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「お好みワイドひろしま」では、7月20日(火)から3週間にわたり、「特集・ヒロシマ2004」(13回シリーズ)を放送。原爆の日を迎えようとするヒロシマの「今」を伝える。 ◆第1週「被爆59年・ヒロシマの課題」 7月20日(火)〜7月23日(金) 被爆から59年。被爆者の痛みを理解できない学生による折り鶴放火事件。保護者の高齢化という重い問題を抱え始めた原爆小頭症患者たち・・・。今なお、残るヒロシマの課題について伝える。 ◆第2週「いま語り継ぐ」 7月26日(月)〜7月30日(金) 被爆者たちは自ら語るだけでなく、原爆の絵を若い世代と共に描き始めるなど、被爆体験を継承するための新たな試みを始めている。 爆心地近くで被爆し奇跡的に生きのびた女性は、2年前から重病の身体をおして平和への思いを語り始めた。そして折り鶴を燃やした学生が在籍する関西学院大学では平和を学ぼうという動きが広がりつつある。被爆の記憶の風化を止めようという取り組みを伝える。 ◆第3週「復興・廃虚から立ち上がった人々」 8月2日(月)〜5日(木) 被爆直後の混乱の中、治安の維持にあたった警察官。3か月後に町内の祭りを復活させた住民、そして新しい広島市のグランドデザインを描いた人たち。復興を支えたのは無名の市民たちだった。憎しみや虚無感を乗り越え、平和を希求した人々の力を見つめ直す。 |
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59回目の原爆の日。犠牲者を悼み、平和を祈る人々の思いと、今なお残る広島の課題を見つめる。 59年が経った今も、新たな事実が明らかになりつつある。今年1月には黒い雨について最新の実態調査の結果がまとまり、被害の広がりが確認された。また、原爆投下後、およそ一万人の負傷者が運ばれた広島市沖の似島では、今年6月、13体分にあたる遺骨が見つかった。しかし引き取り手を探すのは容易ではない。 また、核が無くならない世界の状況のなかで、広島には各国から多くの人が唯一の被爆地の経験と知識を学ぼうと訪ねてくる。イラクからは、アメリカ軍の劣化ウラン弾使用によって増加しているとされる白血病の子供たちを救おうと、医師が研修に来ている。広島にやってくる外国人をみつめることは世界の最新状況を映す鏡でもある。 59年が経ってもなお、見つかる新たな事実と課題、そして世界から注目されるヒロシマの今を伝える。 |
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被爆から59年目の広島はいま、焦りの中にある。平和公園の折り鶴が燃やされる事件を追いかけるように、原爆ドームへの落書きや不法侵入、慰霊碑へのペンキかけといった事件が相次いでいる。平和への祈りの場が、いまや監視カメラで守らなければならない状態となっている。 折り鶴を燃やした学生が在籍する関西学院大学では、本人に限らず、学生たちの多くが被爆の痛みを理解できないことに驚き、外部の講師や被爆者を招いて、「平和学」講座を始めた。しかしその思いは必ずしも若者たちに届いていない。 このままでは被爆の体験は引き継がれていかないのではないか。被爆者を中心に危機感が一層高まっている。被爆者たちの平均年齢は71歳を超え、毎年5千人以上が亡くなっている。爆心300メートル地点で生き残った被爆者の女性は、世界が暴力に覆われる中で今こそ語るべきだと、2年前、沈黙を破った。 被爆59年を迎える広島市の平和記念公園。原爆の子の像に捧げられた折り鶴の前にキャスターが立ち、継承の危機に立つヒロシマの現状を伝える。 |
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「ヒロシマ」を語り継ぐために、今も様々な取り組みが続けられている。その一つが原爆資料館による被爆に関する遺品の収集である。全国から寄せられた遺品は整理され、展示される。一つひとつの遺品があらたな記憶を人々に語りかけてくる。 原爆資料館に、みずからの顔に残っていたガラスの破片を預けた被爆者の女性がいる。家族の思い出がつまっているガラス片を永久に遺したいと願ってのことだった。 自らの被爆体験を語り継ぐ取り組みも続いている。 今年、被爆者の平均年齢は71歳を超えた。病気や高齢で体力を失いながらも、必死にしぼり出す声は深く大きい。 番組では、被爆59年がたってもなお忘れてはならない記憶を語り継ごうとする人々の姿を伝える。 |
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原爆投下から59年。8月6日午前8時15分、広島は祈りの時を迎える。被爆者の高齢化は一層進み、被爆体験の風化は待ったなしの状況となっている。昨年の式典の直前には大学生によって14万羽の祈り鶴が燃やされる事件があり、広島の人々は心を痛めた。 被爆者が生きているうちに被爆体験を記録し、後世に残していくという地道な取り組みが続けられている。一方、世界では核兵器をめぐるひっ迫した状況が続いている。北朝鮮の核開発問題、イランの核開発疑惑、そしてアメリカの小型核兵器研究再開。世界は被爆者の願いとは逆の方向に進んでいる。 広島市の平和記念公園で行われる平和記念式典を中継。原爆投下の時間の爆心地に立ち、ヒロシマの意味を見つめ、核廃絶と平和への願いを世界に伝える。 国際局との共同制作で、2か国語放送および海外配信を実施する。 |
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アメリカ国立公文書館で、被爆直後の広島を撮影した航空写真が多数見つかった。原爆の威力を測るために写された極秘資料である。写真を入手した広島大学は、データをコンピューターに読み込ませ拡大し細部を検証していった。そこで見えてきたのは、廃虚で懸命に生きる人々の痕跡だった。傷ついた市民を救助するため猛火の爆心地に突入した兵士たちの船。市内全域にひろがるテント張りの臨時の救護所。食糧を運んだトラック・・・。 放射線によって人々は次々と倒れ、広島は75年草木も生えない、と言われた。しかし人々は焼け跡に種をまき、焦げた材木を組みたて住みかを作り、生き抜いた。被爆の2年後、アメリカは再び広島の空を飛び、詳細な写真を撮影した。無数のバラック、商店街、路面電車。そこにはたくましく再生している広島が写し出されている。 原爆で決していやされない傷を心と体に負った人々はどのように立ち上がり復興を成し遂げたのか。その道のりをたどる。 |
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