時論公論 「竹島 何が問題なのか」2012年09月03日 (月) 

出石 直  解説委員

竹島問題について、韓国政府は先週、日本が提案していた国際司法裁判所への共同提訴を拒否すると回答してきました。批判の応酬は政府間だけに留まりません。もうキムチは食べないと宣言した人、竹島まで泳ぐと言って海に飛び込んだ韓流スターもいました。
東京の日比谷公園ほどしかない小さな島をめぐって、なぜこんなに熱くなるのかでしょうか。
日韓両政府がともに「我が国固有の領土だ」と主張しているからには、それなりの根拠があるはずです。竹島問題がなぜこれほどこじれるのか、双方の言い分を見ていきます。

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まず位置関係です。竹島は、日本海に浮かぶ小さな島です。本州からも朝鮮半島からも200キロ以上も離れています。
 
【最初に領有したのは?】

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問題を、大きく3つの時期に分けて整理してみました。
まず、「最初に領有したのはどちらだったのか」、歴史的な論争です。 

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江戸時代初期の1618年、米子の町人、大谷甚吉(おおや・じんきち)が暴風雨に巻き込まれ鬱陵島にたどり着きました。以来、米子の商人達は、幕府の許可を得て鬱陵島に渡り、アワビ採りや木材の伐採などを行いました。竹島は、鬱陵島に渡る途中にあり、中継地として利用されていました。これをもって日本政府は、「遅くとも17世紀半ばには領有権が確立していた」と主張しています。

一方、韓国側はもっと前に、自分達の島として認知していたという主張です。
古い歴史書には、西暦512年に「于山(うさん)国」が新羅(しらぎ)に帰属したと書かれており、「竹島、韓国名のトクト(独島)は、この于山国にあった」としています。

ここでは、2つの島の存在が、問題をややこしくしています。
 
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韓国は、于山国にあったとされる2つの島のうち、「鬱陵島(武陵)」は現在のウルルン島、「于山島」が現在の竹島だとしています。しかし、それを証明する具体的な証拠はなく、日本側は、「于山島」は竹島ではなく別の島のことを指しており、「当時の朝鮮王朝は、竹島の存在を認識していなかった」と主張しています。
 
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一方、当時、日本では、現在のウルルン島を「竹島」と呼び、その途中にある今の竹島を「松島」と呼んでいました。1696年、江戸幕府は、朝鮮王朝と協議の結果、「竹島」今の「ウルルン島」を朝鮮側の島と認め、日本人の渡航を禁止します。韓国側はこれをもって「今の竹島も放棄した」と主張しています。これに対し日本側は「禁止したのは今のウルルン島だけで、竹島に渡ることは禁じてはいない」と反論しています。
ここまでが歴史的な論争です。当時の測量技術には限界がありますし、古い記録には正確さを欠く記載もあるでしょう。島の名前をめぐる混乱があったことも事実です。
 
【開国後の領有は?】
 
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次は近代に入ってからの論争です。
長く鎖国を続けてきた日本と韓国は、近代に入って国を開き、国際社会の仲間入りを果たします。

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1905年、(明治38年)明治政府は閣議決定で竹島を島根県に編入、竹島でのあしか漁が許可されました。翌年には、島根県の調査団が鬱陵島に立ち寄り、竹島を島根県に編入したことを韓国側に伝えています。これによって「近代的な国際法上も領有権を再確認した」というのが日本側の主張です。
これに対して韓国側は、「島根県への編入は、帝国主義的な侵奪行為の一環であり、国際法上も効力がない」と主張しています。当時日本は、朝鮮半島での権益をめぐってロシアと戦争をしていました。日露戦争に勝利し、島根県編入の5年後には韓国を併合しています。

「国際法に基づいて領有権を確認した」とする日本、「植民地支配の一環として領土を奪われた」とする韓国。双方の主張は真っ向から対立しています。
 
【終戦と“実効支配”】

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最後に戦後の論争です。

植民地支配は、日本の敗戦によって終焉を迎えます。

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ポツダム宣言によって、日本の主権が及ぶ範囲は、「本州、北海道、九州、四国と、連合軍が決定する島々」に限定されました。

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1951年に調印されたサンフランシスコ平和条約で、日本は、朝鮮の独立を承認、朝鮮半島と済州島、鬱陵島などに対するすべての権利を放棄します。
条約文を作成する過程で、韓国政府は、竹島を放棄の対象に加えるようアメリカに求めましたが、アメリカは「この島は、朝鮮の一部として取り扱われたことはない」と拒否します。これらを根拠に、日本は「竹島は放棄していない」と主張しています。

これに対し韓国側は、「日本の敗戦によって、植民地として奪われた領地はすべて韓国に戻された」という主張です。

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そして1952年には、いわゆる李承晩ラインを一方的に宣言します。
日本漁船の拿捕が始まり、4000人近くが抑留され5人が命を落としています。
1954年からは警備隊が駐留し、現在に至っているのです。

日本はこれを不法占拠として国際司法裁判所に提訴する方針ですが、韓国側は「領有権をめぐる問題は存在しない」として、共同提訴も拒否しました。
 
【”歴史問題”としての竹島問題】
問題が複雑なのは、韓国側がこの問題を歴史の問題としても捉えているからです。

韓国にとってこの島は、植民地支配を経て取り戻したいわば「主権」の象徴です。
「竹島は日本の領土だ」という日本人からすれば当たり前の主張が、韓国では「過去を反省せず、再び韓国を植民地支配しようという野心の現れだ」と受け止められてしまうのです。先日、竹島に上陸したイ・ミョンバク大統領は「従軍慰安婦問題での日本側の消極的な態度に不満を抱き、行動で見せる必要があると感じた」と述べています。

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この発言からも、慰安婦の問題と竹島の問題を、ともに過去の歴史の問題と位置づけていることが伺えます。

アジアで2番目と4番目の経済大国どうしが、互いに角を突き合わせ、一歩も譲らない事情が、お判り頂けたでしょうか。
 
【どうやって出口を見いだすか】

最後に、ここまでこじれてしまった日韓関係をどう立て直していけば良いのか考えます。
「もう隣人とは見なさない」「仲良くしなくたっていい」といった感情論は厳に戒めるべきと考えます。領土問題は、国際社会の共通ルールである国際法に基づいて平和裏に解決されるのが本来です。日本政府が、国際司法裁判所での解決を目指しているのは、十分理にかなったことだと思います。
ただ国境の線を引くことだけが外交ではありません。むしろ国境の線はどんどん薄くなってきています。日本と韓国の間の人の往来は年間500万人、経済面での結びつきも強く
とりわけ市場の小さい韓国にとって日本は重要な貿易パートナーです。人も物も情報も、国の境を易々と越える時代、そんな時代にふさわしい日韓関係を目指すべきと考えます。

領土問題は領土問題として正々堂々と自説を展開し、相手の異なる主張にも耳を傾ける。
過去の問題にも目を背けず、相手の心情にも思いを馳せる。そんな大人の対応が求められているのではないでしょうか。

(出石   直 解説委員)