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「原爆の日 核兵器禁止条約への思い」(時論公論)

西川 龍一  解説委員

8月9日は長崎原爆の日です。広島、長崎に原爆が投下されて72年の今年は、国連で核兵器禁止条約が採択されて初めての原爆の日となり、多くの被爆者の方々が特別の思いで迎えたと言います。平均年齢が81歳を超えた被爆者の核兵器禁止条約への思いについて考えます。

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8月6日の広島市、そして9日の長崎市で行われた平和記念式典で、双方の市長が読み上げた平和宣言は、いずれも核兵器禁止条約への思いが強くにじむものとなりました。
広島市の松井市長は、核兵器禁止条約を「核兵器廃絶に向かう明確な決意が示された」と評価するとともに、各国政府に『核兵器のない世界』の実現を求めました。そして「特に日本政府には、憲法が掲げる平和主義を体現するためにも、核兵器禁止条約の締結促進を目指して、核保有国と非核保有国との橋渡しに本気で取り組んでいただきたい」と述べ、核兵器禁止条約の実効性確保のための取り組みを求めました。

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長崎市の田上市長の平和宣言は、さらに踏み込んだものとなりました。田上市長は核兵器禁止条約について「ノーモア被爆者という被爆者の心からの願いが生み出したもので、『ヒロシマ・ナガサキ条約』と呼びたい」と意義を強調しました。そして日本政府に対し「条約の交渉にすら参加しない姿勢を被爆地は到底理解できない。条約への1日も早い参加を国際社会は待っている」と批判とともに核兵器禁止条約への早期参加を求めました。

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核兵器禁止条約は、核兵器の開発や保有、使用などを法的に禁止する初めての国際条約です。先月7日行われた採決では、122の国と地域の圧倒的多数の賛成で採択されました。条約の理念を掲げる前文には、hibakusha(ヒバクシャ)という言葉が使われて、容認しがたい苦しみと被害に留意すると、核兵器の非人道性が強調されています。また条約の中では、核による威嚇も禁止されていて、抑止力としての核の存在も否定しています。
ただ、核兵器を安全保障の根幹としているアメリカやロシアなどの核保有国に加え、唯一の戦争被爆国である日本も含めて核の傘に守られた国は、参加していません。このため、条約が発効しても、核兵器禁止の実効性は乏しいとの意見があり、日本政府もこの立場です。

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それでも被爆者にとって、核兵器禁止条約の採択は悲願でした。被爆者は、生きているうちに核兵器を廃絶することを訴え続けてきました。被爆から72年、被爆者の平均年齢は81歳を過ぎ、原爆で直接亡くなったりその後の影響で命を落とした人は40万人を超えました。日本被団協の運動が始まってから61年。被団協が国連に核廃絶の訴えを始めてからも40年が経過していますが、冷戦のピーク時からはおよそ5分の1に減ったとはいえ、世界にはおよそ15000発の核弾頭が存在しています。

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今回も条約の採択を後押ししようと、被爆者の代表が条約の交渉会議が行われたニューヨークに入り、被爆体験を語ったり、街頭での行進に参加したりしました。体調を押して訴え続ける被爆者の姿は、各国からの参加者たちの尊敬を集めたと言います。長く日本被団協の事務局長を務めた田中煕巳さんは、「条約の採択によって、核兵器廃絶に向けた大きな展望、足がかりができたという意味では、今までとはまったく違う」と話します。核兵器が道義的なだけでなく、法的にも存在が否定されたことの持つ意味は、被爆者にとって核兵器廃絶への希望となっているわけです。

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その被爆者の多くが今回の式典で注目していたのが、安倍総理大臣のあいさつでした。日本は唯一の戦争被爆国であるにも関わらず、条約交渉にすら参加しませんでした。そのことに納得できない被爆者にしてみれば、条約についての安倍総理の認識を確認したいという思いがあるのは当然のことです。
しかし、広島、長崎双方の式典に出席した安倍総理は「『核兵器のない世界』の実現に向けた歩みを着実に前に進める努力を絶え間なく積み重ねていく。」「『核兵器のない世界』と恒久平和の実現に向けて力を尽くすことをお誓い申し上げる」などと述べたものの、あいさつの中で核兵器禁止条約に言及することはありませんでした。
さらに、長崎市での記者会見では、「真に核兵器のない世界を実現するためには、核兵器国の参加が不可欠だ」と述べ、条約に「署名・批准を行う考えはありません」と言い切りました。政府にしてみれば、日米同盟に日本の安全保障を依存せざるを得ないという現実をふまえた判断があります。
こうした政府の態度に、被爆者からは怒りと失望の声があがっています。
安倍総理の式典でのあいさつは、去年、アメリカのオバマ大統領が広島を訪れた際、安倍総理自身が述べた「核兵器のない世界の実現に向けて不断の努力をすることが私たちの責任だ」という発言から一歩も進んでないように見えます。政府は核兵器廃絶に向けて段階的にプロセスを進めると言いながら、具体的な進展があるわけではないのに、核兵器禁止条約には始めから懐疑的というのはおかしいという声もあります。
広島、長崎では、平和記念式典のあと、安倍総理と被爆者団体の代表が面会しました。広島では、広島被爆者団体連絡会議の吉岡幸雄事務局長が、心底からを意味する「満腔の怒り」という表現を使い、核兵器禁止条約に被爆国である日本が署名しないことに抗議しました。長崎では、長崎県平和運動センター被爆者連絡協議会の川野浩一議長が「あなたはどこの国の総理ですか、私たちを見捨てるのですか」と訴えかけました。
安倍総理は、「現実的なアプローチで国際社会を主導したい」と答えるにとどまりました。

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92歳の高齢を押して広島での面会に参加した日本被団協代表委員の坪井直さんは「安倍総理大臣の『核兵器廃絶』という発言は口先だけのように感じた」と話しました。多くの被爆者が抱いた感想のように思います。

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対照的だったのが、国連の代表として平和式典に出席した国連軍縮部門トップの中満泉事務次長が読んだ事務総長メッセージです。核兵器禁止条約採択について「この動きは、いかなる状況においても核兵器の使用は容認できないことに着目した世界的な運動の結果と言える」と評価した上で、「被爆者の方々の英雄的な努力は、核兵器の使用がもたらす壊滅的な影響を世界に強く印象づけ、核兵器廃絶を目指す世界的な運動に貴重な貢献をしてきた」と条約の採択に被爆者が果たした役割をたたえたのです。被爆者の存在が、この条約を支えている。被爆者の存在そのものが身をもって核兵器の存在が人道に反するものであることを語っていると国連が言及した形です。被爆者の中からは、「国連は想像以上に我々の存在を評価していることを実感した」という声も聞かれます。

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広島の平和宣言は、核兵器を2度にわたって「絶対悪」と呼びました。長崎の平和宣言は、安全保障上核兵器が必要だと言い続ける限り、核の脅威はなくならないと指摘しました。北朝鮮による核開発や、相次ぐミサイルの発射実験などで、世界は核の脅威から守るには核で対抗するしかないというジレンマにはまったままのように思います。しかし、核兵器のない世界の実現を目指すことに異論を挟むことはできないはずです。同盟国アメリカへの依存の呪縛から逃れ、核兵器禁止条約の精神を世界に広げることこそ、国際社会で尊敬される被爆者の思いに報いることだと思います。

(西川 龍一 解説委員)

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