原作者:辻堂魁 × 主演:向井理 スペシャル対談

原作者:辻堂魁 × 主演:向井理 スペシャル対談

いよいよ放送が始まった『そろばん侍 風の市兵衛』。スタジオ収録の現場を訪れた原作者の辻堂魁さんと主演の向井理さんに、市兵衛の魅力を語り合ってもらいました。

辻堂魁 写真

辻堂魁(つじどう かい)

1948年、高知県生まれ。出版社勤務後、2008年、60歳の時から作家活動に入る。2010年に書き始めた『風の市兵衛』はシリーズ20巻を超え、なお続刊中。

『風の市兵衛』は究極のエンターテインメント

辻堂 撮影は如何ですか?

向井 まずやることがいっぱいあって、大変でした。(笑)立ち回りと、そろばんと、その計算内容の説明と。そろばんを弾きながらセリフで説明していくのが想像以上に難しかったですね。そろばんが今のものと形が違っていて、珠の弾き方は一緒なんですけど、下段の珠が4つでなく5つあったり、上段の珠がふたつあったり。また江戸後期が舞台の作品だと町人文化を扱うものが多いですが、この原作には経済とか今までに無い要素が盛りこまれていて、新鮮ですね。

辻堂  文化文政期は町人文化の爛熟期で、もう町人中心の社会になっている。そうした中で、本来支配階級である武士の立場にある人がどう生きるのかを考えました。そろばんやる人って強いってイメージがないじゃないですか。そろばんを生業として町人のように生きる侍が、逆に昔ながらの侍の誇りやら潔さやら、そういうものを持っているという落差を小説の中で出せれば、読んでいる人に意外感を持ってもらえて面白いんじゃないかと。

向井  時代物ですが堅苦しくなく、スピード感があってわかりやすく、すごくエンターテインメントな原作だと思いました。

リアリティのある殺陣を追求

辻堂  殺陣はどうでしたか?

向井  よけることの方がもしかしたら多いかもしれません。刀を抜かずに、半分くらいはよけてましたね。もちろん抜く時は抜いて斬りますが、手数はなるべく少なく。強い人ほどそうなんじゃないでしょうか。去年も時代物の、立ち回りが多い舞台をやっていて、そのために日本舞踊とか殺陣の稽古をしていましたので、それが生かされていると思います。

辻堂  殺陣と言うといまは割と合成を多用して、立ち回りもちょっとアクロバティックになって来ていますが、私の若い頃はもっとアナログでリアリスティックでした。原作では、オーソドックスでありながらも、すごいと思えるような立ち回りを描きたかったんです。

向井  インする前に監督と話して、例えば納刀するときに縦にするか横にするか、或いはもっと回したりして納刀するかとか、納刀の仕方や抜刀の仕方、構え方とか、いろいろ提案しましたが、結局オーソドックスが一番だということになって、原点に戻りました。王道で行こうと。やはり突き詰めれば教科書通りにやるのが一番強い筈ですし、小技を使うよりどっしり構えている方が強く見えて、格好良い。そのシンプルな中で強さを表現していくために、よけるにしても立ち回りにしても回転する動きは多く取り入れていますが、構えとかいわゆる太刀筋に関しては基本に忠実にやっています。その上で、動きが速かったり気づいたらいなくなっていた、というような表現で強さを出したいと。

そろばん侍 風の市兵衛

辻堂  立ち回りを描く時は、例えばボクサーの言葉なんかを参考にします。長谷川穂積さん(ボクシング世界3階級制覇の元王者)が言ってたんですけれども、パンチを打つときは切れとタイミングだと。殺陣、斬り合いも恐らく一緒なんですよね。それからある本に書いてあったのは、人を斬るときは鍔(つば)で斬れと。鍔で斬るというのは、そこまで自分を捨てて踏み込まないと人は斬れないんだということです。それで、普通はあり得ないような間まで近づいて打ち合うことにする。そういう距離感を読んでいる人に少しでも感じて欲しい。それから肉を斬り骨を断つという感触。そういうことがこの小説の中でどうやって描き出せるか、いつも考えています。

向井  去年の立ち回りの舞台のときに先輩の俳優さんが、立ち回りは台詞だからということをおっしゃっていて。

辻堂  ああ、なるほど。

向井  一筋一筋に意味がある、ただ打ち合っているだけじゃ意味が無いと。例えば相手と刀を交わすにしても、自分がいま攻めているのか、それともねじこまれているのかってことを、台詞は無くてもちゃんと表現していかないといけないと言われて。確かに見ている人に伝わって初めて成り立つ仕事ですから、受け売りですけれども僕もそれをなるべく殺陣経験の余りない共演者にも伝えようとしています。斬るときに、切っ先で斬るのと踏み込んで斬るのとでは違うと思うんですよね。もちろん人なんて斬ったことないですけど、その辺りを想像しながらやっています。

辻堂  原作では雨のシーンも割と多いんですけれども、そういうシーンもあったんですか?

向井  まさに今日、休憩後に雨降らしです。(笑)みんなびくびくしています。どうなるんだろうと。

辻堂  昔、私が観ていた頃の映画でも、雨や風がことさら激しく描かれていて、それがまた画面を盛り上げる。それが小説にも出ればいいなと思っています。

向井  毎回毎回見せ場がいっぱいありますし、勧善懲悪という昔から日本人の好きなタイプの物語だと思うので、いままでにないドラマになるんじゃないかと思いますね。見たことないような。

決して終わりのない市兵衛的な生き方

辻堂  市兵衛さんを演じられてどのように感じられましたか?

向井  結構謎な部分も多い人だと思いますね。生い立ちとかいままでやってきたことはわかるんですけど、自分が何を考えているのかを語る人ではないので、その謎な部分がどちらにでも振れる。人間的な部分がありながら、斬る時には斬るっていうドライな面もあって、人間っぽさがあるようなないような。まさに「風」のように形がない、つかみどころのない人です。でもそれをどんどん演じていけば見ている人が想像してくれるだろうし、いまこう思っているというのを明確に置きすぎないほうが魅力としては立つのかなと思っています。市兵衛なりのゴールと言うか、信念みたいなものはあるのでしょうか?

辻堂  自分でも、市兵衛さんの目指しているものって一体何なのだろうと思いながら書いてるんですけれども。(笑)これも私の世代的なことが関係するんですが、自分探しの旅に出る映画ってよくあったし、そういう本も多かったんですよね。市兵衛さんを様々な家を渡り歩く設定にしたのは、自分の居場所は一体どこなんだろうということをずっと探して生きている人だから。自分のゴールはどこなんだろうと、常に探し続けるのが市兵衛さんなんです。自分に何か課題が課せられると、その都度その都度全力でぶつかっていく。で、全力でぶつかって解決して、それで終わったかと言うとそうではない。でまた次のところへ行くんですが、ステップが必ずしも上がっていくのではなく、次のところはもっと底辺かもしれないし、高みかもしれないし。そういう自分探しをこの人物に託しています。ある年齢で定年になって、そこから先はこういう人生が待っていてと、決まりきったことのように言われますけど、違うじゃないですか、本当は。小説はもちろん前から書きたいとは思っていたんですけれど、実際に書き始めたのが58歳の時なんですよ。それまでの自分の世界とはまったく違う、新しい自分がまた始まっていく訳です。これもまた悪くない、と。生きているかどうかわかりませんけれども、これは70台になったらまた違うものがあるだろうし、80台にはさらに違うものがあるかも知れない。それは向井さんも当然そうですしね。

向井  はい。

辻堂  いまの自分が、自分の終点とは限りませんからね。それを追求していく過程が唐木市兵衛という生き方かな、と思ってます。

向井  多分何かが足りない、ぽっかり穴が開いている人のような感じがしています、いま演じていて。色々なことを経験していて、その時どきは面白がるんでしょうけど、それでも常にここじゃない、また違うところへ行ってみようと思うのには、満たされない何かがあるんじゃないかと。

辻堂  あるでしょうね。昔は旅がらすはね、生涯旅をするわけです。お遍路さんは生涯、お遍路さん。その人たちはある村ではそこでの暮らしをするけれど、いずれまた次の村へ行かねばならない。これは市兵衛さんの暮らしも生き方もそうです。どこかで終着点みたいなものがあるとすれば、それは自分が書けなくなった時かな。

向井  ちょっと楽しみですね。どうなっていくのか。

辻堂  それにして向井さんのお顔立ちはスッとしていますね。私たちの世代は顎が張った人ばかりなんで、市兵衛にはそういう人をイメージしていたんですけど、今日見てそのすがすがしさに感動しました。きれいだな、と。

向井  いえいえ。でも13歳までとはいえ、目付の家に生まれた育ちの良さっていうのはやっぱり身につくものだと思うんですよね。そういう高潔さみたいなものは、どんな状態であっても常に漂わせておかないといけないのかなと。必ずしも伝わらなくていいんですけれど、姿勢であったり歩き方だったり目線であったり、そういうところでそれがにじみ出るよう心がけています。

そろばん侍 風の市兵衛

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