阪神・淡路大震災15年 特集ドラマ 「その街のこども」

NHKオンデマンド


1.17から3.11へ

2011年3月11日、その日は「その街のこども 劇場版」の東京公開の最終日だった。
大きな揺れに上映は中止となり、巨大な津波が東北を襲った。
1.17から3.11へ。この日を境に、阪神・淡路大震災の特集ドラマとして、
この世に誕生した作品は新たな命を授けられたように思う。

3.11以降、「その街のこども」の上映が全国各地の映画祭や劇場で続けられている。
2011年11月、「その街のこども」はオーストラリアで開かれた
日本映画祭の東日本大震災特集に招待された。
上映はシドニー、メルボルンで行われ、井上剛監督とともに参加した。
暗い画面、早口で膨大な日本語のセリフ・・・
外国の人に届くのか不安を抱えながらの上映だった。
しかし、それは杞憂に終わったようだ。
勇治と美夏が寄り添うように歩きながら、心通わせる物語はオーストラリアの観客の心もとらえ、
終了後、「サンキュー」と握手を求めてきた人もいた。

夜の街を、ただ語り合いながら歩くことの意味・・・
上映後のパネルディスカッションの中で、私は敢えて日本語で「寄り添う」という言葉を使って説明した。
「healing(癒し)」「suport(支える)」ではなく「寄り添う」という言葉が日本にはあるのだと。
深く傷ついた人々を癒すのは専門家やまわりにいる人だけの役目ではない。
たとえ見ず知らずでも、何もしなくても、ただ、そこにいる、それが力になる。
“寄り添う”・・・それは神戸という“街”が震災を体験して、育んだ知恵なのだと。
そして、その想いは、「その街のこども」にもDNAのように受け継がれている。

今、東日本大震災の被災地でも、数多くの“寄り添い”の物語が生まれているでしょう。
被災地に行けずとも、遠く離れた地で被災された方のことを想うのもまた“寄り添い”なのだとも思う。
被災地が普段の暮らしを取り戻すには、まだ長い時間がかかる。
私たちは寄り添い続けることが出来るのか。
阪神・淡路大震災から15年の歳月を経て、生まれた作品は、そのことを静かに語りかけている。
二日間にわたる海外での上映を通じて、心の中に芽生えた思いがある。
ディスカッションの最後をこうしめくくらせていただいた。

「この作品は、神戸の物語ではなく、数多くの自然災害を経験し、
これからも必ず災害と向き合わねばならない日本という国、
日本人の物語なのです」

この物語を、シンサイが生み出した、かけがえのないものとしてミライに伝えてゆきたい。
願いを込めて、シンサイミライ学校の図書館に、おさめさせていただきたいと思います。

「その街のこども」プロデューサー
京田 光広

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