


1180年、治承4年6月2日。
清盛は、ついに歴史を塗り替える行動に出ます。
高倉上皇と安徳天皇を京都から福原へうつしました。 この時、清盛の描いた「福原遷都」が実現したのです。
発掘調査が進む、神戸の遺跡。
そこからは遷都と同時に清盛が推し進めた、福原京建設の実態が少しずつ明らかになっています。
権力者のものと思われる邸宅からは、3つの建物と2つの井戸、さらに区画を仕切る溝なども見つかりました。
同志社女子大学教授の山田邦和さんは、考古学の観点から福原京の実像に迫っています。
山田教授にお話を伺いました。
山田教授
「これは明らかに福原京と言われる都の中の邸宅であったと思われます。
幻と言われている福原京の解明への非常に大きな一歩で、今まで見つかっていた他の遺跡と組み合わせますと、福原京の全ぼうに近づく大きな手がかりといえます。」
ここ数年の発掘調査の中で、邸宅の他にも福原京に関するものが発見されています。
都市区画の一部と思われる壕(ごう)の跡や、さらに、貴族たちが京都から持ってきたと思われる瓦が出土しています。


清盛の目指した都、福原京とはどんなものだったのか 山のふもとに建つ清盛邸。
その南には、高倉上皇の御所。 安徳天皇の暮らす内裏、国家の中心施設となる八省院。
そこから、国際貿易港、大輪田泊へ続く都だったと山田さんは想定しています。
山田教授
「今までの平安京のような古代的な都とは全く違った新しい中世の都の姿が浮かび上がるのです。清盛は新しい都を造りたかったのではないかと思うのです。 」
清盛が築いた国際貿易都市・福原は現在、神戸として大発展を遂げています。
今から800年前、この地で武士を中心とした新たな貿易国家を築こうとした清盛。
しかし、その夢はわずか5か月でついえることになりました。
次回は「最終回 清盛の最期 ~現代に生きる平清盛~」5月28日更新予定です。
