西郷どんを訪ねて ゆかりの地巡り

西郷どんを訪ねて ゆかりの地巡り

3 鹿児島市(鍛冶屋町) <中薩摩・南薩摩>

西郷どんを訪ねて 第五回

西郷どんと顔の謎

(平成29年8月15日 情報WAVEかごしまで放送)

「西郷どんを訪ねて」、今回のテーマは「西郷どんの顔」です。


こちら西郷どんの三つの銅像の写真です。右が東京上野にある西郷どん、真ん中が、おなじみの鹿児島市・城山の西郷どん、そして左が、霧島市にある西郷どん。それぞれ表情が違いますよね。
東京上野、城山、霧島の西郷どん像

ちなみに、上野の銅像の除幕式のときに、妻のイトさんが、 「うちの主人は、こんな人じゃなかった」と言って腰を抜かしたという逸話があるそうです。
この言葉は、「うちの夫(西郷隆盛)は、こんな浴衣姿で人前に出る人ではなかった」という意味だった、と解釈されていますが、西郷どんの顔については、亡くなって140年がたつ今でも高い関心を呼ぶ歴史ミステリーになっています。 西郷どんは、実際には、どんな顔をしていたのか? その謎に迫りました!

西郷どんのお面

西郷どんのお面をつけ、やる気満々の内さんがやってきたのは、現在「西郷どんの顔展」が開かれている鹿児島市の「維新ふるさと館」です。
上の画像は軍服姿の西郷どん。下は、西南戦争を描いた浮世絵の西郷どん。一般的な西郷どんのイメージとは大きく違いますね。

軍服姿
西南戦争を描いた浮世絵

これらの肖像画は西郷どんが亡くなってから描かれたものばかりです。
西郷どんの本当の顔が見てみたい!! そんな好奇心から、これまでも西郷どんの写真を見つける努力が続けられてきました。

西郷どんとされた写真の一つ

西郷どんとされた写真のひとつ。がっしりとした体型は西郷どんのイメージと重なりますが・・・残念! この人物は薩摩藩出身の武士で、西南戦争で戦死した永山弥一郎(ながやま・やいちろう)という人物。西郷どんの影武者だったという説もあります。

幕末英雄集合写真
西郷どん?

つづいては、こちら。坂本龍馬や桂小五郎ら幕末の英雄たちが集合したすごい写真・・・と称されたもの。中央のこの人物が西郷どんだとされました。しかしこれもバツ。維新の志士の集合写真ではなく、佐賀藩が設立した学校の学生と教師の記念写真と言われています。

小田原写真

(小田原写真)。
最後にこちら。右端に座っているかっぷくのいい人物が西郷どん? だいぶイメージと違いますね。
これも薩摩藩の医師、小田原瑞哿(おだわら・ずいか)という人だという説が有力です。

キヨッソーネの肖像画

写真が見つからないなか、多くの人が西郷どんの肖像画を描いてきました。教科書などでもよく使われる有名なこちらの肖像画。イタリアから招かれた技師キヨッソーネが明治16年に描いたもの。しかし、キヨッソーネは西郷どんには会ったことがありませんでした。

石川静正筆 西郷隆盛 肖像画

こちらの肖像画は黎明館が所蔵している肖像画。いまの山形県の鶴岡市、当時庄内藩といわれていましたが、庄内藩の石川静正さんという方が鹿児島に来られて実際に西郷さんに会って、後に西郷さんを思い出しながら描いた肖像画だそうです。実際に西郷さんと会った人が描いた肖像画っていうのはすごく少ないそうです。
また西郷さんの奥さんのイトさんや息子さんたちにも意見を聞いて作成され、しかも褒められたそうです。

でも、どうして西郷どんの写真は残っていないのでしょうか? 実は、当時、写真が大流行していました。新政府の高官たちは、こぞって名刺代わりに自分の肖像写真を配っていたんです。でも、西郷どんは、この風習を「栄達を誇る態度」だとして苦々しく思っていたようです。大久保利通が、アメリカから、洋装にひげを生やした写真を送ってきたときも、 「醜態極まりないから、もう写真を撮るのはやめなさい」と返事を出しています。
西郷どんにとって、写真とは、自分が、もっとも嫌う、「自分の功績を誇ること」につながるものだったのかもしれませんね。

もし西郷どんの写真があるのなら見てみたいという思いは当然ありますが、残された肖像画から、想像を膨らませて、皆さんそれぞれの「西郷どんの顔」を思い描いてみるのも楽しいかも知れませんね。
VTRの中で紹介しました「西郷どんの顔展」は、 鹿児島市の「維新ふるさと館」で9月10日まで開かれています。
また、庄内藩の石川静正が描いた西郷どんの肖像画は、現在、鹿児島市の黎明館で常設展示されています。

次回も乞うご期待!

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