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発達性協調運動障害 第3回 運動と認知発達

2016年08月22日(月)


 

赤ちゃんの運動と発達障害


Webライターの木下です。
赤ちゃんは長年、「外から受けた刺激によって学習し、成熟する」という考え方が主流で、言葉を話す以前の乳幼児は、外からの刺激に反応して初めて動き出す、受け身の存在ととらえられていました。しかし、現在の赤ちゃん研究では、赤ちゃんは胎児のときから自発的な運動を始めて、自ら周囲に働きかけながら脳を発達させていくと考えられています。

発達性協調運動障害 第2回 身体から発達障害を解明する

2016年08月19日(金)

 

法律で「その他」の障害と表現されるDCD 


Webライターの木下です。
2005年に施行された発達障害者支援法では、発達障害を以下のように定義しています。
 

「自閉症、アスペルガー症候群その他の広汎性発達障害、学習障害、注意欠陥多動性障害、その他これに類する脳機能の障害であって、その障害が通常低年齢において発現するものとして政令で定めるものをいう」

 

この法律の条文には「発達性協調運動障害(DCD)」という言葉はありません。しかし、「その他これに類する脳機能の障害」という表現があり、「政令」には、「言語の障害、協調運動の障害その他厚生労働省令で定める障害」という記載があります。発達性協調運動障害も発達障害の一種として、法的に支援対象として位置づけられていることがわかります。

発達性協調運動障害 第1回 不器用な子どもは発達障害の可能性が

2016年08月18日(木)

 

Webライターの木下です。
以前、発達性協調運動障害についてフェイスブックで取り上げたところ反響が大きく、「子どもの頃に体育の授業がなぜあんなに辛かったのかがやっとわかった」という書き込みをされた方がおられました。発達障害に関する情報は、さまざまな形で発信されていますが、まだ一般的にはあまり知られていない事実もあります。発達障害のある子どもたちの支援に重要な影響を与えると言われる最新トレンドについてお伝えします。

 

専門家の間でも知られていない障害


人並み外れて不器用な子ども、極端に運動の苦手な子どもが小学校のクラスに数人はいます。例えば、「服のボタンを留められない」「靴ひもがうまく結べない」「ラジオ体操やダンスで手足がばらばらに動く」「はさみやコンパスなどが上手く使えない」「つまずくものがないのに、よく転ぶ」などなど。たんに体育の授業がうまくいかないだけではなく、日常生活もトラブル続きで、先生に叱られたり、友達からいじめられたりして、本人は辛い思いをしています。

 

女性障害者 第3回 優生思想の過ちをただす

2016年07月06日(水)

 

 優生保護法のもとで行われた人権侵害


女性障害者の人権に対する意識の高まりとともに、過去における人権侵害についても、その実態を明らかにし、尊厳の回復を求める運動が進められています。

日本では、過去に「優生保護法」に基づき、遺伝性疾患をもつ障害者や、精神障害者や知的障害者などに対して、強制的な優生手術(不妊手術)が行われていました。1949年から94年の間に、母体保護目的のものも含めて不妊手術を実施された障害者は84万5000人に上り、そのうち本人の同意を必要としない強制的な優生手術を施されたのは1万6000人以上で、その7割近くは女性でした。

「優生」とは、優れた子孫の出生を促すとともに、劣った子孫の出生を防止する意味をもっています。そのような発想により民族の質を高めることができると考えるのが「優生思想」です。優生保護法は、その優生思想に基づき1948年に施行された法律で、「優生上の見地から不良な子孫の出生を防止すること」を目的としていました。そして、本人の同意を得ることなく、遺伝的に劣った性質をもつとみなされた障害者などに対して、「身体拘束、麻酔薬の使用、欺罔(ぎもう=だますこと)」などにより強制的に不妊手術をすることが許されていました。

今年3月に国連女性差別撤廃委員会は、日本政府に対して「優生保護政策で障害を理由に不妊手術を受けさせられた人に関して、実態を調査研究し、被害者に法的な救済や補償を提供するよう」に勧告しています。

20160707_002.jpgまた、昨年6月には、宮城県の70歳(現在)の女性、飯塚淳子さん(仮名)が、過去に優生保護法に基づいて、強制的に不妊手術を受けさせられたとして、日本弁護士連合会に人権救済を申し立てています。

飯塚さんは軽度の知的障害があるとみなされていました。住み込みで家事手伝いをしていた16歳の頃(1963年)、職親(知的障害者の生活・職業指導を引き受ける人)によって、何も知らされないまま県の診療所に連れて行かれ、卵管をしばって妊娠できなくする手術を受けさせられました。それが子どもを産めなくするための優生手術(不妊手術)であることは、後に知ることになりました。再び子どもを産める体になりたいと医師に相談しましたが、元に戻すことはできませんでした。「私の体を返してほしい」と飯塚さんは国による謝罪と補償を求めています。


女性障害者 第2回 女性障害者の生きにくさとは何か?

2016年07月06日(水)

 

 2011年「複合差別実態調査」を始めて実施


日本には
「女性障害者」という概念が定着していないために、その生きにくさについては長年実態が把握されていませんでした。そこで、2011年の5月から9月にかけて「DPI女性障害者ネットワーク」が、女性障害者の実態調査を行いました。調査の名称は「障害のある女性の生活の困難-人生の中で出会う複合的な生きにくさとは―複合差別実態調査」。全国の20代から70代までの女性障害者87人に調査票への記入を依頼し、併せて聞き取り調査を行いました。調査を行った「DPI女性障害者ネットワーク」は、障害者の当事者団体であるDPI日本会議と密接な連携を取る別組織で、女性障害者のネットワークづくりと情報交流を目的としています。

女性障害者の生きにくさは、障害者であることに女性であることが加わることで、たんなる足し算ではなく、掛け算となり、複合的で、深刻なものになると言われています。例えば、性的被害に関しては、女性ならば誰でもそのリスクは負っていますが、障害による身体能力の弱さから、さらにそのリスクは高まることになります。また、性別を無視した障害者への対応から、女性として守られるべき尊厳が損なわれることもあります。男女共通する障害への無理解に加えて、「女性であるゆえの困難とともに、女性であることを考慮されない困難」も抱える複雑さをもっています。

ライフステージの中で出会うさまざまな課題について、その実態調査の報告書から具体的な事例をご紹介したいと思います。


女性障害者 第1回 女性特有の生き難さを考える

2016年07月05日(火)

 

 「障害者へ差別」と「女性の差別」が複合する


日本では、障害者に関して、障害の種別や程度によって分けられることはあっても、性別によって区別されることはあまりありませんでした。統計でも、男女が分けられて集計されることはまれで、その人数も正確に把握されず、課題についても十分認識されずにいました。しかし、世界の女性障害者の人権回復に向けての動きに呼応する形で、近年日本国内でも「女性障害者」の現状を把握し、特有の課題を認識していこうとする動きが見られるようになりました。

女性障害者に対する差別は「障害者への差別」「女性への差別」が複合される形でもたらされ、解決の手段は複雑になりやすいと考えられています。性的な被害や虐待を受けやすいだけではなく、教育、就労、結婚など社会生活に関しても男性に比べて制約は大きく、生き難さはより深刻となります。

また、過去には、優性思想に基づく考えから、障害者に子どもを産まないよう強制的に不妊手術をすることが奨励され、そのことが「優生保護法」という法律により認められていた時代がありました。そのような措置を施された女性障害者の権利侵害をただし、尊厳を回復する運動も進められています。


医療的ケア児 第4回 社会で見守り、支えるために

2016年06月24日(金)

 

  まずは“知る”ところから


20160624_001.jpg保護者の書き込みの中に、「医療を進歩させるのは、福祉を充実させてからにしてほしい」という趣旨の書き込みがありました。医療の進歩は日進月歩、数年単位で医療環境ががらっと様変わりすることもあります。医療的ケア児とは、医療が先んじて命を救い、社会的な支援態勢が整わないままに地域で暮らし始めた子どもたちなのかもしれません。そんな新生児医療の状況にようやく社会制度や法律が追いつこうとしているのが現状です。

重症心身障害のある娘をもつフリーライターの児玉真美さんが、4月5日の医療的ケア児に関するハートネットTVの番組を見て、「医療的ケアが必要な子どもさんの中に、立って歩いたり、自分でご飯を食べられる子もいるというのは、私も目からウロコでした」というメールをくださいました。当事者家族のひとりで、親の会などで講演をされたり、障害児の施設を取材されるような方でも、活発に動き回る医療的ケア児には新鮮さを感じられたようです。また、ある医療型重症心身障害児施設の職員の方にお聞きしても、「そういうお子さんは確かにいらっしゃいますけど、数は少ないですね」と話されていました。

障害児の事情に通じている方でも、接することが少ないという医療的ケア児のことを一般の人々が知る機会は限られていると考えられます。また、地域の障害者施設が重症心身障害者に優先的に利用されているとしたら、現場の職員の方々も体験として医療的ケア児になじんでいる人は少ないのかもしれません。

20160624_000.jpg「医療的ケア児は不可」と、本人に会うこともなく、電話口で告げる施設職員や保育園の関係者の頭の中にあるのは、どのような状態像の障害児なのかを改めて問う必要があるかもしれません。医療的ケアは必要とするけれど、歩いたり話したりできて、サポートがあれば、健常児なみの活動ができる子どもが想定されているかどうか。子どもの病態を適切に評価できなかったら、支援をコーディネートする仕組みも作りようがありません。理解しよう、寄り添おうという姿勢によって認知の輪を広げることが、制度の充実を求める前にまずやるべきことなのかもしれません。

医療的ケア児 第3回 課題はどこにあるのか~カキコミ板から~

2016年06月23日(木)

 

    在宅生活への移行が早まっている

 

20160623_001.jpg新生児医療の最前線にあるのは、全国にある周産期母子医療センターのNICU(新生児集中治療室)ですが、現在はどこもほぼ満床で、ハイリスクの新生児への対応が難しい状態が続いています。新たなNICUの新設も進められていますが、新生児治療に携わる医師や看護師は慢性的に不足していて、設備を整えても、有効にベッドを活かすことのできない事態も生じています。

2008年に東京で妊婦が「NICUの満床」を理由に病院から受け入れを断られて亡くなるという痛ましい事件が起きました。それをきっかけに、緊急対応の受け皿を少しでも広げるために、、医療機器や医療的ケアが必要でも、容態が安定期に入った赤ちゃんは、できるだけ早く退院させるよう求められるようになりました。さまざまな事情を検討して、重症心身障害児施設で受け入れるケースはありますが、子どもたちの多くは地域の病院を経た後に、または直接在宅生活を始めることになります。


しかし、それまでNICUスタッフの高度な医療と手厚い看護によって命を支えられてきた子どもを、家族だけで面倒をみるのは容易なことではありません。本来病院は生活の場ではありませんから、在宅で家族とともに暮らすのは望ましいことではありますが、家族をサポートする医療・福祉・教育の態勢は十分整っているとは言えず、さまざまな課題と格闘する日々が始まります。

医療的ケア児 第2回 「医療的ケア」とは何か

2016年06月22日(水)

 

   医療的ケアは日常的な生活援助行為


20160622_02.jpgそもそも「医療的ケア」と、ふつうの「医療行為」とは何が違うのでしょうか。
「医療行為」についての明確な定義はありませんが、一般的には「医師の医学的判断および技術をもってするのでなければ人体に危害を及ぼし、または危害を及ぼすおそれのある行為」とされています。そして、その医療行為には、「医師自らが行わなければならない行為(絶対的医行為)」である診断、薬の処方、手術などと、「医師の指示に従って医師以外の医療従事者が行う行為(相対的医行為)」である看護師による注射や点滴、レントゲン技師によるレントゲン撮影などの両方があります。いずれにしても、資格をもった医師や医療者にしか許されない行為になります。

これに対して、「医療的ケア」とは、「日常生活に必要とされる医療的な生活援助行為」とされています。代表的なのは、痰の吸引や経管栄養の注入です。狭い気道に唾液や痰が詰まれば、呼吸困難となって死んでしまいますし、栄養摂取は日々欠かせないものです。これらも医学的判断は必要ですが、医師や看護師にしか許されないとなると、子どもが在宅で暮らすのは不可能となります。そこで、医師の指導のもと家族が行うことが在宅医療の前提となっています。

医療的ケア児 第1回 見過ごされてきた子どもたち

2016年06月21日(火)

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医療的ケア児 第1回 見過ごされてきた子どもたち
▼ 障害のある子どもの状態像が多様化
▼ 制度の谷間で保護者は疎外感
▼ NICU退院後の支えが課題


第2回ブログ : 第2回 「医療的ケア」とは何か

  

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NHK『ハートネットTV』では、2016年の4月に放送した「シリーズ 変わる障害者福祉」という番組で「医療的ケア児」について取り上げました。番組放送後の6月3日に公布された改正障害者総合支援法には、「保健、医療、福祉などが連携し、必要な措置を講じるように」と、この医療的ケア児への支援が初めて盛り込まれました。医療的対応が必要な障害のある子どもたちは、いままでもいたはずですが、なぜいま一部の子どもたちのことが医療的ケア児という言い方で注目されるようになったのでしょうか。

 

  障害のある子どもの状態像が多様化


かつては生まれたばかりの赤ちゃんはたとえ病気や障害があっても、大人のように積極的に手術や治療は行わず、本人の生きる力による回復を見守るだけでした。しかし、1970年代後半から、医療技術の飛躍的進歩とNICU(新生児集中治療室)の整備などにより、生まれたばかりの赤ちゃんであっても手術や治療が可能になり、日本では、現在「新生児で亡くなる赤ちゃんは1000人に1人未満」にまで減りました。新生児死亡率の低さは世界トップクラスです。たとえ1000キログラム以下の超低出生体重児であっても、仮死状態で生まれてきても、健やかに成長できるケースが増えてきました。しかし、そのように医療環境が整う一方で、たとえ救命には成功しても、重い障害をともなって生きる子どもも増えることになりました。