“広島”発 人間の「生きる誇り」とは?

舞台は、呉、広島、そして東京…

 軍港の町、呉に、かつて山本五十六連合艦隊司令長官の軍帽を作った帽子店がある。その誇りを受け継ぎ、学生帽を作ってきた職人が春平だ。しかし最近、注文は減り続け、物忘れも多くなった。「ハサミが見当たらない」と警報ボタンを押し、警備員の社員、吾朗を呼びつける毎日だ。

ある日、ふとしたことから、吾朗を捨てた母親が、幼なじみの世津で、今、ガンの末期にあると知る。胎内被爆という重い荷物を抱える世津の兄のような存在だった自分。しかし、最後は支えきれず、世津は春平の元を去った。その記憶は、今も春平を苦しくさせる。
世津が、死を前にしていると知り、春平は、強引に吾朗を連れて、東京に行く。

胎内被爆者として、差別や病気の不安と戦いながら生きてきた世津。しかし、探し当てた世津は意外にも、実に幸せそうに暮らしていた。世津は、40年前の春平との別れの時、春平が作った小さな「水兵帽」を受け取っていた。春平の職人としての「誇り」がこめられた「帽子」。それは、世津にとって、辛く、苦しい時、自分を支えてくれた大切なものだった。「誇り」を失いかけた春平に、世津は、その帽子を見せる。そして、春平の心に再び力がわきあがってくる・・・

現代を生きる私たちが見失ってはならないものとは、そして、時代を経ても変わることのない生き方とは、それをこのドラマでは問いかけます。NHK広島放送局が開局80年を記念して制作する感動の物語。

※「胎内被爆者」:原爆投下の時、母親の胎内で被爆。現在、全国に約7千人。

 
 

脚本執筆にあたって

僕は昭和21年1月に呉市で生まれました。原爆の胎内被爆の世代で、小学校の同級生に被爆した女の子がいて、体育の時間はよく休んで見学していたのを覚えています。
姿勢の良いかわいい子でした。近所に、戦争で生き残ってしまった元海軍少将がいて、小さな小屋をたて、一人ぼっちで日雇い労働者として暮らしていました。家族から離れ、自分を罰して生きているのだと母が言っていました。子どもごころに胸を打たれました。戦争に敗れた海軍の町でしたが、どこか誇りに満ちた町でした。

そこから東京へ出てきてもう40年以上になります。記憶が次々に風化し、いつの間にか自分の育った町を客観的に見ている自身に気づきます。客観視できるということは実感が薄れていることでもあります。

今度この町を書きました。書くことで少し実感が戻ったような気もします。しかし、40数年の月日はそう簡単には埋まりません。物語は、呉に住む帽子屋の孤独な老人が40数年むかしの恋を思い出す話です。思い出し、なつかしい相手に会いに行き、かつての自分と誇りを取り戻す話です。書きながら、自分が故郷を思う気持ちと似ているのかもしれないと思いました。

  プロフィール

1946年、広島県呉市生まれ。84年芸術選奨文部大臣新人賞、第三回向田邦子賞を受賞。現代を見据えたスケールの大きな作品の背景に、常に「家族」を見つめる温かいまなざしがある。広島、呉を舞台にした作品も多い。主な作品は「約束の旅」「羽田浦地図」「太平記」「百年の男」「聖徳太子」(NHK)「協奏曲」「天国への階段」「並木家の人々」「海峡を渡るバイオリン」など。映画は「復讐するは我にあり」「優駿」「あつもの」(監督作品)

 
 

脚本執筆にあたって

今年の5月に撮影されたこのドラマは、出演者・スタッフのいわばドキュメンタリーでもあります。緒形さん、玉山さん、そしてスタッフたちは、撮影のためにおよそひと月、広島に“暮らし”ました。 まさに24時間ドラマ漬け。
劇中の主人公たちが東京の世津ちゃん(田中裕子さん)に会いに行くのと同じように、胸をドキドキ させながら全員で東京へ向かい、夢中になってクライマックスシーンを撮影したのです。
「世間から大して必要とされていない」登場人物たちが、どう人生を誇り高く生きるか、緒形さんはじめ 出演されたみなさんは力強く、リアルに演じきってくれました。

日本の片隅で営まれるささやかな人間たちのドラマから、「生きる誇り」を感じとっていただければ うれしいです。

 
 
 
 
 
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