日本賞について
「日本賞」誕生
1965年、第1回の日本賞が開催されました。その前年に開かれた「世界学校放送会議」の最終日にNHKの阿部真之助会長が、「放送番組の質的向上を目的とした各種の国際コンクールの多くは、芸術・芸能の分野に属するものであり、学校放送をはじめとした教育・教養では必ずしも十分でない」として、日本における放送開始40周年を記念し「教育番組の国際コンクールを創設、その優秀作にNHKから『日本賞』を贈ることにしたい」と提唱しました。会場は大きな拍手に包まれ、この提案は参加者に熱く受け入れられました。
「日本賞」の趣旨は、その後ABUアジア放送連合(現在のアジア太平洋放送連合)や、EBUヨーロッパ放送連合の総会でも支持され、「日本賞」教育番組国際コンクールの歩みが始まりました。
第1回「日本賞」
第1回「日本賞」教育番組国際コンクールは、1965年10月11日から21日までの11日間、東京のNHK放送センターで開催され、「各国の教育番組の向上を図り、国際理解と協力を増進する」という日本賞の趣旨に賛同した世界の放送機関から、ラジオ95、テレビ90、合わせて185本の作品が参加しました。参加国の中には旧植民地から脱して独立国となったアジアやアフリカの国々も多く含まれています。以来、教育による国づくりを進める国々にとって「日本賞」は大きな刺激、そして目標になってきました。
時代の変化に対応
日本賞は、時代や教育コンテンツの変化に合わせて変わってきました。
・1972年第8回までのNHK地域局会場での開催(計5回)
・1974年の開催休止(翌1975年の3月開催、1977年の2月開催、1979年から1989年まで6回の隔年秋開催を経て、1991年の第18回から現行の毎年開催に復帰)
・1991年(第18回)のラジオ番組教育番組部門廃止
などが前半20回の主な変化です。
後半の20回はメディア事情の急速な変化に合わせて、賞の根幹にかかわる変更が数多く行われました。
・1990年代は「部門」(現在の「カテゴリー」)の統廃合が繰り返し試みられ
・2008年:審査対象を「教育番組」から「音と映像を用いた教育コンテンツ」に拡大
・2010年:「革新的なメディア活用に挑んでいる優秀なノンリニア作品」に贈る「イノベイティブ・メディア賞」を新設
・2012年の「IPCEM教育コンテンツ世界制作者会議」のスタート
などを試みています。
デジタルメディアへの注目
日本賞はデジタルメディアを駆使した作品に早い段階から注目してきました。その結果、オンラインゲームで子どもたちが協力しながら問題を解決する教材や、インターネットを通じて多角的に歴史を学ぶサイトなどの受賞作品が世に出ることで、情報技術の進歩が教育を大きく変えつつある現状が浮き彫りになっています。
世界の仲間が集うフォーラム
初期の段階から日本賞の会期中には、世界から参加した応募作品の上映会や、制作者や研究者が議論するセッションが行われてきましたが、現在はこれらのイベントをIPCEM(教育コンテンツ世界制作者会議)としてまとめ、さまざまな分野の専門家が教育コンテンツの最新トレンドや、メディアが果たすべき役割、教育の将来像を語る場として新たな歩みを始めています。

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