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「"3万年前の航海"日本人のルーツをたどる」(時論公論)

土屋 敏之  解説委員

私たちはどこから来たのでしょうか?
そんな根源的な謎に迫る挑戦が行われました。今から3万年前、人類が日本列島・沖縄の島々に移り住んだ際の大航海を再現し、科学的に検証しようという試みです。
この再現航海、予定通りには進まず、かえって謎が深まったとも言われていますが、その科学的意義や背景を、2つのポイントから掘り下げてみたいと思います。

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まず1つは「3万年前の航海術」。
海を越えて日本列島に至った私たちの祖先は、どんな技術を使ったのでしょうか?
もう1つは「ホモ・サピエンス 世界拡散の謎」。今回の試みは、人類がアフリカから全世界へ、どのように広がっていったのかを探る手がかりとしても期待されます。
では、海の彼方に人類がのこした、遥かな航跡を辿っていきましょう。
(VTR 到着する草舟)
7月18日の昼前、沖縄県西表島に2艘の草舟が到着しました。
舟を漕いだのは地元を中心にした20代から40代の男女。日本の最も西にある与那国島を前日17日の朝、出発し、75km離れたこの西表島まで、手こぎの草舟で渡ろうという
困難な挑戦でした。

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このプロジェクトは、国立科学博物館の人類学者、海部陽介さんをはじめとする科学者たちと、草船の製作者・探検家など多くの専門家が協力して進めてきました。
日本人のルーツを辿ると共に、人類史の大きな謎に迫ろうとする、科学的な実験でした。

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人類は今から700万年前、アフリカで誕生したと考えられています。
およそ200万年前からは、アフリカ大陸の外にも進出しました。かつて学校で、北京原人やジャワ原人という名前を習った覚えがある方も多いと思いますが、アジアにも進出していたのです。ただし、これらの原人は、その後絶滅し、私たちの直接の祖先では無いと現在は考えられています。

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私たちホモ・サピエンスが誕生したのはおよそ20万年前。やはりアフリカでしたが、その後、オーストラリアやアメリカ大陸にも渡り、日本を含め、地球全体へ広がったのです。
そのルートははっきりしませんが、世界への拡散が進んだのは、主に5万年前から2万年前ごろ。氷河期の間だと考えられ、日本列島に多数の遺跡が残され始めたのも、この時代でした。

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人類が日本列島に至ったルートは、3つ考えられています。朝鮮半島から対馬を経由するルート。台湾から沖縄の島々を渡るルート。そして、サハリンから北海道に至るルートです。
中でも、沖縄ルートは最も困難なルートだったと考えられます。氷河期には、北海道は大陸と陸続きで、対馬ルートも対岸が見える程の近さだったと考えられるのに対し、沖縄ルートは長い区間では百km以上離れた島々を、渡らなくてはならなかったのです。
なぜ、海を渡ってまで移住したのか?気候の変化や人間同士の争いがあったのかなど、理由はわかりませんが、
これらの島々にも3万年あまり前から、人類の遺跡が現れるのは事実です。では、一体どうやって海を超えたのでしょう?

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世界的に見ると、3万年前の人類は、洞窟に壁画を描き、楽器や縫い針を作るレベルにまで達していました。
しかし、「舟」は発掘されていません。植物素材で作られた舟は長い間に朽ち果てるため、当時の技術を直接知るのは難しいのです。
今から7500年前、縄文時代になると丸木舟が使われていましたが、3万年前だと、まだこの地域には大木をくりぬいて丸木舟を作れる程、発達した道具が出現していません。
海部さんたちは検討の末、草や竹などの素材を、つる草で束ねた舟が有力だと考えました。
(VTR 草舟作り/航海の様子)
そこで今回、与那国島に自生しているヒメガマという草を束ねて、草舟を作りました。全長は6mあまり。私も乗ってみましたが、複数の人を乗せられるだけの十分な浮力があります。但し、現代のカヌーなどに比べるとかなり重く、時速2~3kmと歩くより遅いスピードしか出ません。

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この草舟を2艘用意し、7人ずつ、併せて14人が乗り込みました。この人数は、移住した人たちが繁栄していくために最初にどれぐらいの人数が必要か、シミュレーションを行った結果、男女併せて10人以上は必要だと見積もられたためです。
また、方角を知るにも3万年前にコンパスやGPSはありません。昼は太陽、夜は月や星座の位置で判断したと考えられました。

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しかし、航海は思い通りには行きませんでした。予想以上に潮の流れが速く、草舟が大幅に北に流されてしまったため、航程の半分以上の区間は、伴走する船で引っぱってコースを南に戻すことになったのです。
海部さんは、「実際に試してみたことで日本人の祖先がどんな航海をしたのか、かえって謎が深まった」と言います。
例えば、軽い竹筏なら、潮の流れを横切れる程の速度が出せるのか?あるいは何らかの簡単な帆を作って風を利用するなど、さらなる創意工夫をしていたのか?
草舟を漕いだ人たちからは、「3万年前の人たちは風や波など自然について豊富な知識や、我々が失ってしまった能力を持ち合わせていたのではないか」、「海を渡る強い思いがないと行けない」といった実感も聞かれました。
プロジェクトでは、この経験をいかして、今後さらに研究を進めていく計画です。そういう意味では今回、冒険としては成功と言えませんが、科学的仮説の検証としては、有意義な航海だったと思います。

さて、このプロジェクトは人類の世界拡散という大きな謎を解く上でも期待されています。
私達ホモ・サピエンスは、この時代、すでにオーストラリア大陸への移住にも成功しているからです。
氷河期にはオーストラリアとニューギニア島などは陸続きだったため、その距離は沖縄ルートより短かったのですが、やはり海を渡る手段が不可欠でした。沖縄同様、海を越えて住み始めた事実がある以上、何らかの方法で航海を行ったはずです。

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さらに近年注目されているのが、この当時、地球上には私たちホモ・サピエンス以外の人類もいた、という点です。
例えば、ヨーロッパには、ネアンデルタール人と呼ばれる人類が私たちの祖先と共存していました。彼らは私たちと変わらない大きさの脳を持ち、死者を埋葬するような高い精神性も持っていました。
インドネシアでは、フロレス原人と呼ばれる身長1m程の小型の人類が、つい1万数千年前まで狩猟生活をしていたことが、最近わかってきました。
こうした他の人類も、同時代を生きていた中で、なぜ私たちだけが今日に至る繁栄を遂げられたのか?その一つの鍵は、海を隔てた日本や他の大陸にまで進出してゆける力にあったのかもしれません。
この大航海は肉体的にハードな挑戦であるだけではなく、多くの人の協力や創意工夫、さらには海の彼方を目ざす意思といった、知的かつ精神的な挑戦でもありました。
ひょっとしたら、3万年前の人類が持っていた知識や技術に加え、この創造性や困難にチャレンジする心、といったものもまた、私たちが今こうして存在する所以かもしれない、そんなことをあらためて感じさせられます。

(土屋 敏之 解説委員)

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