西郷どんを訪ねて ゆかりの地巡り

西郷どんを訪ねて ゆかりの地巡り

3 奄美大島 <奄美大島・他 離島>

西郷どんを訪ねて 第六回

西郷の教えを受け継ぐ奄美の人たち

(平成29年9月26日 情報WAVEかごしまで放送)

オープニング

今回のテーマは「西郷の教えを受け継ぐ奄美の人たち」。
奄美の話かと思いきや、今回は少し意外な場所から始まります。

東大・生産技術研究所

東京・駒場にある東京大学のキャンパス!
その中にある生産技術研究所に西郷どんの教えを受け継ぐ人がいます。

大島教授

工学博士で東京大学・大学院教授の大島まりさんです。
血液の流れをコンピューター上で解析し、病気の原因やメカニズムを解明する研究に取り組んでいます。

大島教授と父家族写真

大島さんの父・信徳(のぶのり)さんも東京大学工学部の教授を務めており、
父の後を追うように学問の道を突き詰めてきた大島さん。
そのルーツは、西郷どんも一時期を過ごした奄美大島にあります。

信徳さんは、奄美生まれの奄美育ち。
ふるさと奄美、そして学問を尊ぶ心は父から娘へ受け継がれました。

龍郷町

大島さん一家がなぜ西郷どんと関係があるのか。
それを西郷さんが3年あまりを過ごした奄美大島の龍郷町の歴史から読み解いていきます。

まずはこちらのパネルをご覧ください。

龍郷出身の偉人一覧

本土から離れた島の小さな町にも関わらず、
学問で身を立て、日本の近代化に尽くした人を数多く輩出しているのです。

大島信

中には大島まりさんのひいおじいさんにあたる大島信(しん)さんも。
駒場農学校、今の東京大学農学部で学び、黒糖の生産力向上に尽力しました。

実は、学問に秀でた人を次々輩出した背景には、西郷どんの教えがあるのです。

奄美市笠利町・寺子屋

こちらは西郷どんが奄美の地で開いていた寺子屋跡。
若者を集めて礼儀作法を教えたり、学問の大切さを説いたり、
奄美の地から飛躍する心構えを伝えていたと言われています。

縁側の木

この縁側の木は当時のものがそのまま残っています。
西郷どんは、この縁側に腰掛け、奄美の若者たちを叱咤激励したのかもしれませんね。

西郷どんの寺子屋があった地区では、いまもその名残が残されています。

公民館

こちらは地区の公民館。

学舎の文字

看板には公民館ではなく「学舎」の文字。
ここでは人が集う場所は、すなわち「学び舎」だったんですね。

柱

こちらは西郷どんの開いた寺子屋から移設された柱です。
西郷どんは、よくこの柱を背に若者たちを見つめていたといいます。

「いつか大きく羽ばたく日を夢見て、日々、学問に打ち込む。」
この柱とともに西郷どんが奄美に残した精神です。

そして西郷どんの教えを今に受け継ぐ人々。

大島教授

最初に紹介した、東京大学の工学博士として研究に打ち込む大島まりさん。
西郷どんから、ひいおじいさんをへて、父、そして自分へと受け継がれた、
我慢強く、勤勉に学問に打ち込む精神を、今度は自分が伝えていきたいと考えています。

大島教授コメント

「私自身も研究をしながら、やはり教育でいろいろな後輩や若い人に、何らかの形で、いわゆる次の世代を担うリーダーであったりとか、次を担う方として何らかの形で携わることができるとうれしいかなと思いますね」

西郷どんが亡くなって140年。
奄美で開いた寺子屋から始まる学問を尊ぶ心は、これからも世代を超えて引き継がれていきます。

奄美では、「島を守るのは文明という名の武器であり、文明の武器とは道理を弁明する学問である」という言葉が伝わっています。その言葉の元になったのも、西郷さんの教えなのかもしれませんね。
次回もお楽しみに!

◀︎ ゆかりの地巡りトップへ  ◀︎ 奄美大島・他 離島エリアへ
ページ上部へ