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平和モニュメントのご案内



(NHK広島放送センタービルの南側にあります。)

このページは、三つのモニュメントの建立時に、広島放送局として何を想い、何を残そうとしてきたかをご紹介しています。
核兵器廃絶と平和についてあらためて考えていただければと思います。


■ ヒロシマの火 平和への灯

■ ヒロシマの火 平和への灯

このモニュメントには、広島平和記念公園の「平和の灯」と福岡県星野村の「平和の火」から分火された、"2つの火"が灯されています。
 
「平和の火」は、1945年(昭和20年)福岡県星野村出身の山本達雄さんが、原爆で亡くなられた親戚の形見として、廃墟となった広島の街から持ち帰った"原爆の火"です。
 
自らも被爆した山本さんは、多くの尊い命が奪われた"ヒロシマを忘れてはならない"と、自宅で絶やすことなく火を守り続けました。
 
その後、1968年(昭和43年)この火は「平和の火」として星野村に引き継がれ、広島から遠く離れた地で、被爆後62年の今も、燃え続けています。
 
NHK広島放送局では、広島平和記念公園と星野村の"2つの火"を合わせ、原爆で亡くなられた方々の慰霊、また核廃絶と恒久平和を願う"ヒロシマの祈りの火"として灯し続けていきます。題字は、書家で被爆者でもある森下 弘さん(広島市佐伯区)にお願いしました。

■福岡県星野村「平和の火」

■福岡県星野村「平和の火」

■平和記念公園「平和の灯」

■平和記念公園「平和の灯」


2007年(平成19年)8月


 

■ 平和への誓い ~被爆放送局の碑~

■ 平和への誓い ~被爆放送局の碑~

1928年(昭和3年)に完成した初代の広島放送局は、爆心地から約1キロメートルの上流川町(現在の幟町3-30)にありました。
 
1945年(昭和20年)8月6日、原爆投下により放送局も壊滅的な状態となりましたが、翌日には被災を免れた施設を使って放送を再開しました。放送局は、翌年秋には修復されています。
 
広島放送局はその後、1960年(昭和35年)に現在の大手町に移転しましたが、被爆した旧局舎は、1997年(平成9年)に老朽化により解体されるまで、福屋百貨店幟町別館として利用されてきました。
 
広島放送局では被爆60年にあたり、被爆地の放送局として、核兵器の恐ろしさを世界に伝え、恒久平和の願いを永遠に受け継いでいくことを誓い、このモニュメントを建立しました。
 
このモニュメントには、被爆した同建物の縁石の一部を保存していますが、二つの石は原爆の投下された「午前8時15分」 を表しています。

2005年(平成17年)8月 建立


 

■ 原爆之碑

■ 原爆之碑

広島放送局は、1945年(昭和20年)8月6日の原爆投下で壊滅的な被害を受け、在籍職員260人中34人がその日のうちに亡くなりました。
 
生き残った職員らが懸命に復旧作業を続け、翌日7日午前9時には放送を再開しています。
 
この「原爆之碑(慰霊碑)」は被爆20年にあたる1965年(昭和40年)に慰霊碑の建立が計画され、翌1966年(昭和41年)3月に完成しました。
 
現在この碑には、その後亡くなった方々も含めて86名を合祀しており、毎年8月6日に慰霊式を執り行っています。
 
製作は広島市出身の彫金家 伊藤 顕さんによるもので「惨禍から立ち上がる人間、過去を悔い祈る人間、そして永遠の平和を培う人間像」を浮彫形式で表現しています。

1966年(昭和41年)3月 建立