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函館の魅力を人力車で伝える22歳

  • 2024年4月3日

今年1月、函館市の人口は、24万人を割りました。 23万人台となったのは、およそ50年前、函館市が亀田市と合併する前の1973年以来です。 中でも若い世代の人口流出が課題となっています。 そのような中、この春大学を卒業した函館ゆかりの若者たちはどんな進路を選んだのでしょうか? 今回は大学進学を機に函館に来て、この春函館で社会人となった方を紹介します。 

函館市の若者減少の現状はこちらから

愛車は人力車

観光地の朝は早く、7時ごろから準備を始めている人も。
車夫をしている、林諒芽さんです。
恵庭出身で、この春、函館にある大学を卒業したばかりです。

林さんが大学に入学したのは2020年、コロナ禍のことでした。
家と大学の往復だけが続く状況の中で、大学生活を充実させたいと1年生のときに始めたアルバイトが人力車夫でした。そしてこの車夫の仕事を卒業後も続け、函館に残ることを決めました。

朝9時の朝礼を終えたら、相棒の車「土方」とともにベイエリアに向けて出勤します。

様々な勤務形態がある中で、林さんは歩合制の働き方を選んでいます。
…となると、当たり前のことですが、収入を増やすためにはたくさん走らなければなりません。体調管理も重要です。
そして冬はお休みしていると思われがちですが、1年中、雪道でも走っています。

客の満足度が自分の評価にもつながるため、学生時代は苦手だった歴史も勉強。大学生の間に通訳案内士の資格も取り、ガイドの腕を日々磨いています。

函館のお気に入りポイント

恵庭出身ですが、函館に残ることにした林さん。
函館の何が残るという選択につながったのでしょう?

① 歴史

一つ目は、人力車でよりよいガイドをするために学んだ歴史でした。
日本の歴史においても大きな転換点である箱館戦争のゆかりの地であることや、開港都市としての歴史を知ったことで、町の見え方そのものが変わってきたといいます。

林諒芽さん
歴史を知ると、建物が喋ってるようにも見えてくるわけです。函館は荒波の中、動乱の中でいた町であるということがわかって、函館が「自分の町」であることが誇らしくなりましたね。「今どこに住んでるの?」と聞かれて「函館です」ってやっぱり言うのが誇らしいです。

② 函館の人の優しさ

さらに、人力車を通じてわかったのが、函館の人のやさしさだそう。

林諒芽さん
僕らの商品は函館の景色です。走っている間に「おー頑張ってるね!」「いってらっしゃい!」と言っていただけること、それ自体がお客様にとって嬉しいことなんですよね。
人力車をやっていると、地元の方にも観光の方にも、一緒に喜んでもらえるんです。そういう風に自分が「やっていてよかったな」と思える瞬間がすごく多いです。

大学で教員免許を取得していた林さんは、先生になるという選択もありました。
2、3度、本当にこのまま人力車のお兄さんになっていいのか、新卒カードがあるのは今だけだけど普通に就職しなくてよいのか…と悩んだそう。
「人力車と函館が好きだ」と思えたからこそ、車夫を続けるという選択ができました。

林諒芽さん
大学生活だけでは絶対に知りえなかった函館のちょっと深いディープな魅力を知ることができたので、やっぱり函館が好きだと胸を張って言えるんだと思います。
「なんで好きなの?」と聞かれたときに「住みやすいから」「食べ物がおいしいから」だけではなく、ほかの理由でしっかり説明できるようになったのはすごくよかった。
函館は「僕の家」「第二の故郷」みたいなものです。大学生活終わって出ていく学生も多いですが、やっぱり自分がいてすごく心地がいいからこそ、これからも住みたいって思えるんでしょうね。

こうして、この4月から、函館で社会人生活をスタートさせました、
これからも函館を走り続けます。

【取材後記】報告:高橋葉
林さんが、自然と函館を「自分の町」と表現していたのが印象的でした。背中に「函館」の二文字を背負って日々町を走っているからこその発言だったのだと思います。
私が人力車に乗ったのは、この2月、函館が初めてでした。普段は絶対にない「ガイド付き」の案内を通じて、見慣れたと思っていたベイエリア~西部地区の町並みがまた違って見えてきました。だからこそ、林さんは、地元の方にこそ乗ってほしいと思っています。機会があったらぜひお試しください。

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