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時論公論 「東京大空襲70年 民間戦災者救済を」

西川 龍一  解説委員

【前説】 太平洋戦争末期、70年前のきょう起きた東京大空襲は国内の空襲のうち最大のもので、2時間半の空襲で10万人が犠牲になりました。東京大空襲以降、各都市への空襲が本格化し、 多くの民間人が犠牲になりましたが、こうした民間人の空襲被害についての救済はこれまで一切、行われてきませんでした。今夜は、この問題について考えます。

 

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東京大空襲70年の節目を前に、先週金曜日、東京・浅草で、東京大空襲を始め、全国各地の  空襲被害者の遺族など800人が参加して、集会を開きました。空襲で左目を失明した99歳の女性が登壇し、「不自由な身体でここまで生きてくるのは大変だった。日本人である以上、日本の国に救って欲しい」と話しました。戦後70年となる今、これまで一切行われてこなかった民間戦災者への  救済策は急務となっています。求められるのは、空襲などで被害を受けた民間人を支援する新たな法律の制定です。
改めて、東京大空襲とは、どんなものだったのか。東京大空襲は、終戦の年の1945年、昭和20年3月10日、ちょうど70年前のまさにこの時間から始まりました。木造住宅が密集する東京の 下町に300機を超えるアメリカ軍のB29の大編隊による焼夷弾の絨毯爆撃が行われました。およそ2時間半にわたる空襲で、投下された焼夷弾は、1665トンにも上り、燃え広がる火災の中で10万人が犠牲となり、罹災した人は100万人に上ると言われています。

 

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この東京大空襲以降、国内の大都市を対象にした空襲が本格化しました。東京大空襲の2日後に名古屋、その翌日には大阪が空襲を受けます。その後の神戸や横浜、川崎と言った大都市への 空襲は、軍需工場などの軍事目標が攻撃の根拠とされましたが、6月以降、空襲は、こうした目標が存在しない地方の中小都市にも拡大。200以上の都市が被害を受けました。いずれも大量の焼夷弾がばらまかれて町は火の海となり、全国の死者は60万人、けがをした人43万人、被害を受けた家屋は223万戸と言われています。
アメリカ軍の文書の中には、「犠牲の95%は市民」とされるものがあるなど、空襲の犠牲になったのは軍人ではなく、民間人がほとんどでした。この民間人を巻き込むことを知りながら行われた  無差別攻撃は、日本やドイツも第2次世界大戦の中で行って大勢の民間人が巻き込まれていますが、こうした行為自体、人道上決して許されることではありません。

 

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民間戦災者の救済策として、なぜ新たな法律の制定が求められるのでしょうか。空襲被害を巡っては、各地で国に民間戦災者の救済や謝罪を求める訴訟が起こされてきました。1987年、名古屋空襲の被害者が起こした訴訟で、最高裁判所が「戦争で受けた損害を国民は等しく受忍しなければならない」として、被害者側の上告を棄却しました。国内に広がる受忍論という考えです。その後起こされた東京大空襲訴訟は2013年、大阪空襲訴訟も去年、それぞれ最高裁が上告を棄却しました。広島・長崎の原爆の被爆者とは違い、当時の国民すべてが何らかの形で戦争の被害を負っていたため、裁判所が救済する人としない人を選別することは困難だと考えられ、司法を通じた 救済への道は閉ざされた形となっています。
しかし、東京大空襲訴訟の東京地裁判決は、「戦争被害者の救済は立法を通じて解決すべきだ」と指摘しました。ドイツでは、戦後まもなく制定された連邦補償法で、軍人と民間人を区別せず救済の対象としています。
原爆の被爆者やシベリア抑留者についても、国は個別に法律を制定して援護策が取られています。同様の救済措置が可能と考えられるのは無理からぬ事です。

 

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救済の根拠の1つと考えられるのが、軍人ではなく、官・民での防空について定めた防空法という当時の法律です。防空法は、盧溝橋事件から日中戦争に突入する1937年に施行されました。空襲の危険が現実化していない制定当初は、国民に防空演習や訓練の参加協力を義務づけるといった内容でしたが、太平洋戦争が始まる1941年の改正で、▽内務大臣が都市からの退去を禁止できること、▽空襲時の消火活動を義務づけることなどが加わりました。「逃げるな、火を消せ」というのが、法的義務となり、火を消さずに逃げ出すことが処罰の対象となったのです。

 

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防空法のこうした規定は、防空法施行令や内務大臣通牒によって国民の行動を統制することにつながっていきます。日米開戦の前日に出された内務大臣通牒では、お年寄りや幼児、病人でも  原則として退去させないことが明記されています。
空襲の危険が迫れば、住民を避難させる方が後々の労働力や戦力を確保することにもつながりそうですが、都市から人がいなくなれば消火活動が滞ることに加え、国民が戦争協力に消極的になることを国が恐れたためと考えられます。こうした考えは、東京大空襲の後も改められることはありませんでした。

さらに、国が行ったのが「空襲・焼夷弾は怖くない」という宣伝でした。内務省が推薦する民間の大日本防空協会が発行した手引きの中には、家の中に焼夷弾が落ちてきた時の消火方法が示されています。水に濡らしたむしろを持って近づき、大量の水をかけるというのです。しかし、実際には、水をかけると化学反応を起こして薬剤が飛び散り、延焼が広がるほか、薬剤が身体に付着して大やけどを負う危険性がありました。

 

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防空法に詳しい早稲田大学法学学術院の水島朝穂教授は、国民の命ではなく、国家体制を守ろうとした防空法とその運用規定、報道統制などによって、被害は拡大していったと言います。空襲の危険性を知りながらこうした非科学的で危険な対処方法を広がるままにまかせ、みすみす民間人犠牲者の数を増やし続けた国の責任は重いと言えます。
憲法学者で慶応大学名誉教授の小林節弁護士は、「明治憲法下、戦争を拒否する権利もない  国民が丸腰のまま焼き殺されたと言ってよく、国の救済がないまま放置されていいわけがない」と主張します。
民間戦災者の救済を巡っては、全国の52の地方議会が新たな法律の制定を求める意見書を可決しています。冒頭に紹介した集会で、6歳で空襲を受けたという女性が、「安倍総理大臣が国会で、国民の命と暮らしは断固として守ると言ったが、私たちの命はあとわずか。戦後70年の今年こそ法律の制定で私たちの命と暮らしを守って欲しい」と訴えました。東京大空襲、そして戦後70年、民間戦災者にとって時間は多く残されていない、そのことを政府も国会ももう一度真剣に考えなければなりません。

(西川龍一 解説委員)

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