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「新横綱稀勢の里 誕生の意義」(時論公論)

刈屋 富士雄  解説委員

第72代横綱稀勢の里が誕生しました。茨城県からは、81年ぶり4人目、日本出身力士の新横綱も19年ぶりになります。初場所前は綱とりが話題とならなかっただけに、場所後の横綱昇進に、喜びとともに驚かれた方も多かったと思います。稀勢の里関の横綱昇進の背景と、綱とり成功の要因、そして新横綱への期待について考えてみます。

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今回、「日本出身力士ということで、昇進の基準が甘かったのではないか」という声も聞かれました。
しかし審判部のどの親方に聞いても、今回に限っては、同じ実績と同じような土俵に向かう姿勢があれば、どこの出身でも関係なく推薦されただろうという答えでした。

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千秋楽の翌日開かれた横綱審議委員会も満場一致で昇進を支持しました。その時重視したのは、稀勢の里の抜群の安定感です。三横綱がいる中での年間最多勝。
又昇進前6場所の勝率が8割2分と、現在の三横綱の昇進前6場所の勝率と比べても、いずれも大きく上回っています。

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横綱審議委員会の横綱推薦の内規は、
*品格・力量が抜群であること。
*大関で、2場所連続優勝か、それに準ずる成績と認められた場合と規定しています。
内規の中には、年間最多勝も、勝率も規定していませんが、力量が抜群であるという裏付けになります。
昔からたびたび指摘されてきた様に、横綱昇進の基準は明確ではありません。というより明確にすることを相撲界は拒否してきました。
横綱という特別な存在は、明確な規定を設けるものではなく、日常を共にしている相撲界のみんなが認める人がなるべきだという思いが、江戸時代から脈々と引き継がれてきているからです。それだけに、品格・力量抜群であることという一文を何よりも大切に守ってきました。
ところが、昭和61年秋場所、一度も優勝経験がなく昇進した第60代横綱の双羽黒が、一度も優勝することなくわずか一年で廃業してからは、大関で二場所連続優勝の一文が重要視され、平成に入ってからは8人連続して二場所連続優勝で昇進しています。しかし昇進した横綱が、けがなどで安定しない成績が続くと、今度は、二場所だけ良ければ横綱にしていいのかという空気が高まってきました。その空気の中で、綱とりを失敗し続けた稀勢の里ですが、年間を通して優勝に絡んだ安定感と、入門以来15年間で休場が一日という、猛稽古で作り上げた頑丈な体、そして土俵への真摯な態度は、場所ごとに高く評価され、優勝さえすれば横綱昇進という雰囲気が相撲界に広がっていました。

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九州場所で12勝を挙げたものの優勝を逃したため、初場所前に綱とりとは、騒がれませんでしたが、昇進には場所中の雰囲気の盛り上がりが大きく左右してきます。二横綱の休場がマイナスに働くという意見もありましたが、逆に稀勢の里の安定感が際立ってきました。さらにその雰囲気を盛り上げたのは、13日目のこの場面です。
大関豪栄道が休場し、稀勢の里の不戦勝。終盤の大関同士の対戦が無くなり、不戦勝。
本来ならため息や、ブーイングが起きてもおかしくない状況での拍手の大きさは、これまでにないものでした。ファンの圧倒的な人気は、横綱昇進への空気をさらに後押ししたと思います。

では、その稀勢の里は、綱とりのためにどう変わってきたのか?
中学を卒業して、17歳9カ月で新十両,18歳3ヶ月で新入幕と、横綱貴乃花に次ぐスピードで番付を駆け上り、貴乃花の様に一時代を作る逸材と期待された稀勢の里でしたが、大関昇進を前に足踏みをしました。

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その時指摘された課題は、①腰が高い②右腕の使い方が不十分③出稽古しないので同じ相手とばかり稽古している④精神面の弱さでした。

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この点を当時の師匠の、第59代横綱隆の里の鳴戸親方に直接聞いたことがあります。親方は「最強の技って何だと思う?それは、圧倒的な破壊力だよ。どんな相手も土俵の外に持っていく強烈な前に出る力があれば、それが最強。
稀勢の里には、それを目指してほしいし、身につけられる素材だよ。だから、それを信じて「稀に見る勢い・稀勢」というしこ名に託したんだから。腰の高さも、動きやすい高さは人それぞれ、自分にあった高さを見つければいい。右腕の使い方はもっと先に覚えればいい、だって左は素晴らしいからね。出稽古なんかは、とことん納得のいく稽古ができないし、対戦相手に情が移るから必要ない。精神面は稽古の過程で身につけていくよ。」との答えでした。
師匠からすれば、最強横綱という作品を作り上げているかのようでしたが、その途中、道半ばの平成23年、稀勢の里の大関昇進直前に亡くなりました。残された稀勢の里は、まさに土台と骨格だけ作って、制作途中で作者が消えてしまった彫刻のようなものでした。指針を失い、一人で亡き師匠の教えを愚直に守り続けましたが、
伸び悩みました。そこで手を差し伸べたのが、同じ一門の親方衆でした。二所ノ関一門が連合稽古を行い、稀勢の里の稽古相手を用意しました。この連合稽古で、特に同じ大関の琴奨菊との稽古は内容の濃いもので、稀勢の里の破壊力も一段増してむらが無くなり、去年の年間最多勝へと成果が表れてきました。
かつて指摘された課題を、迷いながらも一歩一歩前進し、横綱に昇進した稀勢の里、亡き師匠が描いた夢、最強横綱としての姿を見せられるかどうか注目です。

さて、新横綱誕生によって、大相撲界にはどんな効果が期待されるのでしょうか。
稀勢の里の横綱昇進によって、17年ぶりに四横綱時代を迎え、不祥事以来V字回復してきた大相撲人気が盤石になりそうです。しかし力士にとっては厳しい時代に入ります。

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前回の四横綱時代は、平成11年の名古屋場所から平成12年春場所までの曙、貴乃花、若乃花、武蔵丸の4人、わずか5場所で終わりました。その前の千代の富士、北勝海、大乃国、旭富士の四横綱時代も5場所で終わりました。
四横綱時代は、極めて華やかである半面、生存競争が激しくなります。
先場所までの三横綱時代、体調不十分の横綱が終盤雑な相撲を取って、ファンのため息に包まれる光景が何度か展開されました。
そこに、15日間常に全力を出そうとする稀勢の里が加わることになり、最後の最後まで真剣勝負が展開されそうな期待が高まります。

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二つ目は、19年ぶりにファン待望の日本出身横綱が誕生し、盛り上がっていますが、逆に今後は日本出身という意識は薄まり、かつての様に、国内外出身は問わず
力士は力士という原点に戻るかもしれません。
17年前の四横綱時代、ハワイ出身の横綱が2人いましたが、日本出身力士という言葉は耳にしませんでした。同じ相撲界で努力してきた力士は力士、出身は関係ないという感覚が相撲界もファンも主流でした。ところが、日本出身力士の優勝が10年なく、新横綱も19年誕生していないということになると、その言葉が使われはじめ、日本出身力士待望論が高まりました。しかしこの一年で3人の日本出身力士が優勝し、稀勢の里が綱を張ることで、かつてのような力士は力士という意識が戻ってきそうな気がします。

三つ目は、若い力士たちの活性化です。朝青龍、白鵬と強い横綱が君臨し、把瑠都や琴欧州など圧倒的な身体能力を持った力士が外国から入門する中で、若い力士たちの中にどこかあきらめムードが漂っていました。しかし、琴奨菊、豪栄道に次いで稀勢の里が優勝し、その稀勢の里が横綱に昇進したことで、大きな道が開けてきたと見る親方衆も多くいます。

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御嶽海や正代、高安など若い力が後を追ってきそうです。
横綱昇進で稀勢の里は新時代の扉を開けました。ただ開けただけで終わるのか、自ら新時代を作り出すのか。入門当時、師匠と夢見た最強横綱への道がようやく始まりました。横綱とはどうあるべきか見せて欲しいと思います。

(刈屋 富士雄 解説委員)

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