後も飲食店に加えオフィスや鉄道などでも内部に喫煙できる場所が残されるためです。
 日本を始め世界180か国以上が締結する「たばこ規制枠組み条約」のガイドラインには、受動喫煙対策には多くの人が集まる屋内は完全な禁煙が必要で、分煙などは効果が無いと明記されています。喫煙の場所を分けても人の出入りと共に有害物質が漏れ出しますし、そこで働く人たちも有害物質にさらされます。既に55の国が法律で多くの人が集まる屋内を全面禁煙にしています。

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 今回日本の対策が動き出したきっかけには、IOCとWHOが2010年に「たばこのない五輪」を推進することで合意し、その状況下で東京オリンピックを招致したことがあります。2012年のイギリスも2016年のブラジルも国全体が屋内全面禁煙でした。韓国も平昌五輪を前に罰則付きの法規制を進めてきましたが、日本はこの法案が成立しても「たばこのない五輪」になるとは言い難い内容です。

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 とはいえこれまで最低ランクだった日本の対策が一歩でも進み始めるのは確かですが、なぜこのような複雑な規制内容になったのでしょう?背景には、国民の健康を守りたいとする厚生労働省と、お客の減少を懸念し規制に反対する飲食業界に配慮した自民党の攻防がありました。
 議論の発端はおととし厚労省が公表した「たたき台」でした。これは、飲食店を含むサービス業は喫煙専用室のみ認める原則屋内禁煙という比較的シンプルな内容でした。しかし、業界の反発が相次ぎ、去年、厚労省は小規模のバーやスナックなどを規制から外し喫煙も可とする「考え方の案」を示しました。それでも、自民党のたばこ議員連盟などは屋内禁煙を原則とすること自体に反対。飲食店が喫煙や分煙を選べるようにすべきだと主張しました。結局、厚労省と自民党の溝は埋まらず、去年の国会には法案を提出することが出来ませんでした。そして仕切り直しとなった今年1月、厚労省が示したのは一定規模以下の既存店は喫煙も選べるとする、去年の自民党の主張をのんだと見える内容でした。そして、資本金5千万円、客席100平方メートルなど具体化された法案が閣議決定されたのです。

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 この間、業界団体による働きかけもありました。飲食業やホテル旅館業など広く16の業界団体を束ねる全国生活衛生同業組合中央会では今年1月以降、厚労省や国会議員などにこのような要望を出して働きかけを重ねてきたと言います。内容は、店が喫煙などを選べるようにする線引きを「客席面積100平方メートル」「資本金5000万円」とするなど今回の法案と同じ点が随所に見られます。しかし、厚労省が全面的に白旗を揚げた結果だったのかというとそう単純でもありません。今回の法案で注目されるのが既存店と新規店の扱いの違いです。

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 先程の法案をもう一度見ると、喫煙を可能にできるのは100平方メートル以下の“既存店”に限られます。今後参入する飲食店はどんなに小さな店でも喫煙専用室しか許されない原則屋内禁煙なのです。つまり、長い目で見れば喫煙できる店は減っていくというわけです。新規店に対しては、去年自民党との間で折り合いがつかなかった際の厚労省案よりむしろ厳しい規制になっているのですが、業界団体は現在業を営んでいる事業者の団体と言えます。今回の規制案をその是非は別にして読み解くなら、少しでも国民の健康を守ろうとする対策とこのように既存店を守りたい業界の思惑との間でひとつの落としどころとして生まれたものかもしれません。

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 もちろんこれはまだ法案ですから、国会の議論でより良いものになるかもしれませんが、現段階では東京オリンピックまでに受動喫煙を受けない環境を実現するのは困難になったと言えます。では、その先はどうかと言えば行方は国民の選択に委ねられた格好です。法律施行後、喫煙可能とする飲食店はお客に対して、また従業員募集の際、それとわかるよう明示することが義務づけられるからです。飲食業界はこれまで、禁煙にするとお客が減ると不安を訴えてきました。これに対し既に屋内禁煙にした国では飲食業界に悪影響はなかったと報告されています。そして日本でも全面禁煙とする方がむしろプラスになると判断する事業者が増えつつあります。
 今後、禁煙の店と喫煙の店がどう増減するのか?そして何より受動喫煙のために失われる命をどこまでなくせるかは、私たちがお店を選んだり働く場を探す日々の行動に託されたと言えます。

(土屋 敏之 解説委員)
                                      

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