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「不透明さを増す北朝鮮情勢」(時論公論)

出石 直  解説委員

キム・ジョンウン朝鮮労働党委員長の兄のキム・ジョンナム氏がマレーシアの国際空港で殺害されてから2週間が経ちました。事件の真相はいまだ明らかになっていませんが、現地の北朝鮮大使館の書記官が捜査線上に浮上し、北朝鮮による組織的な犯行という見方が強まっています。過去に何度もテロ事件を繰り返し、国際社会の警告を無視して核やミサイル開発を続ける北朝鮮は、果たしてどこに向かおうとしているのでしょうか。

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解説のポイントです。

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▽マレーシアの国際空港で起きたキム・ジョンナム氏の殺害事件に、北朝鮮当局はどこまで関与しているのでしょうか。
▽今回の事件で北朝鮮の国際的な信用は地に落ちた感があります。なぜそんな犠牲を払ってまでキム・ジョンナム氏を殺害しなければならなかったのか。犯行の動機は依然謎に包まれています。
▽アメリカにトランプ政権が誕生し、北朝鮮を取り巻く国際環境が大きく変わってきています。国際社会は北朝鮮にどう対応していくのでしょうか。

【殺害事件への関与は】
まず北朝鮮の関与から見ていきます。

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北朝鮮政府は、殺害事件への関与を真っ向から否定しています。
死亡したのは、キム・ジョンナム氏ではなく北朝鮮の外交旅券をもった人物であるとしたうえで、北朝鮮当局の関与はもちろん毒物による殺害であることも否定。マレーシア警察の捜査を「矛盾だらけ」と批判し、暗殺説は北朝鮮のイメージを傷つけるための「韓国による陰謀だ」と決めつけています。
しかし北朝鮮側の説明にはかなりの無理があります。
死亡したのが外交旅券をもった人物であれば、名前も肩書もわかっているはずです。自国民が死亡したのなら、遺体を詳しく調べて死因を明らかにすることに反対する理由はありません。北朝鮮政府は、北朝鮮国籍の4人の容疑者の引き渡しはもちろん、現地の北朝鮮大使館の2等書記官や国営コリョ航空の職員の事情聴取にも応じようとしません。
抗弁すればするほど、北朝鮮当局の関与の疑いが濃くなってきているように思えます。

【過去繰り返されたテロ事件】
北朝鮮は過去に何度も国家的なテロ事件を起こしています。

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▽1968年には、パク・チョンヒ大統領の暗殺を狙った武装ゲリラが韓国国内に潜入、韓国軍との間で銃撃戦が繰り広げられました。
▽1970年代から80年代にかけては北朝鮮による日本人拉致が行われました。2002年になってキム・ジョンイル総書記が初めて拉致を認め謝罪しましたが、横田めぐみさんら日本政府が認定している17人の拉致被害者の帰国はまだ実現していません。
▽1983年には、ミャンマー、当時のビルマのラングーンでチョン・ドゥファン大統領の殺害を狙った爆破事件が起き、韓国とビルマの閣僚ら21人が死亡しています。
▽1987年には、大韓航空機がインド洋上空で爆破され乗客乗員115人全員が死亡。翌年に控えたソウルオリンピックを阻止することが目的だったとされています。

【見えない動機】
今回の事件でもっとも不可解なのは、なぜ今、キム・ジョンナム氏を殺害しなければならなかったのか、犯行の動機です。

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ラングーン事件ではミャンマー、当時のビルマが北朝鮮との国交を断絶、大韓航空機爆破事件ではアメリカが北朝鮮をテロ支援国家に指定して厳しい制裁を科しました。
今回も、事件をきっかけにこれまで友好的だったマレーシアとの関係が一気に悪化しています。

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キム・ジョンナム氏は「北朝鮮の政治には関わらない」と公言し海外を拠点に活動していたとされており、殺害しなければならない切羽詰まった理由が果たしてあったのか疑問が残るところです。
もし今回の事件が、北朝鮮の指導部が主導した国家的なテロであれば、冷戦時代から抜け出せていないあまりに時代遅れの発想と言わざるを得ません。
また手柄を焦った一部の犯行であれば、指導部の統制が末端まで行き届いていないことになります。
いずれにせよ、北朝鮮当局が真相解明に協力的な姿勢をまったく示さないことで、国際的な孤立が一段と深まることだけは間違いないでしょう。

【国際社会の対応】
最後に国際社会の対応について考えます。
北朝鮮を取り巻く国際環境は大きく変化しています。鍵を握っているのはアメリカと中国です。

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トランプ大統領は、選挙運動中は、キム・ジョンウン氏と会談する用意があるという発言もしていましたが、就任後は、北朝鮮に対する強硬姿勢が目立ちます。
今月10日の日米首脳会談後の記者会見では
「北朝鮮の核やミサイルの脅威からの防衛は極めて高い優先事項だ」と述べていますし、
今月23日にロイター通信が行ったインタビューでは
キム・ジョンウン委員長がしてきたことに「激怒している」と怒りを露わにし、「オバマ政権が北朝鮮を甘やかしてきたからだ」とオバマ政権のこれまで対応を批判しました。

トランプ政権でアジア外交を担当する主要メンバーはまだ固まっておらず、今後、どのような北朝鮮政策が取られるかは現時点では不透明ですが、オバマ政権が取ってきた“戦略的忍耐”と呼ばれる対北朝鮮政策、つまり北朝鮮が態度を改めない限り対話には応じないというこれまでのどちらかと言えば消極的な政策が大幅に見直されることは確実です。

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もうひとつ注目されるのが中国政府の対応です。
中国の商務省は、今月19日、北朝鮮からの石炭の輸入をことしいっぱい停止すると発表しました。中国は去年総額で11億8000万ドルの石炭を北朝鮮から輸入していますが、
去年11月に採択された国連安保理決議で、年間の輸入額が4億ドルまでという上限が設けられました。今回の措置はその上限に近づいたためと中国政府は説明しています。
これによって北朝鮮の外貨収入は、去年に比べて8億ドル近く減ることになります。
「中国が制裁の抜け穴になっている」という国際社会からの批判をかわす意味合いもあるでしょうが、中国が本気で怒っているということが伺える対抗措置と捉えて良いのではないでしょうか。中国政府の発表の2日前には、王毅外相がアメリカのティラーソン国務長官と会談しています。また中国外交のトップの楊潔チ(*竹冠に雁垂その中に虎)国務委員が27日と28日の2日間アメリカを訪問することも決まりました。こと対北朝鮮政策については米中の連携が強まってきているという印象を受けます。

【まとめ】
今回の事件では猛毒のVXガスが使われたことがマレーシア側の捜査で明らかになっています。核兵器や弾道ミサイルに加え、北朝鮮の生物・化学兵器に対する警戒も必要です。ワシントンではまもなく日米韓の6か国協議の首席代表による協議が行われ、事件についての対応が検討されることになっています。
日米韓、それに中国やロシアも加えた関係国が強い危機感を共有すること、そして国際社会が連携を強化し、よりいっそう不透明さを増している北朝鮮情勢に対処していくことこそが今、求められているように思います。

(出石 直 解説委員)

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