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「企業の戦争責任 三菱マテリアル和解の意義」(時論公論)

出石 直  解説委員

太平洋戦争中に日本国内の炭鉱などで過酷な労働を強いられたとして中国人の元労働者と遺族が損害賠償を求めていた裁判で、大手金属メーカーの「三菱マテリアル」は今月1日、
歴史的責任を認めて元労働者に謝罪し、ひとり当たりおよそ170万円を支払うことで和解しました。最終的には4000人近くが和解の対象になる見込みです。戦時下の労働力不足を補うため中国人や朝鮮半島出身者が動員された問題をめぐっては、戦後70年を過ぎた今も、日本や中国、韓国で裁判が続けられています。企業の自主的な判断で和解に踏み切った今回のケースは、これらの裁判にも影響を与えるものと見られます。

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この時間は、
(1)なぜ戦後70年が過ぎた今になっても賠償を求められるのか、
(2)三菱マテリアルが和解に応じた背景、
(3)今後の裁判などへの影響、
この3点について、順に見ていきたいと思います。

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戦況の悪化に伴って軍需産業に携わる労働力不足が深刻化し、中国や朝鮮半島から動員された人達が日本国内の炭鉱や建設現場などで過酷な労働を強いられました。日本政府は長きにわたって「当時の資料がないため詳細はわからない」としていましたが、1993年(平成5年)になって外務省が作成していた報告書の存在が明らかになりました。

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それによりますと、1943年(昭和18年)から終戦の年(1945年)までに、合わせて3万8935人の中国人が135の事業所で労働を強いられ、このうち6830人が病気や落盤などの事故で死亡しています。死亡率は17点5%、6人にひとり以上が命を落としたことになります。日本中が耐え難い苦難を強いられていた戦時下とはいえ、あまりに痛ましい出来事でした。

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戦後50年を前にした1990年代になって、元労働者やその遺族らによって日本政府と企業に損害賠償を求める訴えが日本各地の裁判所に次々と起こされました。一連の裁判では、半ば強制的な形で日本に連れてこられ過酷な労働を強いられたことは認められたものの、時効や国家間の取り決めなどを理由に原告側の訴えはことごとく退けられました。  
国家間の取り決めというのは、1972年(昭和47年)9月、北京を訪問した田中角栄総理と周恩来首相との間で交わされた日中共同声明のことです。その第5項には「中華人民共和国政府は、両国国民の友好のために、日本国に対する戦争賠償の請求を放棄する」とあります。

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日本で起こされた一連の裁判は、2007年4月の最高裁判所の判決によって事実上、終止符が打たれます。最高裁は「戦争中に生じた中国国民の日本に対する請求権は日中共同声明によって放棄された」として原告の訴えを退ける最終判断を示したのです。その一方で最高裁は「被害者の被った精神的・肉体的苦痛は極めて大きかった」「被害の救済に向けた努力をすることを期待する」とも述べ、関係者に自発的な解決を促しました。
判決を受けて2009年には西松建設が原告との間で和解しています。しかし日本の裁判で和解が成立したのはごく一部に留まり、元労働者や遺族は中国や韓国の裁判所に舞台を移して損害賠償を求めるようになったのです。

日本に続いて中国で賠償を求める訴えを起こされた三菱マテリアルは、おととしから原告側と和解に向けた交渉を続けてきました。その結果、あくまで裁判で争うとしている一部のグループを除いて交渉がまとまり、1日、北京市内で合意書が交わされました。

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合意書によりますと、
▽三菱マテリアルは歴史的責任を認めて深甚なる謝罪を表明し、
▽和解のための基金を設立し“謝罪の証”としてひとりあたり10万元、およそ170万円を支払う、
▽事業所の跡地に記念碑を建て追悼行事を行う、
▽所在が分かっていない元労働者の調査を行う、などとなっています。
三菱マテリアルの前身である三菱鉱業が経営していた北海道の美唄炭鉱や長崎県の高島炭鉱などでは、あわせて3765人の中国人労働者が働いていました。所在がわかっていない人も多数いますが、仮に全員に和解金が支払われますと、その総額はおよそ64億円と
戦後最大規模の和解になる見込みです。

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日本の裁判で勝訴していながら今回和解に応じたことについて三菱マテリアルは「元労働者が本人の意に反して労働を強いられたことは事実として認定されている。日本での裁判で示された問題の解決に向けて努力するようにとの助言も踏まえ総合的に判断した」とコメントしています。和解に応じた背景には、中国での企業活動への配慮や裁判をこれ以上
長引かせたくないという思惑もあったものと見られます。

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最後に今後の裁判などへの影響です。
中国では、一部のグループが三菱マテリアルとの和解に応じず裁判を通じた解決を求めています。日本(にほん)コークス工業、前の三井鉱山を被告とする裁判も継続中です。
韓国では、2012年の5月に最高裁判所にあたる大法院が、日韓請求権協定によって「完全かつ最終的に解決された」としてきたこれまでの決定を覆し「植民地支配に直結した不法行為による損害賠償請求権は消滅していない」とする初めての判断を示し、大法院で再び審理が行われています。被告企業の新日鉄住金と三菱重工業は「和解に応じる予定はない」としていますが、仮に大法院で原告勝訴の判決が確定しますと、今後、韓国国内で日本企業に賠償責任を求める訴訟が殺到しかねません。両国間の新たな政治外交問題になるだけでなく、貿易や投資など経済への影響も心配されます。

戦争という極限状況の中で、当時は日本人も苦難に耐え多くの犠牲を払いました。なぜ戦後70年を過ぎた今になってまで、償いをしなければならないのかと、割り切れない思いの方もおられるかも知れません。しかし戦争によって当時の日本が多くのアジアの人々に苦難を与えてしまったたことは紛れもない歴史の事実です。そこから目を背けることはできません。

戦後補償裁判を抱えている企業の多くは、アジアを含む世界各地に展開しているグローバル企業です。関係者の高齢化も進んでいます。今後、裁判がさらに長期化するであろうことを考えれば、勝ち負けを争うのではなく、原告、被告、双方が受け入れ可能な解決策を模索するのもひとつの選択肢のように思われます。自主的に元労働者と交渉して和解に漕ぎ着けた今回の三菱マテリアルの対応は、戦時下に起きた痛ましい出来事によって苦痛を受けた人々の気持ちに応える、ひとつの方向性を示したものと言えるのではないでしょうか。

(出石 直 解説委員)

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