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時論公論 「戦後70年・北方領土交渉 過去と展望」

石川 一洋 解説委員 / 岩田 明子  解説委員

戦後70年、未解決のまま残された北方領土問題。日ロ両国の基本的な立場は正反対なままです。何故70年間解決されなかったのか。北方領土交渉の歴史を振り返るとともに、今後の日ロ交渉の展望を政治担当の岩田委員とともに考えてみます。

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石川)戦後70年の今年、安倍総理はどのように北方領土交渉を動かすつもりか。

岩田)安倍総理は戦後政治の総決算として北方領土問題の解決を最重要課題としている。今年、プーチン大統領の訪日を実現し、平和条約交渉を前進させることに強い意欲を見せている。「4島は日本固有の領土であることに変わりはない」としつつも、現状を考慮しながら、お互いが知恵を出して解決すべきだという考え方だ。
 
石川)ここで時計の針を70年前に戻したい。70年前、1945年2月、ソビエトのクリミア半島のヤルタでアメリカのルーズベルト、ソビエトのスターリン、イギリスのチャーチルの三巨頭が戦後の世界秩序を話し合う会談が行われていた。
ヤルタ会談で米ソは、ドイツ降伏後、ソビエトは日本に参戦する、その代償として千島列島などをソビエトに引き渡すという密約を結んだ。
日ソは中立条約を結び、外交関係を維持していたが、その密約通りソビエトは終戦間際の45年8月対日参戦、千島列島・北方4島は終戦の8月15日以降にソビエト軍が占領を続け、その後一方的にソビエトへの編入を宣言した。
まさにスターリンの領土拡張主義といえる。
ただヤルタからソビエト参戦の前までなぜ終戦できなかったのか、日本外交の敗北の歴史でもある。
日本は、4島は日本の固有の領土として返還を求め、一方ソビエト、その後ロシアは、4島は第二次世界大戦の結果ロシア領となったとしている。

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石川)北方領土問題は確かに日ソ、日ロ二国間の問題だが、もう一つの大国アメリカの存在を強く感じる。

岩田)それは今も同じだ。去年日ロ関係は大きく動くはずだった。しかしウクライナをめぐる米ロの対立から予定されていたプーチン大統領の訪日は延期されてしまった。アメリカの圧力を感じながらの日ロ外交だった。
 
石川)冷戦時代の交渉をまず振り返りたい。
51年 日本はアメリカなどとサンフランシスコ平和条約を結び、主権、独立を回復した。しかし千島列島や樺太南部など日本の領土を放棄した。
日本は千島列島には北方4島は含まれないという立場で、しかもソビエトはこの条約に調印しなかった。
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日ソの直接の領土交渉は、国交回復した56年日ソ共同宣言の時だ。交渉の中でソビエトは歯舞、色丹の二島で決着という妥協案を出したが、日本は4島で譲らず、条約ではなく宣言という形となった。しかし両国が批准した国際条約だ。
この宣言で領土問題について「平和条約交渉を継続すること。そして平和条約締結後ソビエトは歯舞色丹の二島を日本に引き渡す」この二点が重要だ。平和条約交渉とは領土交渉に他ならない。

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岩田)当時の重光外相が二島で妥協も止むなしという考えに傾いた時もあった。ところがアメリカのダレス国務長官が、もしも二島で妥協するなら沖縄を返還しないと述べたと伝えられている。いわゆるダレスの恫喝ともいわれるアメリカの警告でした。日本の国力がまだ弱く、米ソ冷戦の真っただ中であったため、日本とソビエトの接近をアメリカが警戒したと見られている。

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石川)米ソ冷戦の中で1960年日本が日米安保条約を改定延長すると、ソビエトは一方的に「領土問題は存在せず」との立場を取った。冷戦の間、その状況が続いた。
ゴルバチョフ大統領のペレスロトロイカ、そして
ソビエト連邦が崩壊し、ロシアに代わり、本格的な領土交渉が始まる。
冷戦が終結し、ロシアをG8に迎え入れる、欧米とロシアがパートナーとなる中で、北方領土問題解決の機運が高まった。
その中で交渉の基礎となる重要な合意も達成された。
93年東京宣言。
「法と正義の原則に基づき、4島の帰属の問題を解決して、平和条約を締結する」
56年共同宣言では平和条約交渉継続で合意しているが、その交渉の中身を「4島の帰属の問題を解決することだ」と明確に定めたのが東京宣言だ。
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実は日本も91年、冷戦時代の「4島一括即時返還」要求から「北方4島の日本の主権が確認されれば、返還の実際の時期や態様については柔軟に対処する」とより柔軟な方針に変えている。

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岩田)その方針に基づき日本が大胆なカードを切ったこともあった。97年、橋本エリツィンの両首脳の下でクラスノヤルスク合意、つまり2000年までに平和条約を締結するよう全力をつくすことになり、翌98年4月、川奈での首脳会談で橋本総理が新たな提案をした。川奈提案だ。
▼択捉島とウルップ島との間に両国の最終的な国境線を引く
▼日露政府間で合意するまでの当分の間、四島の現状を全く変えないで今のまま継続することに同意する。ロシアの施政を合法的なものと認める。
この提案の注目点は56年宣言第9項にいう平和条約締結後の歯舞・色丹の返還を直ちに求めていない点だ。4島の枠内で、日本が出来る最大限の譲歩案、妥協案を提案したということだ。

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橋本総理は「これは私にとって大きなリスクを伴うが、決断した。日本側は国境の確認のみを求めているのであって、あなたはロシア国民に対し、合意までの当面、四島の現状は変わらないと国民に説明できる」と述べたのに対して
しばらく提案に見入ったエリツィン大統領は「まさに新しい興味深い提案だ」と興味を示したものの「検討の時間が必要だ」と即答しなかったということです。
結局日本側から見れば最大限の妥協案もロシア側の同意を得られなかった。橋本政権が参議院選挙の敗北で退陣、またエリツィン大統領も経済危機で当事者能力を失ってしまった。
 
石川)こうして連邦崩壊後の領土交渉の大きな流れも、結局、平和条約締結に至らなかった。最大の譲歩案が拒絶されたことで、日本側は、領土問題解決に向けて新たな方策を模索することになった。
その時に登場したのがプーチン大統領だ。

岩田)2001年、プーチン大統領自身が森総理との間で合意したイルクーツク声明が画期的と言われている。二島の引き渡しを定めた56年の日ソ共同宣言を平和条約交渉の基本的な法的文書とし、東京宣言に基づき、4島の帰属の問題を解決して平和条約を締結するとしているからだ。
安倍総理もイルクーツク声明を重視している。一昨年4月の首脳会談でも「イルクーツク会談には私も官房副長官として同席したが、イルクーツク声明は、画期的な合意だった。このイルクーツク声明が平和条約交渉の原点であることを確認したい」と述べた。

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石川)イルクーツクに至る首脳交渉が重要だ。プーチン大統領が56年共同宣言は認めるが、歯舞、色丹の二島の引き渡しで最終決着という立場が浮かび上がってきた。
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日本側は、歯舞、色丹の返還交渉と、国後、択捉の帰属の問題の交渉を並行して行うという並行協議を提案した。日ロ双方が前提条件を付けずに国後、択捉の帰属の問題の交渉に入るという戦略だった。
実は1992年ロシアから日本に「歯舞・色丹の引き渡し協定を結びその後国後・択捉の帰属の問題を解決した段階で平和条約を結ぶ」という非公式の秘密提案・段階的解決案が打診された。
その時は公式の交渉とはならなったが、並行協議とはいわばその秘密提案を生き返らせようとしたものともいえる。

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岩田)まさに段階的解決が並行協議の本質かもしれない。まず歯舞、色丹の二島の返還を先行させ、国後択捉の帰属は交渉の結果による。結果的に国後、択捉を諦めることにつながるのではないかという反対論が日本国内では強かった。森政権から小泉政権に変わる中で、対ロシア政策が政争の具となり放棄された。
 
石川)今安倍総理はプーチン大統領とイルクーツク以来の本格的な領土交渉を始めようとしている。安倍総理はイルクーツク声明を重視するということは、並行協議を復活させる考えか。

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岩田)並行協議とかの方法論ではなく、総理は実際に、知恵を出しあって平和条約交渉を動かしたいと考えている。
プーチン大統領も同じだろうと思う。一昨年4月の首脳会談でプーチン大統領は「双方にとって受け入れ可能で、双方が、勝者や敗者とならないような解決をみいだすべき」と述べている。これに対して安倍総理は「各々の外務省に対し、双方に受け入れ可能な解決策を作る交渉を加速化させるという共通の指示を出そう」と述べ、事務レベルの協議の結果をその都度、首脳にフィードバックすることを提案した。
つまり両首脳の信頼関係を基礎に、外交当局の議論を加速させるとともに、首脳交渉を続け、妥協案を見出すという戦略だ。
 
石川)日本のある外務大臣経験者は私に「ロシアが二島という原則論を越える思い切った妥協案を出してきたら真剣に検討する」と述べたことがある。交渉の中で日ロ双方がそれぞれの原則論から踏み出す場面が出てくるかもしれない。

石川)安倍・プーチン平和条約交渉に影響を与える
4つのポイントがある。
●長期政権と首脳間の信頼関係
●中国の台頭
●東を向くロシア 
●米ロ対立、

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岩田)私は長期政権と首脳間の信頼関係が重要だと思う
日本の政治は、1年でリーダーが変わる時代を終え、当面安定。政権基盤は強く首脳同士でじっくりと交渉する環境は整った。安倍プーチンの個人的信頼関係は強固だ。先の首脳会談で、プーチン大統領が安倍総理に「訪日のタイミングが両国関係を悪化させてはならない。ベストなタイミングを探ろう」と難しい立場におかれている日本に配慮を見せた。
一方、安倍総理もアメリカに理解を求めながら、大統領との関係を維持したい考えだ。
 
石川)プーチン大統領はヨーロッパから東への展開、アジア太平洋との関係強化を目指している。
中国との政治・経済両面での接近を進めているが、中国だけには依存したくない。そこにロシアから見た日本がある。エネルギー源を多角化したい日本と、経済協力を得たいロシアの思惑も一致している。
しかしアメリカがウクライナへの軍事支援に踏み切り、米ロ対立が激化する可能性もある。その中で日ロ交渉を進めるのは容易なことではない。

岩田)ただアメリカの中にも中国が台頭する北東アジアの状況はヨーロッパとは異なり、日本の対ロシア外交をあまり縛るべきではないとの意見も強まっている。
安倍総理は中国の台頭を強く意識しており、ロシアとの戦略的関係の強化は日本の国益に沿うと考えている。中国の台頭を睨んだロシア外交についてアメリカの理解を得たとしている。
 
石川)領土交渉を動かすために日ロの国益にあう経済プロジェクトを考える。たとえばサハリンから東京までのガスパイプラインなどだ。日本との戦略的関係強化が如何にロシアの国益となるのか、プーチン大統領に理解させるかが平和条約交渉のポイントだ。

岩田)かつて19世紀のイギリス首相・パーマストンが述べた、「国家には永遠の友も永遠の敵もいない。あるのは永遠の国益のみ」という言葉は、まさに不安定さを増す今の国際社会で求められる外交スタンスを示しているのではないか。難しい交渉になるだろうが、安倍総理は、粘り強く、忍耐強く、そして戦略的に対話を続けていかなければならない。
 
石川)北方領土に住んでいた元島民の方々もすでに高齢となっている。北方領土問題の早急な解決を図らなければならない。戦後70年の今年具体的な前進を期待したい。

(石川 一洋 解説委員 / 岩田 明子  解説委員)

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