震災×未来=? PROJECT

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あの瞬間の様子を書いた方々の「ワタシにとっての震災とは」

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  • メッセージ
  • 15年前、友達からSOSの電話が入り、水色ビニールシートとウェットティッシュ、50ccのバイク、少しの食糧を持って駆け付けました。いろいろありましたが、助け合いまた15年目を迎えることができました。ありがとう。
    神鍋山の住人より
  • メッセージ
  • 震災時、大阪で大学に通っていた。被害にあった友人たち、崩れ落ちたあの場所を見て、何もできなかった。何かしなければ…。初めてボランティアに関わった。毎日のあたり前の生活、暖かい部屋、もう一度感謝することを忘れずに伝えていきたい。
    神戸商業高校教員 兵庫区 36才
  • メッセージ
  • 震災後、家の中はメチャクチャ、不安の中、近所の方と声をかけあい、無事を確認、屋外から救護の消防車、救急車、又ボランティアの人達の真心。人の心の温かさを感じました。
    神戸商業高校
  • メッセージ
  • 兵庫県南部地震の体験者です。当時私はまだ10歳くらいでしたが、とても怖かったのを今でもよく覚えています。水もガスも電気も長い間使えず、本当に大変でした。家族全員命が無事でよかったです。けれど、亡くなった方は大勢います。地震は、本当におそろしいです。本当に…。もう二度と来てほしくないです。みんながこの先ハッピーに暮らせますように。
    平原未央
  • メッセージ
  • あの日、間一髪の差で降りかかってきたテレビをよけたから”今”がある。その“今”を感謝しながら、これから続く“今”という瞬間を生き抜いていきたい。これからも、あの震災を出来るだけ風化させないように。
  • メッセージ
  • “私にとって震災とは“寝室から走ってきて私と姉に覆い被さり守ろうとしてくれた父と母の姿。思い出すたびに親の愛を感じます。
    鈴木志歩
  • メッセージ
  • 誰にも起こりうることを、急激に思い知らされた出来事でした。少しでも何か役に立てることを!一生懸命考えた人が多かったと思う。人の力が生まれた日。
    大阪府池田市 Shizuka Ito
  • メッセージ
  • 兵庫出身の40歳です。震災当時、東京に居て、直後に駆けつけた、神戸の街は見るも無惨ものでした。15年の年月がたち、復興した神戸に帰ると、いつも勇気や元気をもらいます。
    長野市 松山利昭
  • メッセージ
  • 消防に変化をあたえたもの、自分の意識を変えたものです。その時は現場に行きたいと感じましたが、中越地震で実際に被災地を見ると、もう二度とあってはならないものだと感じた。
    長野市 丸山徹 45歳
  • メッセージ
  • あの朝、中3の担任の仕事をして徹夜あけでした。枚方市でも、ただごとならぬあの揺れ、恐ろしさ!思わず2階の子ども部屋へいきました。生徒たちももう30歳になるんですね。あの体験は「モノは壊れる」と思わせました。
    枚方市 和美 55歳
  • 震災×未来=?とは
  • 西川 亮 + 萩原 盛之
  • 震災犠牲者聞き取り調査会
  • 関西学院ヒューマンサービスセンター
  • ユース震災語り部
  • つくば開成高校 京都校 ボランティア委員 「ハートテラーズ“命の尊さ伝え隊”」
  • ルミナリエグッズデザインチーム
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