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「 #MeToo 」とアメリカのフェミニズム

2018年03月08日(木)

#MeTooとアメリカのフェミニズム

昨年10月、ハリウッド女優のアリッサ・ミラノのSNSの書き込みから広がった「#MeToo」。セクハラや性暴力を受けた女性が「MeToo(私も)」と発信すれば、問題の深刻さが社会に理解されると呼びかけたところ、その輪は広がり、今やハリウッド内に留まらず、全米中に広がり、さらに海外にまで波及しています。
もともとMeTooは、タラナ・バークという社会活動家が、性暴力で傷ついた女性たちを勇気づけるために、「あなたは一人ではない」という意味を込めて掲げたスローガンだそうです。今回の#Metooも、突然降ってわいたセクハラ告発のように思えますが、アメリカのフェミニズム運動の蓄積のもとで起きているという指摘もあります。
なぜいま女性たちが再び声を上げることになったのか。その背景を知りたいと思い、日本大学教授でアメリカのフェミニズムの歴史に詳しい吉原令子さんにうかがいました。


執筆者:木下 真(Webライター)

 




「私的なことは政治的なこと」というスローガン


#MeTooについて最初に目にしたのは、ハリウッドのハービー・ワインスティーンという映画プロデューサーが100人以上の女性たちからセクハラ告発を受けたという報道でした。男性としては、真実なのかと疑ったり、ハリウッドの特殊なケースではないかと思ったり、正直戸惑いもありました。そんな中知り合いから、新しい時代の「女性解放運動」のひとつとして見ていくこともできると聞いて、過去のフェミニズムとの関係についてもっと知りたくなりました。

吉 原 :まず歴史的な流れを追って説明しますね。私たちが一般的にいわゆるフェミニズムと呼ぶ運動は専門的には‘第二波’フェミニズムと呼ばれています。参政権の要求を主軸とした‘第一波’のフェミニズムが1920年代に終息した後、1966年の全米女性機構(NOW)の誕生に始まります。第二波フェミニズムの運動は70年代に入ると大きな盛り上がりを見せましたが、そのスローガンは、「Personal is Political(私的なことは政治的なこと)」でした。
 例えば、それまでDVは「家庭内の出来事」、セクハラや性暴力も「男女の私的な出来事」とされ、公的な場で問題にすべきことではないと言われていました。しかし、女性運動の高まりとともに、私的なことは政治的なことだと社会的な認知が得られるようになったのです。
 ですが、そうは言っても、声を出す女性たちが大勢いたのかと言えば、当時はまだ難しかった。性被害を訴えても、「あなただって悪かったのではないの」「セクハラなんて、大したことじゃないわよ」「男なんてそんなものだよ」といった、victim blaming(被害者いじめ)が行われていました。1980年代までは、問題であると認知はされていても、表に向かって声を上げるまでには、なかなか至らなかったのです。

吉原令子さん

吉原令子(よしはら・れいこ)
日本大学商学部教授。米国ミネソタ州立大学大学院修士過程修了(女性学修士)、テンプル大学大学院博士課程修了(教育学博士)。著書に『アメリカの第二波フェミニズム 一九六〇年代から現在まで』、『The Socially Responsible Feminist EFL Classroom』。共訳に、ベル・フックス著『とびこえよ、その囲いを―自由の実践としてのフェミニズム教育』、C.T.モハンティ著『境界なきフェミニズム』など。



フェミニズムが広く浸透する90年代


アメリカはフェミニズム発祥の地ですから、70年代ごろから、女性たちはずっと声を上げ続けていたのかと思っていましたが、いまの日本と似たような状況だったのですね。


吉 原 :
それが大きく変わるのは、1991年のアニタ・ヒルのセクハラ事件だったと思います。共和党は保守派のクラレンス・トーマスを最高裁の判事として推薦していましたが、民主党は反対していた。そのために、彼のもとで働いていたアニタ・ヒルにトーマス判事のセクハラを告発させました。公聴会が開かれ、それが全米中にテレビ放送されたのですが、その内容があまりにひどかった。
 それまで、セクハラはあまり教育を受けていない、貧しい階級の意識の低い男性たちが行うものと思われていたのですが、最高裁の判事に推薦されるような高い教育を受けたインテリがおぞましいセクハラを行ったという事実に多くの国民が驚きました。そして、「これはひどい。セクハラは問題だ。やってはいけないことだ」と、広く認識されるようになったのです。
 しかし、アニタ・ヒルは誹謗中傷を受けましたし、公聴会では、「あなたは疎まれるタイプの女性ですよね」といった意地悪な質問もされました。アニタ・ヒルもトーマス判事も黒人でしたが、公聴会のメンバーはすべて白人男性で、女性はひとりもいなくて、控室に待機していた4人の女性の証人も呼ばれることはありませんでした。そして、トーマス判事に有利に働く形で公聴会は進み、クラレンス・トーマスは最高裁判事になりました。


政治的には民主党が負けたわけですね。でも、アニタ・ヒルの告発によって、セクハラへの問題意識が、すべての女性たちのものになっていった。

吉 原 :私はそう見ています。そして、その後に多くのセクハラ訴訟が起きることになりました。最も有名なのは、1990年代当初に問題となった米国三菱自動車工場のセクハラ訴訟です。1998年には最終的に和解しましたが、3400万ドル(約48億6000万円)を女性従業員約300人に支払うことになりました。訴えを起こした人数も、その総額もとんでもない数字でした。この後は、多くのアメリカ企業が、社内にセクハラの相談窓口を設けたり、ビデオ研修を実施したりして、職場からセクハラを追放しようと動いていくことになります。
 私は当時アメリカにいましたが、このセクハラ訴訟については新聞の一面に大きく出ていたのを覚えています。企業家たちはセクハラにきちんと対応しないと大きな損失を被るのだと認識しましたし、「これからは何気なくやっていたことが許されなくなる」と、男性たちも意識を変えました。90年代はアニタ・ヒルのセクハラ事件と企業のセクハラ訴訟で、国民の認識が大きく改まったのです。



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男女平等の元で育った#MeToo世代


日本でも「セクハラ」という言葉が広がったのは90年代でしたね。アメリカ社会に浸透していった動きが日本にも影響を与えていたということでしょうか


吉 原 :実はこの変化が、#MeToo運動の下地となっていくのです。いま#MeToo運動の中心にいる20代、30代の女性たちは、90年代に育ちました。生まれた時から、男女は平等、教育現場でも職場でもセクハラはあってはならないと教えられてきた世代です。
 60年代、70年代に活躍したオールド・フェミニストたちは、前提として男女は不平等であり、その困難な社会をどうやって変革しようかと闘ってきた女性たちで、声を上げるにしても、バッシングの激しさから慎重にならざるを得なかった。しかし、いまの若い世代は、前提が男女平等ですから、「おかしいことはおかしい」と、すぐに声を上げることができる。#MeToo運動をけん引しているのは、そういう新しい世代の女性たちです。

アメリカでは、80年代までフェミニズムは一部の女性たちのものだったけれど、いまの世代の女性たちにとっては当たり前のものということですね。


吉 原 :そうです。それはもう日本とは全然違います。そして、そのような下地があるところに登場したのがドナルド・トランプ大統領です。これには女性たちは大変なショックを受けました。ワシントン・ポストによって「スターは何でもできる。女性器をわしづかみ(pussy grabbing)することもできる」と発言するビデオテープが公表されましたが、そんな男性が大統領になってしまったわけです。後には謝罪していますが、フェミニストでなくても、女性たちはその発言には大変な嫌悪感を抱きました。
 大統領就任に合わせて、全米各地でWomen’s Marchが行われましたが、歌手のマドンナやケイティ・ペリー、女優のスカーレット・ヨハンソンやエマ・ワトソンなどの著名人も抗議のためにマイクを握りました。そして、トランプ大統領を揶揄する意味で、女性器のpussyと、子猫のpussy catをかけ合わせて、猫の耳のついたピンクのニット帽をかぶって行進しました。



誰もが参加する#MeToo運動


いまのアメリカの若い女性たちは、そういう抗議行動にも、気楽に参加する感じですね。

吉 原 :そうです。実は、#MeToo運動は、重い性被害を経験した人にかぎらず、性被害を許さないと考える誰もが気楽に参加し、声を上げるための運動になっています。先日アメリカの女子体操選手のチームドクターが、性的虐待によって禁錮175年という判決を受けましたが、そのような重大な性犯罪は、本来裁判で裁かれるものなのです。しかし、そこまでいかなくても、仕事をネタにセックスを求められたり、しつこく食事に誘われたり、体に触られたり、卑猥な言葉をかけられたりと、女性なら誰でも不愉快な体験というのはあるわけです。そういうことも、「私の体験など大したことではない」と胸にしまっておかずに、声を上げようということなのです。

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なるほど、ひとりひとりの力によって、日常から男女の関係を変えていこうということですね


吉 原 :例えば、セックスを合意していても、こんなやり方いやだと思うことだってあります。もちろん、それは訴訟になんてなりません。でも、なんでこんな不愉快な思いをしなければならないの、こんなセックスは望んでいなかったという場合もあるのです。そんな体験についてもみんなが声を上げていけば、男性も気づいてくれるかもしれません。
 #MeToo運動に参加した一般男性たちにニューヨーク・タイムズが取材をしている記事を読みましたが、自分も女性に対して鈍感だったのではないか、あるいはやましいことをしていたのではないかと、自分の過去を振り返るきっかけにしているのです。自分はセクハラなんてやる男ではないと思いながら、「待てよ」と立ち止まって、考え始めているのです。

 

男性の援護者を増やす新しいフェミニズムを


アメリカでは、Women’s  Marchもそうですし、#MeToo運動にも男性が参加しています。女優のエマ・ワトソンは、国連で「フェミニズムを見直すべきです。男性もフェミニズムの世界に招待します」と言っていました。男性も参加できるフェミニズム運動と言うのは、新しいですね


吉原:
過去のフェミニズム運動では、女性は抑圧されているとして、男性との対決姿勢を鮮明にしていました。もちろん、それも時には必要なことなのですが、いまの若いフェミニストたちは、男性のAlly(アライ 援護者)をつくることにも熱心です。いまの若い男性は女性と同様に生まれた時から男女平等の環境で育っていますから、女性の味方になったり、セクハラをよくないとする男性も上の世代から比べるとずっと多いのです。そういう意味では、#MeToo運動は、女性だけのためにあるのではなく、性別を問わず、男と女のフェアな関係をつくりたいと思っている人々にとって、大切な運動だと思います。


 

【Webライター後記】
女性の権利を考える運動を、若い男女が手を取り合って始めているというのは、アメリカは日本よりもずいぶん先をいっていると思いました。しかし、吉原さんによれば、「日本の大学生たちも負けてない」と言います。男女の関係は、もっといいものにできるはずだ。そう考える若い世代が、古い価値観にサヨナラを言っているように思えます。#MeTooはそんな流れの中にあって、ハリウッドまでも、変えようとしているのかもしれません。


▼関連番組
 『ハートネットTV』(Eテレ)
 
「#MeToo 私はこう受け止めた ―性暴力被害・当事者たちの声―」
  2018年3月8日放送・夜8時[再放送:2018年3月15日  昼1時5分]

▼性暴力被害に関する相談窓口や支援団体
 【tテーマ別情報】性暴力被害

コメント

ハートネットTV、拝見しました。
流れてくるツイートの中に「全てを捨てる覚悟で声を上げる」という意味のものがあり、違和感を覚えました。
なぜ被害者が声を上げるために、全てを失う覚悟がいるのだろう。失うとしたら罪を犯した加害者では?
加害者が持つべき理性を捨てた事で、家族や地位、仕事、信頼などを失うリスクがあるはずなのに、被害者が受けた現実にずっと苛まれるだけでなく、声も上げられない圧力がある事も問題ではないでしょうか。

投稿:葉桜 2018年03月08日(木曜日) 21時06分