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時論公論 「袴田事件"国家機関が無実の人を陥れた"」

橋本 淳  解説委員

半世紀近くにわたって無実を訴え続けた元プロボクサー、袴田巌さんの再審(裁判のやり直し)の決定が出され、袴田さんは拘置所から釈放されました。裁判所の決定は、「警察が証拠をねつ造した疑いがあり、国家機関が無実の人を陥れた」とまで指摘しています。死刑判決を覆す決め手になったDNA鑑定の重要性と捜査手法の問題を考えます。
 
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袴田さんは中学を卒業後、ボクシングを始め、日本フェザー級の6位まで上りました。その後、体を壊してボクシングをやめ、昭和41年の袴田事件の舞台になったみそ製造会社に勤めていました。同じ年にアメリカで起きた殺人事件で、えん罪が明らかになった元プロボクサー、ルービン・カーター氏になぞらえて語られることも多く、ボクシング界を挙げての支援活動が行われてきました。
 
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袴田事件は、どのような経緯をたどったのでしょうか。
昭和41年6月、今の静岡市清水区で、みそ製造会社の専務の自宅が放火され、
焼け跡から子どもを含む一家4人が殺害されているのが見つかりました。その2か月後、線路の反対側にあったみそ工場の従業員寮に住んでいた袴田さんが逮捕されます。当時30歳でした。捜査はこの時点で、決定的な証拠が得られておらず、本人は否認を続けましたが、最後には犯行を認める自白調書が作成され、起訴されました。

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そして、裁判が始まっていた翌年になって、みそ工場のタンクから血の付いたシャツやズボンなど「5点の衣類」が発見されます。事件の直後に警察がみそ工場を捜索したのに、後になって工場から衣類が見つかるのは、極めて不可解なことでした。しかし裁判所は、「5点の衣類」は本人が犯行の際に着ていたもので有罪の決定的な証拠であるとして、昭和55年に死刑判決が確定しました。

この判断を覆したのが、DNA鑑定です。DNA鑑定は平成に入って本格的に導入されましたので、袴田事件の時には、まだありませんでした。鑑定技術が向上した2年前に、再審請求を審理していた静岡地方裁判所が実施しました。
 
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鑑定で特に注目されたのが、「5点の衣類」のうちシャツの右肩に付いていた血痕です。死刑判決では、袴田さんが事件の時、右肩にけがをしていて、シャツの血痕と血液型が一致したことから、本人が犯行の際に着ていたと判断していました。ところがDNA鑑定の結果、「シャツの血痕と袴田さんのDNAの型は一致しない」とされました。検察は、「血痕が古すぎて鑑定結果は信用できない」と主張しましたが、静岡地裁は27日の決定でこれを退け、「無罪の明らかな証拠だ」として再審を認めました。そのうえで、5点の衣類は、「警察がねつ造した疑いがある」と指摘しています。

DNA鑑定は、犯人の特定に威力を発揮する一方、受刑者がえん罪を晴らす有力な証拠にもなってきています。
 
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実際、この4年ほどの間に、足利事件と東電女性社員殺害事件で新たに行われたDNA鑑定によって、服役中の受刑者が再審無罪となるケースが相次ぎました。
アメリカでも死刑囚18人を含む300人以上の無実が明らかになったと言います。アメリカで数が多いのは、事件の遺留物の保存を義務付け、受刑者がDNA鑑定を求める権利を保障する法整備が進んだからです。これに対して日本では、遺留物の保存や鑑定は捜査機関や裁判所の裁量に委ねられていて、遺留物が保存されていないためにDNA鑑定ができない再審請求事件もあります。袴田事件で鑑定が実施できたことを偶然の産物とはせず、アメリカのような仕組みをきちんと作っていく、そうした議論を始めてもいいのではないでしょうか。
 
さて、決定が指摘した「警察による証拠ねつ造の疑い」。その理由として静岡地裁は、「自白を引き出した取り調べで人権を顧みずに追及する姿勢が顕著だった」ことをあげています。
実は、死刑判決を書いた裁判官の中に、当時から袴田さんの「自白」に疑問を持っていた人がいます。
 
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熊本さんは7年前、守秘義務を破って異例の告白をしました。この中では、警察の厳しい取り調べで、袴田さんがうその自白を強いられたと見ていたこと、無罪にしようとしたが、ほかの裁判官を説得できず、心ならずも死刑判決を書いたことを明らかにしました。

その警察の厳しい取り調べ。1日平均12時間行われ、逮捕から20日目に自白しました。袴田さんはのちに、「警察官から殴られたり蹴られたりした。『君を殺しても病気で死んだと報告すればそれまでだ』と言って脅された」と述べています。
 
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厳しい取り調べの背景には、やはり決定的な証拠がなかったことがうかがえます。裁判に提出された警察の捜査記録には、取り調べの方針として「袴田に犯人は自分以外にはないことを強く印象づけるよう努める」と記され、「自供を得なければ真相把握が困難な事件だった」と書かれていました。
 
しかしその供述は、多くの重要な事柄が二転三転しています。例えば、事件の動機です。
 
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自白した最初の日、9月6日の調書では、「被害者の専務の妻から、『家を新築したいので強盗に見せかけて放火してほしい』と頼まれた」と供述していました。ところが、翌日の調書では、「専務に冷たくされ話をつけに行った。
それでクビになるなら金を奪おうと考えた」となり、さらに次の日には、「アパートを借りる金が欲しくて盗みに入ったが、見つかって殺害した」と大きく変わっていました。

過去のえん罪事件でも見られるこうした供述の変遷は、なぜ生じるのか。
専門家は、「厳しい取り調べでいったん自白した容疑者は、無実であっても事件の筋書きを語らざるを得ない状況に追い込まれる。取調官の追及にヒントを得ながら、想像を巡らせ犯人を演じてしまう」と指摘しています。
 
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現在、国の法制審議会では、無理な取り調べで得た供述が間違った判決につながってきたことへの反省から、取り調べを録音・録画、すなわち可視化する議論が行われています。この中では、取り調べの全ての過程を可視化するかどうかなどを巡って意見が対立しています。袴田事件のようなケースを見ますと、一部の録音・録画だけで、裁判官や裁判員は果たして正しい判断ができるのだろうか、そんな疑問がわいてきます。

袴田さんが、同じ境遇にあった元プロボクサー、ルービン・カーター氏に宛てて25年前に獄中から出した手紙には、次のように書いていました。
 
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「私は無実の罪を晴らす闘いの世界最強のチャンピオンになることを願っています」。その手紙を書いた東京拘置所から、逮捕以来48年がたって釈放されました。静岡地裁は、「国の機関が無実の人を陥れ、死刑の恐怖の下で長期間身柄を拘束した」と指摘し、死刑が確定した事件では初めて、再審開始決定の段階で釈放を認めました。
検察が再審開始決定を不服とすれば、高等裁判所でさらに審理されることになりますが、「疑わしきは被告人の利益に」という原則を貫いた迅速な審理を望みたいと思います。
 
(橋本淳 解説委員)

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