Japan Prize 2016

1969年大阪生まれ
コピーライター / CMプランナー
広告会社でコピーライター、CMプランナーとして勤務する傍ら、 WEBで連載している。
「田中泰延のエンタメ新党」では、映画批評コラムを執筆し、コラムニストとしても活躍中。
ツイッター:@hironobutnk

ーーいかがでしたか?

いやあ、出てたスウェーデン人の皆さんには申し訳ないけど、面白いですよね。いわゆる「リアリティショー」なんですけど、ふつうリアリティショーというのは、一般人が、何をもって勝利かという条件を確認して応募する訳ですよね。しかしこの番組は、独裁者、つまり主催者サイドから賞金が出るというふれこみに対して、「どうやったら賞金をもらえるのか」を確認しないままで参加しちゃってる時点で、すでに負けですよね。

ーー自主的についていくんですね。

そうなんです。まずは「ついていく」ことへの「合意」から始まるんです。ここが怖い。

そこからして実際の独裁体制に似てるんじゃないかと思うわけです。独裁者は、はじめは恐怖で人を集めたりはしない。理想の国ができる、いい暮らしができる、私についてこい、って言わないと誰もついていかないですよね。この場合は賞金ですけど、「みんな実はどこかでワクワクしている。

「彼らは自らの意思で境界線を超えた」、これは最後に重要な意味を持ってきます。

ーーそのようにして独裁体制の中に入ることになります。

始まりますよね。黒い服の案内人がいろいろと説明します。わりともの静かなんですよ。ああ、これはそんなに大変じゃないなと。

で、まず食事を与えられる。けっこうちゃんとしたもてなしです。 「独裁体制にしてはまともな食事だ」とみんなまんざらでもないんです。でも、すでに好きなものを食べる権利がないですよね。それに気がついてない。

次に持ち物を選ばせます。この国には物資が不足しているからという理由で。必需品を選ばなくちゃ生活できないのに、化粧品だのに気を取られて、トイレットペーパーと寝具をはずしちゃう。これも、みんなで民主的に「合意」してしまう。ウッカリしすぎですよね。いま話し合ってるからトイレにいないし、寝る時間でもないからそうなっちゃう。これも、モノを制限したら、人間は必ず困った事態に遭遇する、でも自分で決めたんだから、困ったときは「私たちが間違っていました」と反省して、支配者に懇願しなければならない。

さらにそこから始まる手順が周到なんです。広告の仕事をしているから、うまいなぁ、と思うことがたくさんある。

ーー広告の仕事をされている観点から気がつくことがあると。

ええ、いわゆる宣伝と独裁体制については、広告の技法として研究され尽くしています。それが全部出てくる。

●スローガンは簡潔に
1. 外出禁止令を守れ
2. 労働は人生だ
3. お互いを監視せよ

短いキャッチフレーズしかありませんね。くどくど説明したら、どんどんその理由を説明しなければならないし、ツッコまれる可能性がある。こうやって短い言葉にすると、人間は心の中でつい反復してしまう。その結果、刷り込まれてしまうんです。

●かっこいいシンボル

なぜかクリップがかっこいいマークとして至る所に掲げられてますね。単純にビジュアルとしてなんだか良いデザインのようにも見えるし、それがのちの「労働」につながってくる。クリップは、労働の対象であると同時に、つながることで団結や連帯のシンボルでもありますよね。これ、「鎌とハンマー」とか、その国が自分たちのものである、という意識を持たせるためのものですよね。実際は押し付けられてるのに、ありとあらゆる所にあるから「私たちのシンボルだ」と最後は思っちゃう。僕も、ちょっとこのクリップマークのグッズ、欲しくなってしまいました。

●制服
彼らは私服を取り上げられて、制服を着せられますね。でも、あれ、ぜんぜんいいじゃないですかね。小綺麗で。僕たち日本で教育を受けたものは、ほとんど制服を着た経験がありますから、抵抗なく着られますよね。楽勝ですね。でも、日本とは個人とか自由の概念のレベルが違うスウェーデン人たちにとってはどうか。制服は人間の個性を奪って、集団として自分をそこに埋没させる手っ取り早い手段です。チームとしての強さ、連帯感も出ますからひとつの組織としては悪くない面もありますけどね。

ーー宣伝という観点からも、よくできているわけですね。

はい。広告は、ソビエト共産党やナチスの宣伝大臣・ゲッベルスが確立して効果を上げた手法の平和利用(笑)が生きている面もあると思います。飛行機だって原子力だって、戦争に使うか、平和利用するか、人間の技術は諸刃の剣ですよね。古代文明とか、絶対王政の中世とか、独裁/全体主義というのは、大昔からあったと思われてますけど、僕は、じっさいは独裁の手法というのは、20世紀に発達した技術だと思うんです。

ーーそれらのお膳立てのもと、彼らは労働させられるわけですが。

徹底的に意味がないクリップの色分け作業をやらされますね。しかも毒がついてるから手袋をつけろと言われる。毒なんかどう考えてもあるわけないじゃないですか。ただ、ルールを守らないと賞金を逃すかもしれないからみんな手袋しますよね。独裁者は、ホントかウソかわからない、くだらないことから、言うことをきかせる訓練をするんですね。

ここで重要なのは、徹底的に意味がなさそうな労働なのに、スローガンで「労働は人生だ」と書かれてしまってそれを受け入れてる時点でアウトなことですね。なにしろ「人生」なんだから、あきらめ気分がすごいんですよ。で、最初はやりなさいと言われてやってるのに、2日目からはどうも自主的にやってる。賞金のこともありますけど、コトバの力もあるんじゃないか。

さらに、何日目からかは「クリップの歌」まで自分たちで作って嬉々として歌いながら作業する。もう働かせる側からしたら笑いが止まらないですよね。

こんなことになっちゃってる職場、会社、たくさんありそうですね。ブラック企業というものがなぜできるか。職業選択の自由がある社会では、経営者が奴隷みたいに人を連れてきて働かせるのは不可能ですね。「今よりましと思える未来」「自分で意思決定して就職」「言葉の力でコントロール」の3つが揃わないと成立しないはずなんですよ。

ーーほかにも小道具はいろいろありますよね。

そうですね。名前を剥奪されて、ナンバーが与えられます。これも周到に個人を消す意識に寄与します。まさか仲間たちは番号では呼び合わないけど、向こうからしたら番号なんだ…あれ?どこかの国でも最近、国民にナンバーが割り当てられたよな、って思う瞬間ですね。

ーーすこし脱線してますね。

あらら。スウェーデンの話でした。あとはそうそう、アンケート。あくまで民主的だぞというポーズは崩さないんですよ。独裁者も。でも、満足してるか?と質問されたら、みんな賞金が欲しいから「満足してます」と答えちゃう。

番組内で、イラクの独裁体制下の選挙では、立候補者は現職のサダム・フセイン大統領だけだった、投票率は100%で全員がサダム・フセインに投票した、っていう、もう笑っていいのかどうなのかわからない事実が紹介されますね。

少しでも正直に不満を書いた者には、赤いシールが貼られてしまいます。それがどういう不利につながるのかは一切教えてくれない。無言の恐怖ですよね。で、また彼らは労働にいそしむ。

ーー労働に関しては脱落する参加者も出てきますよね。

反抗的な態度を示した一人が、いきなり「消える」んですよね。なんの説明もされない。それは最初の敗者かもしれないし、みんな、ひょっとしたら、反抗して出て行った者こそ、このレースの勝者かもしれないという疑念をもちながらも、何の説明もないし、日常は続くのでだれも身動きが取れない。これが実際の独裁体制だったら、勝者どころか、殺されている可能性もある、その恐怖と疑心暗鬼がまた参加者を労働へ向かわせてしまう。

で、また独裁者はうまいんですよ。残った者に褒美として寝具を与える。仲間がひとり「消された」というのに、枕と掛け布団をもらえたことで「今日はとても幸せ。ライバルも1人減った」とか言い出す始末です。

しかし、相変わらず独裁者の姿も形も見えないし、クリップを色分けさせる理由も、働いた評価基準も分からない。

なのに、中間管理職である黒服の案内人だけはキッチリ仕事をしてくる。苛立つ状況ですよね普通は。でも、独裁者が最後は誰かにお金、報酬をくれる、と思いこんでるから、顔も見えない独裁者に期待をかけてしまう。気に入られようとしてしまう。

真綿で首を絞められるように時間が過ぎて行くんですが、見事に飼いならされていく。目の前の不満や、中間管理職への不信はあっても、その上にあるものには怒りを向けない。

ーー上には怒りが向かない中で、横の対立が表面化してきます。

体制批判は忘れて、イライラは仲間に向くんですね。内紛がストレス解消になるんですよ。それがアフリカ系移民のファンナと、どうやら高等教育を受けていないらしいカロリーヌの対立につながる。これ、よくある図式じゃないですか。とても象徴的ですね。判断基準もないのに、お互いに正義を主張する。つまりヘイトスピーチですよね。その間に独裁者の行為が正義か悪かは、どうでもよくなるんです。独裁者にとっては、してやったりの状態ですね。

ただ、わたしたち日本に生活するものには分かりにくい、スウェーデンの移民とか、社会的階層についてもう少し説明が欲しかったですね。

ーーいろんな人種、階層の人がいることが対立の原因になっている。

そうなんですよ。スウェーデンには、アラブ系の移民もいる。アフリカ系の難民もいる。高等教育を受けたものも、そうでない者もいる。彼ら彼女らがひとつの国で暮らす軋轢をも、独裁者はチャンスと見て利用している。

ーーしかしその軋轢が独裁者から目を逸らす材料となると同時に、あまりに揉めると、集団が分解する危険がでてくる。

するとまた、うまいんですよ!「おまえらだけじゃないんだ。他のグループもいて、労働の成果を競ってるんだ」と伝える。するとまた団結する。ほんとかウソかわからないのに、ねえ。

ーー独裁者は、支配する集団を孤立させながら、他の集団との競争をほのめかすんですね。

巧妙ですね。独裁者の姿も、競争相手の姿も、全部参加者の心の中にしかありません。で、あるのかないのかわからない敵チームより能率が良かったぞ、と急に褒美としてケーキを出してくる、そのときの全員のあの喜びっぷりが爆笑ですよね。もう全然だれも自分の人生を生きてない。

挙げ句の果てに「本当はほかのチームなどない」と教えられる。怒るところでしょ、ここ。騙しですよ!でもむしろホッとしている。

ーーたった8日間の実験でそこまで人間が変わってゆく。

1969年、アメリカ・カリフォルニア州のカバリー高校の授業で、ナチス政権下のドイツの独裁体制、全体主義を教えようとして疑似独裁体制をクラスに敷いたところ、月曜から金曜までのたった5日間で生徒たちは熱狂的な全体主義の支持者になって暴走しはじめました。これは『ウェイヴ』というドイツの映画になりました。

また、1971年に行われた有名なスタンフォード監獄実験でも、たった6日間で人々は与えられた役割を忠実にこなす冷酷な人間に変わってしまいました。あまりに実験が危険すぎて、2週間の予定が6日で中止です。こっちも、『es[エス]』いうドイツ映画になりましたよね。

マインドコントロールの手法、手順を正しく行えば、あっという間に独裁体制、全体主義は成立してしまうんですよね。

ーー映画という娯楽メディアを通して、人々は繰り返し独裁の危険を訴えてきましたね。

はい。このテレビ番組も、それら独裁の成立過程のひとつのフェイズを示しています。最近、公開された映画、『帰ってきたヒトラー』、これもドイツの映画なんですが、まぁ、ドイツはナチスの時代を経てますから繰り返し映画で警鐘をならしますよね。

この番組も含めてそれらを並べると、独裁体制への道筋が時系列に浮かび上がるんですよね。

『ウェイブ』は独裁者の周りに武装集団や
熱狂的な支持者ができていく過程

『帰ってきたヒトラー』は独裁者が民衆の不安や不満を言い当てて
「民主的」に政権を奪う過程

『es[エス]』は独裁政治を支える血も涙もない
命令の実行者を作り上げる過程

そして最後にこの
『独裁者の部屋』は、完成したシステムのもとで
民衆が独裁の奉仕者になってしまう過程

の4つのフェイズですね。

ユダヤ人学者、エーリヒ・フロムが『自由からの逃走』という著書でそのメカニズムを明らかにしたように、国民が自由で民主的だからこそ、選んでこの道を進む可能性があるんですね。

ーーそういう警告や、研究があるのにやはりこの若者たちは言いなりになってしまった。

うーん、これはね、まずいんですよ。ハッキリ言って、「勉強する」しか独裁を防ぐ方法はないんですよね。最初に、案内人は「娯楽は、本ならある」と伝えます。

ジョージ・オーウェルの『1984年』『動物農場』、ウィリアム・ゴールディング『蝿の王』…めっちゃ親切ですよね。ぜんぶ独裁や全体主義を戯画化して皮肉った小説ですよ。ほんとうの独裁体制だったら、発禁処分になる本ばっかりですよ!それを各人が外出禁止ですることない時間に読めば、この体制はおかしい、どうやって集団で駆け引きすべきか、もしくは、そもそもこんな実験に組み入れられたこと自体が間違ってると気がつくはずなんですよね。でも、知識を得ようとしない。

状況に流されずに、自分の頭で考えることが独裁制打倒への道なのに、だれも学ぶ方へ手を出さない。

ーー案内役は、わりと親切なんですね。

そうです。ヒントは時々くれてるんですよ。騙し役なんだけど、騙す前に常に確認してくれてる。

でも、建前上は決まったことしか言わない。あの黒服の案内役が参加者にとっての、放送局とかですね、新聞とかですね、唯一の情報源だとしたらものすごく恐ろしい。「私も限られた情報しか与えられてない」といいながら、参加者は彼の話を聞くしかないわけですから。ここではメディアの危なさが問われてるんです。

ーーその案内役の誘導で最後の8日目が終わります。

とうとうラストのネタバレになっちゃいますけど。ここが見事なんですね。案内役は、「騙し役なんだけど、騙す前に常に確認してくれてる」と言いましたが、ここでもそうなんです。彼は「最後の場所に向かってもらう」と言いました。参加者は、これで終わりだ〜、と思うからもうなんの疑いもなく「自分で」境界線を超えます。

最初も、途中も、一度も賞金をもらえる条件を確認しなかったのにこれではダメですよね。失格と言われても反論できない。

また、「最後の場所」って、実際の独裁体制なら「死に至るほどの労働が待っているさらなる収容所」か、「利用価値終了とみなされてガス室送り」かどっちかですよね。おうちに帰ってくださいとも、これで終わりだから誰かにお金あげますとも、ひとことも言ってないんですよ。

しかも、8日間太陽の光すら見ることができなかった参加者は、久しぶりに外へ出て、日の光を浴びて、ウキウキとバスに乗って、賞金どころじゃなくなってしまいます。

そもそも、はじめからなにかが転倒している。だからこそ、賞金などないのではないか。この番組はリアリティショーではなくて、「賞金をもらえると騙されて、独裁体制に取り込まれてしまう人間を描いたドキュメンタリー」だったんじゃないかと思えるラストですよね。

ーーでは、この番組には、勝ち、とか賞金などないと?

最後の案内人の「彼らは、自分の意思で境界線を超えた」というナレーションは、出て行くときのことじゃないんですね。参加して、ここに入ったときのことなんですよ。最初から負けなんです。

ーーじゃあ、参加者は騙されて終わりなんでしょうか。

まだまだ終わってないですよ。こんなもんじゃないはずです。ぜったいパート2がきますね。いや、永遠に続く番組として存在してもいいかもれない。「独裁者の部屋シーズン14」とかぜんぜんありえますよ。

それに、謎のままのこともたくさん残っています。使われなかった尋問室と謎の車椅子とか、クリップのマークに書かれた謎の数字とか、それにルールの3番目、「お互いを監視せよ」にまでは実験は行き着いてない。

まだ続きはある、さらに賞金は倍、とか言い続ければどこまでもついていく参加者はいるんじゃないですか。だから僕はあのメンバーは今日もどこかで働かされているかもしれないと思っちゃうんですよね。

ーー永遠に続く!ではどうやったらその状況が終わるのでしょう。

案内人は、最後の最後に「戦わない限り、独裁体制はなくなることはないだろう」とナレーションします。なぜ蜂起しないのか?それは最低限の衣食住は保証されているからです。そして独裁者に逆らうか、なびくか、最終的にどっちが自分を生かすことになるのか判断できないからです。ただ、先に言ったように、過去の歴史や知識から学べば、独裁との戦い方も組織化できるはずです。
でも、終わってほしくないんですよね。

ーーえ!終わってほしくない?!

残った5人に、どうやってもっときつい労働させるか、どうすればお互いに密告し合うようになるか、そればっかり考えてしまいます。これがこの番組を見続けて、自分自身が一番恐ろしいと思ったところですね。もう、僕がどっちかというと独裁者の目線で見ていたという。

でも、相手がもし日本人だったら、全然なんでも耐えられそうで、こっちが音を上げるかもしれない。

ーー日本人なら楽勝じゃないかと?

この番組は日本賞を受賞したわけですが、学生服を当然と思って着て育ったり、「社畜」なんて言葉を自虐的に口にする僕らからしたら「日本なら楽勝で賞」に感じるかもしれません。日本人が独裁になじむ国民性であってほしくないし、この番組をみて、常に勉強した方がいいですよね。「独裁者の部屋シーズン26」とか。まだやってるって(笑)

Swedish Educational Broadcasting Company (UR)/Art89

▲TOP