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熊本地震と災害関連死 第1回 屋外避難へと追い詰められた被災者

2017年05月22日(月)

最も被害が大きかった益城町

本地震と災害関連死
第1回 屋外避難へと追い詰められた被災者

 ▼3日間で震度6以上の地震が7回
 ▼屋外避難が災害関連死を増加させた要因のひとつ

第2回 第3回 第4回

 



Webライターの木下です。

3日間で震度6以上の地震が7回


熊本地震が発生してから1年が経ちました。震災による「直接死」は50人、その後の避難生活における「災害関連死」は170人、その他豪雨による死者5人を合わせて、総死者数は225人になりました(2017年5月12日現在)。今回、災害関連死で亡くなられた方の数は、直接死の3倍以上になります。今回のコラムでは、熊本地震において災害関連死が増えた理由について考えてみたいと思います。

4月14日の前震の後に、現地入りしたNHKのディレクターに話を聞くと、熊本地震の取材中はずっと揺れる地面の上にいて、地震酔いのような状態が続き、1年経ったいまでも、そのときのことを思い出すと気分が悪くなると言います。被災者からも、「ずっと、地面が揺れていた」という言葉が聞かれます。

今回の熊本地震に関して、これまでの震災に見られなかった大きな特徴は、激しい揺れが何度も繰り返されたことでした。4月14日から16日にかけて、震度6以上の地震は、あわせて7回発生。震度7の激震は、14日と16日の2度にわたって起きました。九州地方で震度7を観測したのは、気象庁が本格的に統計を開始した1923年以降初めてであり、巨大地震の後から、さらにそれを上回る巨大地震が襲うというのも震災史上初めての事態でした。
表:4月14日から16日にかけておきた地震の震度。4月14日21時26分震度7、22時7分震度6弱。4月15日0時3分震度6強、4月16日1時25分震度7、1時45分震度6弱、3時55分震度6強、9時48分震度6弱。余震の多さも熊本地震の特徴のひとつです。体に感じる揺れをすべて数えると14日~16日の3日間で350回に達しました。そして、10月までには余震の回数は4000回を超えるまでになり、活断層型地震としては異例の頻度だと言われています。また、発生後には、震源が断層に沿って北東に移動し、大分県にまで及ぶなど、その範囲も異例の広がりをみせました。


屋外避難が災害関連死を増加させた要因のひとつ


今回の熊本地震の震源は、前震が地下11キロ、本震が地下12キロと推定され、ともに大変浅い場所で発生しました。そのような浅い震源の活断層型地震は「直下型地震」とも言われ、突き上げられるような衝撃とともに激しい揺れが生じます。熊本市周辺で、このような直下型地震が発生したのは、1889年(明治22)の金峰地震以来のことです。巨大地震の記憶がない中で、いくつも想定外のことが起きた地震であったために、安全な避難場所の確保が難しく、被災者は、いつまでも不安にさらされ、精神的・肉体的に大きな負担を強いられました。そのことが、災害関連死を増加させた要因のひとつと考えられています。

震度7の地震が襲った両日で8300棟の建物が全壊の被害に遭いましたが、前震の段階であらかじめ避難していた人が多かったために、直接死の被害は抑えられる結果となりました。しかし、2度目の地震によって生じた恐怖から、たとえ自宅が損害を受けていなくても、自宅で夜を迎えることなく、場合によっては避難所までも避けて、自宅の駐車場や公共施設の付属駐車場などで車中泊や屋外避難を続ける人たちが大勢現れました。

写真・車のイメージ写真被災者が避難するのは、「自宅が倒壊した」「ライフラインが途絶したため自宅で暮らせない」という理由が主ですが、今回は新たな被災への不安から建物内での避難生活を回避した例が多く見られました。一般社団法人「よか隊ネット」という支援団体が実施した車中泊のアンケート調査によれば、車中泊した理由として、自宅の倒壊によって車中泊をしている人は2割強で、将来の地震被害や余震への不安からという人が約6割でした。

車中泊は建物の倒壊の危険は回避できても、狭い車内でくつろぐことも難しく、睡眠不足にも陥りやすく、さらに水分の不足や地震のストレスなども重なって、健康を損ないやすい環境となります。2004年の中越地震のときには、52人の震災関連死のうち、4人がエコノミークラス症候群で亡くなりました。今回の熊本地震では、中越地震の教訓から車中泊をする人々に運動や脚のマッサージをするように呼びかけていたので、エコノミークラス症候群の発生を抑制することはできたと言われています。しかし、それでも災害関連死をした170人の中で、車中泊を経験した後に体調を崩した人は、少なくとも26人に上りました。


木下 真

▼関連ブログ記事
 熊本地震と災害関連死(全4回/2017年)
  第1回 屋外避難へと追い詰められた被災者

  第2回 どのような人たちが災害関連死で亡くなったのか
  第3回 病院の転院による被害の拡大
  第4回 過去の教訓の活用と想定外への対応
 熊本地震(全5回/2016年)


▼特設サイト 災害時 障害者のためのサイト
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▼関連番組
 
『ハートネットTV』
 2017年4月12日放送 シリーズ熊本地震から1年 (1)災害関連死170人 なぜ・・・
 2017年4月13日放送 シリーズ熊本地震から1年 (2)犠牲者をこれ以上出さないた

コメント

関西からです。
阪神淡路大震災のとき(1995年1月17日~現在)は、よくいう「人海戦術」つまり、最大1日4万人という、とてもたくさんのボランティアさんが集まってくれました。わたしもその一人です。

特に今でいうビブス(団体さんの名前が入った目立つ色のジャケットのことです)を着ることも、名札も無く、メディアの取材を受けることもなく、名前も無いひとりです。

熊本のボランティアさんが特に目立ちたがり屋さんというわけではありませんが、ご自身がメディアに取り上げられた時だけは、SNSなどでとても嬉しそうです。
それは決して嫌味を書いているのではなく、熊本では被災された障がい者のみなさんは「ペット(への支援)の次の次」か「熊本城の次の次」程度です。「ペットをお座成りにしろ」と言っているのではありません。
障がい者のみなさんが街へお買い物や動物園に行きたいという送迎は、出来ているのでしょうか。
運転免許かバス代くらいがあれば、介護福祉士やソーシャルワーカーなどの福祉系の資格が無くても、誰でもできるはずです。

益城町にある福祉が行き届いたという、バリアフリー仮設は「6戸」だそうですが、本当に6戸で足りているのでしょうか。益城町の人口33000人の6割以上のおうちは、「全壊もしくは半壊」で、人口もこの1年1か月で1300人は減っていて、福祉の人材が熊本県全体でも豊富であるとは、お世辞にも言えません。福祉系の大学では「大学院並みの勉強と長時間の現場実習をしないといけない」のですが、熊本県には熊本学園大学社会福祉学部以外に、看護系の大学か短大くらいではないでしょうか。
熊本の学生さんや、いまの熊本の高校生のみなさんには、福岡や東京へ出て、みっちり勉強をしていいのですが、「卒業したら必ず熊本に戻ってきて欲しい」と、いつも言っています。
わたしも若くないですし、しょせん他県の者に出来ることは、「阪神淡路大震災の教訓を伝え続けること」くらいしかありません。

投稿:かめさん 2017年05月27日(土曜日) 16時32分