2008年09月03日 (水)時論公論 「大麻問題と相撲界」
(金子キャスター)
大相撲秋場所を控えて、ロシア人力士の尿検査で大麻の陽性反応が出たニュースは、相撲界に大きなショックを与えました。相撲界の一連の問題の背景を、山本解説委員が分析します。
(山本解説委員)
昨日、抜き打ちで行われた簡易検査の結果に関しては、どうしても納得がいかないという2人の力士の強い要望で、都内のドーピング検査機関で詳しく調べることになりました。一方で、その後の警察の捜査でも大麻は発見されず、この件に関しては検査機関の分析待ちとなりました。今晩は予定を変更して、今回の検査の発端となった、元幕内若ノ鵬の大麻事件の背景を振り返りながら、相撲界の課題を考えます。
若ノ鵬の大麻事件は、若ノ鵬の解雇と所属していた間垣部屋の親方の理事職の辞任を認めるという形で決着しました。確かに若ノ鵬個人が法を犯した責任は免れませんし、部屋の師匠の責任も問われてしかるべきですが、それで全てかたがついたとしていいのでしょうか。相撲協会は、力士会での抜き打ちの尿検査に踏み切りはしましたが、再びこうしたことを起こさないためには、理事長を含む協会経営の責任を明確にすることとチェックではなく相撲界の構造改革に踏み切る必要があるように思います。
そこで今晩は、その構造、若ノ鵬を含む外国出身力士のおかれている立場を三つの次元で考えてみます。

ひとつは関取の待遇と自己管理。二つ目は、相撲界の教育体制。そして三つ目は、部屋の指導です。
相撲界では、力士の地位を表すのは番付です。ここに秋場所の番付があります。解雇された若ノ鵬の部分が空白になっています。
場所ごとに上がっていくような力士の番付は、その権限をいっしょに持ちあげてしまうようなところがあって、強くなればなるだけ、いろいろな人が言うことを聞いてくれるようになりがちです。
力士は、相撲を取り始めたころは大部屋住まいの雑魚寝生活が普通です。プライバシーもなく、親方や女将さんの目の届くところで生活する毎日です。それでも成績が良ければ、序ノ口から序二段、三段目そして幕下へと上がっていきます。番付が上がっても、幕下までは大部屋暮らしです。

しかしここから上、幕下と十両との間に大きな待遇の差があります。十両以上は関取といわれ、付け人という世話役がついて身の回りのことをしてくれるようになります。しかも、協会から月給を支給されるようになり、羽織・袴を身につけ、絹の締め込みを締められる。頭には大銀杏を結い、そして部屋では個室が使えるようになるのです。こうした、待遇の変化が力士そのものの生活や行動を変えてしまうことがあります。欲しがっていたプライバシー空間ができるというだけでなく、番付が上がるにつれて、周囲の対応も変わってくるからです。

自分の行動を自分の責任で決定できる。関取になれば、稽古以外の時間に親方の指示を仰ぐことは少なくなりますが、番付の上昇に伴って人間的にも成長していけば、取り立てて問題になることではないのです。ほとんどの外国出身力士は、相撲の実力に応じて人間も成長するものです。
優れた力士には、番付を駆け上がる力があります。過去に生まれた名力士の中には、スピード出世を果たして頂点を極めた人も少なくありません。そうした力士にはしかし、部屋の師匠や一門の親方、それにタニマチといわれる相撲好きの人達がやかましく注文をつけてきたものでした。結果的に、関取としての人間性を番付に恥じないように高めることになりました。
ところがこの所、外国出身力士の中には記録を塗り替えるようなスピード出世を見せる力士がいます。いずれも母国で格闘技の実力を認められ、相撲に転じてもその天性を生かして成績を伸ばし続ける力士たちです。解雇処分を受けた、若ノ鵬もロシアのレスリングのジュニアチャンピオンの経歴を持っていました。一方で親方の指導や教育はどうでしょう。タニマチからも、昔ながらの厳しい注文が日本人力士と同じようにつけられているのでしょうか。

現在、相撲協会に所属する力士は720人。そのうち、外国で生まれ育った力士の数は、59人です。その内訳を見ると、モンゴルの出身者が圧倒的で、中国、ロシアとグルジアが続いています。

外国出身力士が日本の相撲界にやってくるパターンはひとつではありませんが、海外で行われる相撲大会に親方が自ら出かけていってスカウトするものがあります。目の前で繰り広げられる取り組みを見て、力士候補生の力やスピード、バランスなどはチェックできても、性格や人格、ものの考え方がどうなのかをしっかり把握するのは簡単ではありません。力はあるが、気性も激しく人一倍負けん気が強い。そんな外国人アスリートの卵を、風格のある力士に育てるためには、日本の若者に対するのとは違ったアプローチも必要なはずです。
力士に対して施される指導は、初めのうちは稽古としつけです。稽古もしつけも、基本的なことを教えるだけなら、必ずしも複雑な日本語が必要ではありません。見よう見まねで覚えられることが沢山あるからです。外国人の力士候補生は、こうしてまず部屋に慣れ、日本語を覚えることが求められます。部屋の中で、様々なことを覚えるため積極的に日本語や日本の生活習慣を教えるケースが7割近く、力士まかせになっているところが3割です。

原則として入国から3ヶ月がたつと、相撲協会の幹部との面接が待っています。そこで簡単な日本語のテストがあり、それをクリアすると新弟子検査に向かいます。そのあとは、日本の力士候補生と同じ道をたどることになるのです。
入門したての外国出身力士の悩みのひとつが、コミュニケーションの問題です。2002年2月から日本相撲協会は、53ある相撲部屋がそれぞれ新たに置ける外国人力士の数を1人に限定するようになりました。現在では、外国人力士のいる部屋は、全体の89%に及んでいます。みだりに外国出身力士を増やしたくない。そうした思いで決めた約束事が、入門したばかりの若い外国出身力士を孤立させたりしないでしょうか。

言葉が十分に理解できないだけでなく、部屋の中の序列や習慣にとまどうことも考えられます。日本で大切にされる「我慢」や「忍耐」に対する感覚が微妙に違うこともあるでしょう。最初のうちから思ったことを口にし、考えたとおりに振る舞うわけにはいきません。となるとどうしても、言葉の通じ合うもの同士が集まってグループを作ることになりがちです。結果として、他の部屋の言葉の通じる力士といっしょになる時間が増えることもあります。部屋によっては、こうした違う部屋に所属する外国出身力士のグループに加わることを認めないところもあります。
もちろん、大相撲の世界に飛び込んできたのなら、しっかり日本語を覚えることです。そのために、部屋がどれだけ支えられるのでしょうか。本人の努力をそっと見守る手もあるでしょう。要は行き詰まったときに、部屋の中で無理をして完結させようとしないことです。
先月下旬、モンゴル巡業が行われました。相撲好きで知られるモンゴルの相撲ファンのお目当てが、朝青龍や白鵬よりもむしろ大関魁皇だったことには、私も少しびっくりさせられました。魁皇人気の高さにモンゴル人相撲ファンの1人は「勝っても負けても喜怒哀楽を表に出さない風格のある取り口が魅力」だと答えていました。何と、私たちが相撲に求めているものと共通するものだったのです。
若い力士の死亡事件を始め押し寄せる様々な問題に、相撲協会には思い切った解決策が見いだせないようです。一方で大相撲ファンは、法律を守れない力士の行動から、約束をもまれない横綱にまで厳しい目を光らせています。ファンが問うているのは、横綱が手刀を右手できるかどうかではないのです。強い力士が、番付に相当する人格と振る舞いを身につけているのかどうか。相撲の取り口を裏打ちする人間性を育てるために、部屋任せにせず、協会が積極的に動いているのかどうかです。それは力士が、相撲力と人間力を併せ持って番付を挙げたときに理想の関取が生まれることをファンが良く知っているからです。

結果がどうであっても、一連の大麻にかかわる問題が特異な出来事だったという総括はすべきではありません。相撲協会が見落とした時代の変化の中に、こうしたことを来す理由があったのです。伝統にしたがって、あくまでもこれまでと同じやり方で全てを部屋の責任とさせるのか。それとも、協会の責任と主導権を大きくするのか。判断の分かれ目にきています。
そこで今晩は、その構造、若ノ鵬を含む外国出身力士のおかれている立場を三つの次元で考えてみます。

ひとつは関取の待遇と自己管理。二つ目は、相撲界の教育体制。そして三つ目は、部屋の指導です。
相撲界では、力士の地位を表すのは番付です。ここに秋場所の番付があります。解雇された若ノ鵬の部分が空白になっています。
場所ごとに上がっていくような力士の番付は、その権限をいっしょに持ちあげてしまうようなところがあって、強くなればなるだけ、いろいろな人が言うことを聞いてくれるようになりがちです。
力士は、相撲を取り始めたころは大部屋住まいの雑魚寝生活が普通です。プライバシーもなく、親方や女将さんの目の届くところで生活する毎日です。それでも成績が良ければ、序ノ口から序二段、三段目そして幕下へと上がっていきます。番付が上がっても、幕下までは大部屋暮らしです。

しかしここから上、幕下と十両との間に大きな待遇の差があります。十両以上は関取といわれ、付け人という世話役がついて身の回りのことをしてくれるようになります。しかも、協会から月給を支給されるようになり、羽織・袴を身につけ、絹の締め込みを締められる。頭には大銀杏を結い、そして部屋では個室が使えるようになるのです。こうした、待遇の変化が力士そのものの生活や行動を変えてしまうことがあります。欲しがっていたプライバシー空間ができるというだけでなく、番付が上がるにつれて、周囲の対応も変わってくるからです。

自分の行動を自分の責任で決定できる。関取になれば、稽古以外の時間に親方の指示を仰ぐことは少なくなりますが、番付の上昇に伴って人間的にも成長していけば、取り立てて問題になることではないのです。ほとんどの外国出身力士は、相撲の実力に応じて人間も成長するものです。
優れた力士には、番付を駆け上がる力があります。過去に生まれた名力士の中には、スピード出世を果たして頂点を極めた人も少なくありません。そうした力士にはしかし、部屋の師匠や一門の親方、それにタニマチといわれる相撲好きの人達がやかましく注文をつけてきたものでした。結果的に、関取としての人間性を番付に恥じないように高めることになりました。
ところがこの所、外国出身力士の中には記録を塗り替えるようなスピード出世を見せる力士がいます。いずれも母国で格闘技の実力を認められ、相撲に転じてもその天性を生かして成績を伸ばし続ける力士たちです。解雇処分を受けた、若ノ鵬もロシアのレスリングのジュニアチャンピオンの経歴を持っていました。一方で親方の指導や教育はどうでしょう。タニマチからも、昔ながらの厳しい注文が日本人力士と同じようにつけられているのでしょうか。

現在、相撲協会に所属する力士は720人。そのうち、外国で生まれ育った力士の数は、59人です。その内訳を見ると、モンゴルの出身者が圧倒的で、中国、ロシアとグルジアが続いています。

外国出身力士が日本の相撲界にやってくるパターンはひとつではありませんが、海外で行われる相撲大会に親方が自ら出かけていってスカウトするものがあります。目の前で繰り広げられる取り組みを見て、力士候補生の力やスピード、バランスなどはチェックできても、性格や人格、ものの考え方がどうなのかをしっかり把握するのは簡単ではありません。力はあるが、気性も激しく人一倍負けん気が強い。そんな外国人アスリートの卵を、風格のある力士に育てるためには、日本の若者に対するのとは違ったアプローチも必要なはずです。
力士に対して施される指導は、初めのうちは稽古としつけです。稽古もしつけも、基本的なことを教えるだけなら、必ずしも複雑な日本語が必要ではありません。見よう見まねで覚えられることが沢山あるからです。外国人の力士候補生は、こうしてまず部屋に慣れ、日本語を覚えることが求められます。部屋の中で、様々なことを覚えるため積極的に日本語や日本の生活習慣を教えるケースが7割近く、力士まかせになっているところが3割です。

原則として入国から3ヶ月がたつと、相撲協会の幹部との面接が待っています。そこで簡単な日本語のテストがあり、それをクリアすると新弟子検査に向かいます。そのあとは、日本の力士候補生と同じ道をたどることになるのです。
入門したての外国出身力士の悩みのひとつが、コミュニケーションの問題です。2002年2月から日本相撲協会は、53ある相撲部屋がそれぞれ新たに置ける外国人力士の数を1人に限定するようになりました。現在では、外国人力士のいる部屋は、全体の89%に及んでいます。みだりに外国出身力士を増やしたくない。そうした思いで決めた約束事が、入門したばかりの若い外国出身力士を孤立させたりしないでしょうか。

言葉が十分に理解できないだけでなく、部屋の中の序列や習慣にとまどうことも考えられます。日本で大切にされる「我慢」や「忍耐」に対する感覚が微妙に違うこともあるでしょう。最初のうちから思ったことを口にし、考えたとおりに振る舞うわけにはいきません。となるとどうしても、言葉の通じ合うもの同士が集まってグループを作ることになりがちです。結果として、他の部屋の言葉の通じる力士といっしょになる時間が増えることもあります。部屋によっては、こうした違う部屋に所属する外国出身力士のグループに加わることを認めないところもあります。
もちろん、大相撲の世界に飛び込んできたのなら、しっかり日本語を覚えることです。そのために、部屋がどれだけ支えられるのでしょうか。本人の努力をそっと見守る手もあるでしょう。要は行き詰まったときに、部屋の中で無理をして完結させようとしないことです。
先月下旬、モンゴル巡業が行われました。相撲好きで知られるモンゴルの相撲ファンのお目当てが、朝青龍や白鵬よりもむしろ大関魁皇だったことには、私も少しびっくりさせられました。魁皇人気の高さにモンゴル人相撲ファンの1人は「勝っても負けても喜怒哀楽を表に出さない風格のある取り口が魅力」だと答えていました。何と、私たちが相撲に求めているものと共通するものだったのです。
若い力士の死亡事件を始め押し寄せる様々な問題に、相撲協会には思い切った解決策が見いだせないようです。一方で大相撲ファンは、法律を守れない力士の行動から、約束をもまれない横綱にまで厳しい目を光らせています。ファンが問うているのは、横綱が手刀を右手できるかどうかではないのです。強い力士が、番付に相当する人格と振る舞いを身につけているのかどうか。相撲の取り口を裏打ちする人間性を育てるために、部屋任せにせず、協会が積極的に動いているのかどうかです。それは力士が、相撲力と人間力を併せ持って番付を挙げたときに理想の関取が生まれることをファンが良く知っているからです。

結果がどうであっても、一連の大麻にかかわる問題が特異な出来事だったという総括はすべきではありません。相撲協会が見落とした時代の変化の中に、こうしたことを来す理由があったのです。伝統にしたがって、あくまでもこれまでと同じやり方で全てを部屋の責任とさせるのか。それとも、協会の責任と主導権を大きくするのか。判断の分かれ目にきています。
投稿者:山本 浩 | 投稿時間:23:59
