西郷どんを訪ねて ゆかりの地巡り

西郷どんを訪ねて ゆかりの地巡り

10 鹿児島市 <中薩摩・南薩摩>

西郷どんを訪ねて 第十六回

西郷どんの盟友・桂 久武

(平成30年7月18日 情報WAVEかごしまで放送)

今回の「西郷どんを訪ねて」は、薩摩藩の家老・桂 久武かつら ひさたけを取り上げました! 西郷どんと生涯にわたって強い絆で結ばれた、いわば「盟友」である久武。
ふたりの絆は、どのように育まれていったのでしょうか?

やってきたのは、天文館のまさにど真ん中。

天文館

実は、ここ天文館はかつての日置島津家の屋敷跡。
そして、まさに西郷隆盛と桂 久武が出会った場所です。
ご案内頂いたのは、薩摩の歴史に詳しい維新ふるさと館顧問、福田賢治さん。

維新ふるさと館 顧問 福田賢治さん

天文館の歴史散歩へ、連れて行って頂きました。

「天文館は武家屋敷だった」

西郷どんは久武の生家、日置島津家で働いていた父に連れられて、幼い頃からここに出入りしていたそうです。
両家の関係はとても親しい間柄だったようで、
「貧しい西郷家のおばあちゃんはよく島津家に行っては、塩や味噌をもらって帰ってきたという話がありますので、身分差があったとはいえ、西郷さんにとっては親類の家に行くようなもの。よく行き来をして話をしたり、励ましたりしていたんじゃないかと思いますね。」
と福田さん。

二人の絆は、大人になるにつれ、強まっていきます。
奄美大島に流されていた西郷どんが薩摩に戻ると、入れ代わるように久武が役人として島に赴任。

1862年(文久2年)桂 久武は奄美大島へ

西郷どんは島に残した妻・愛加那と子どもを久武に託します。
久武は、当時、貴重だった米や写真、お茶、着物の布などを贈り、生活を助けました。久武に感謝する西郷どんの手紙が残っています。

「我が子を大変丁寧にお世話してくださり感謝の言葉もございません。」西郷隆盛の手紙より

また沖永良部島に流され、悲しみに暮れる西郷どんに、久武は励ましの手紙を送りました。

「罪をゆるされるよう働きかける。辛抱して待っていて欲しい。」

沖永良部島から戻ると、西郷どんは倒幕に向けて動き出します。
長州藩と交わした密約、薩長同盟。久武は、重要な会談の場に同席し、長州藩のリーダー木戸孝允と夜遅くまで話し合いました。
武力での倒幕を模索する西郷どんは、軍艦や兵を送って欲しいと藩に頼みます。しかし、藩の中には倒幕に反対する上級武士が数多くいました。そこで反対派の説得にあたったのが、久武でした。
意見をまとめ、藩主らに報告、藩から軍艦や兵の派遣を得ることができました。
「財政を担当している家老が物事を言うと、聞く人たちは非常に説得される。大丈夫なんだなと。西郷や大久保もなかなか踏み込めない部分に、桂 久武は役割を果たしたということになるかと思いますね。」と福田さん。

ふたりの仲の良さが感じられる手紙があります。明治初めの手紙で、政府の高官になった西郷どんが、かつての主君・島津久光からの様々な要求に苦労していることを綴っています。その書き方が面白いんです。

「いつもながら久光様の御無理には苦労しますね。生まれ変わったらきれいな女性とおいしい料理でも食べ、たいそうなお屋敷でゆっくり致したいものです。それだけを楽しみにお勤めに明け暮れております。」西郷から久武への手紙

西郷どんの本音がつい出たような文面。久武には、本当に心を許していたんですね。

高い山に囲まれた、霧島。そこに桂内かつらうち集落があります。ここは、久武が武士の身分を失い生活に苦しむ士族を救うため、大規模な開拓で生み出した村です。今でも700人あまりが暮らしています。

桂内集落

久武が作った全長8キロにもおよぶ用水路は、現在も農業などで大切に使われています。農家の岩崎義光さん。

農家の岩崎義光さん

曽祖父が、久武と同じ時期に開墾に励んだと聞いています。久武はこの地域にとって“親分”だという岩崎さん。久武への感謝の気持ちを忘れていません。

桂 久武が「お前たちはここを開墾しろ」と言ってくださったから今日がある。

西郷どんも久武を見習うかのように、原野を切り開き、学校を作ります。若者たちとともに、昼は農業、夜は学問にいそしむ充実した日々を送りました。
しかし、二人の運命を変える出来事が起こります。西南戦争です。
出陣前夜、西郷どんは久武のもとを訪ねました。

戦争に加わらないことを明言していた久武。夜更けまで語り合い、別れを惜しんだといいます。そして出陣の日、西郷軍を見送る人々の中に、久武の姿がありました。
しかし突然、自らも軍の列に加わったのです。

桂 久武のひ孫 桂久昭さん

西南戦争の戦死者が眠る南洲墓地で手を合わせる、桂久光のひ孫、桂久昭さん。
この日は月命日。子孫たちが集まりました。
久武は、なぜ突然意を翻し出撃に加わったのか、桂さんはこのように考えます。

若者の顔を見た時に、この人たちに惨めな戦いをさせたくないという気持ちだったんじゃないか

7か月後、二人は最期の日を迎えます。力を振り絞り、突撃する久武の体を銃弾が貫きました。

桂 久武が亡くなった岩崎谷

西郷どんとともに生きた47年の生涯でした。
戦いで先陣に立つ久武の姿に、多くの若者が勇気づけられた、と語り継がれています。

西郷隆盛のひ孫 西郷隆文さん

西郷どんのひ孫・西郷隆文さん
久武の生家である日置島津家の墓を守っています。西郷さんは西郷どんと久武の関係をこう語ります。

西郷と久武は同じ性格だったんじゃないか。無私無欲というか、我が無いと。

西郷どんと久武は、似た者通し、同じ志を持ち、最期をも共にした真の「盟友」だったのですね。
西郷どんに生涯寄り添い、若者たちのために尽くした桂 久武でした。

先ほど紹介した、西郷どんの手紙の実物が、黎明館に展示されています。
西郷どんが書いた直筆を、直接ご覧になってはいかがでしょうか!
以上、西郷どんを訪ねてでした。

◀︎ ゆかりの地巡りトップへ  ◀︎ 中薩摩・南薩摩エリアへ
ページ上部へ