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知的障害者の施設をめぐって 第14回 施設からも家族からも自立して生きる

2017年03月01日(水)

 

Webライターの木下です。
第14回は、最終回として知的障害者の施設の歴史について改めて振り返り、まとめとします。




対象を広げていった施設福祉の歴史


日本の知的障害者の施設の歴史は、「滝乃川学園」のような知的障害児の民間施設から始りました。施設では子どもたちに教育や生活習慣を身につけさせて、他の人と同じように社会生活を送れるよう指導訓練することに重きがおかれました。しかし、全国10か所にあった施設はいずれも小規模で、合計しても入所できるのは400人ほど。施設に入れるのはきわめてまれなケースで、多くの人は、支援の手もないままに家族に介助されながら社会の片隅で目立たないように生きるしかありませんでした。

戦後になると、日本国憲法の趣旨にそって児童の保護がうたわれ、それまで顧みられることがなかった知的障害のある子どもたちにも公的な支援の手が及ぶようになりました。精神薄弱児施設が全国に続々と建設され、行き場のない子どもたちが優先して収容されていきました。それら新設の施設の趣旨も、戦前の民間施設と同様に指導訓練が目的で、将来の自立生活をめざすものでした。

しかし、思うように指導訓練の効果が上がらず、18歳を超えても社会に出ていくことが難しい入所者が、「年齢超過者」として問題になっていきます。このため成人を保護する施設も求められるようになり、1960年に制定された「精神薄弱者福祉法」では、「精神薄弱者援護施設」が規定されました。これらの成人のための施設も、児童の施設同様に指導訓練に重きを置き、入所者たちは、将来は施設を退所し、自立生活を送れるようになることをめざしました。

1960年代以前の日本では、欧米のように施設内で一生暮らし続けることを目的に施設がつくられたわけではありませんでした。むしろ、上記のように障害があっても地域社会で自立生活を送れるように導くのが施設の役割でした。それは、現在のノーマライゼーションの考え方に近いようにも思えますが、大きな違いがあります。根底にあったのは、障害者の人権の尊重よりも、能力によって障害者を線引きする考え方だったようです。言い換えると、施設での終生保護を行わなかったのは、地域での生活を尊重したためではなく、自立生活が可能な中軽度の障害者を優先していたからと言えます。そのために、重度の知的障害者や重症児・者(重度の知的障害と重度の肢体不自由が重複する子どもと成人)は施設に入所するのも困難であり、つねに処遇は先送りにされていきました。

そのような当時の事情について、1967年の「精神薄弱者福祉審議会意見具申」には、以下のように対策の貧弱さが率直に指摘されています。
「従来、わが国における精神薄弱者に対する施策は、自立更生の可能性が大なる者、いいかえれば、保護指導が容易である者に対する施策に重点を置いて進められ、自立更生の見込みに乏しい重度の精神薄弱者については、障害福祉年金の対象とはされていたが、施設処遇その他の分野ではほとんど考慮されることがなかった」


施設福祉から地域福祉への換算


しかし、1960年代の半ば頃から、そんな重度の知的障害者や重症児者のための施設を求めて親たちが動き出し、“保護収容”の対象が広がり始めます。そして、切望されたのは、親亡き後にも安心して暮らすことのできる終生保護の施設です。その実現のために進められたのが大規模コロニーの建設計画でした。

しかし、その頃すでに欧米では、大規模コロニーは人権上問題があるとして、否定される傾向にありました。日本の場合はそのような世界の潮流を踏まえながらも、当事者を尊重し、地域にも開かれた日本型の大規模コロニーを建設しようとしました。ところが、重い知的障害のある人を大人数収容する施設を円滑に運営していくための職員の確保は困難を極めます。業務の負担も大きく、全国の大規模施設の現場では、理想と現実の間のギャップに苦しむ事態が生じました。

その後、1981年の「国際障害者年」を迎えると、「施設福祉から地域福祉へ」という考え方が、世界の国々で共有されるようになりました。日本の厚生省もその流れにならうようになり、施設福祉は未完成で、地域福祉も未整備の状態でしたが、「施設」から「地域」へと方針転換がはかられるようになっていったのです。


「脱施設」と「脱家族」を実現する


1980年代以降、現在に至るまで、知的障害者の施設に関しては、津久井やまゆり園の事件後の論議もそうですが、「施設」と「地域」とが対比的に語られます。しかし、そのために抜け落ちやすいのが、「家族」という視点だと思います。日本は欧米とは違って、核家族が主流になるのは高度成長期以降のことです。1950年代には三世代同居率は全世帯の4割以上に上り、家族の介護力が欧米先進国よりも高かったこともあって、家族に福祉の役割を担わせるのが当たり前と考えられてきました。高齢者の介護と同様に、障害者の介護も長年家族(主に母親)が担ってきました。つまり、日本の場合、長年障害者を中心になって支えていたのは、「施設福祉」でもなく、「地域福祉」でもなく、高齢者福祉にならって言うならば、日本型福祉社会における「家族依存の福祉」と言えるのではないでしょうか。

核家族が増えていった高度成長期になっても、施設は慢性的に不足していましたし、中でも、長期にわたって障害者を収容する施設は数が限られていました。とくに介護負担の大きい重度の知的障害者や重症児・者は、施設を利用することも難しい状況が続きました。そのために、「家族による子殺しや一家心中」などの悲劇も頻発しました。戦後になって親たちや支援者たちが一致協力して声を上げていったのも、医療的な手厚い支援が必要とされる人たちがいるとともに、家族だけでは支えきれない現実があったからです。

地域移行の流れの中で、大型施設の設置は控えられるようになり、地域福祉の整備も徐々に進んでいくようになりました。しかし、在宅で暮らす障害者を支える地域の支援態勢は自治体によって大きなバラツキがあり、過剰な介護負担に苦しむ家族は、まだまだ多く存在しているのが現状です。

現在障害者も高齢化が進み、加齢とともに障害も重症化しています。施設からの退所も難しくなり、在宅で暮らしている人の介護負担も重くなってきています。施設を退所し、グループホームなどの地域での暮らしで新たな幸せを得ている人がいる一方で、障害の程度や年齢、家庭の事情によっては、以前よりも施設を必要とする人たちがいるという現実もあります。

地域で安心して暮らせる社会を望むのは、誰しも共通しています。その意味では、「脱施設」「地域移行」の流れは止まることはないでしょう。しかし、その流れが家族に重い介護負担を課す過去への揺り戻しにならないためには、地域での「脱家族」の態勢づくりも同時に進めていく必要があるのではないでしょうか。現在、障害者の自立生活運動を推進する人たちが求めているのは、施設とともに家族からも自立して生きられる社会です。そのためには、在宅医療、24時間訪問介護、通所施設、レスパイト施設などの地域の支援態勢が全国どこでも得られるような社会に変わっていかなければなりません。

大規模な施設に何百人もの重い障害のある人をまとめて保護収容し、職員が疲弊しながら管理に当たるような施設のあり方は過去のものとなりつつあります。現在は入所者を少人数に分割するユニット方式を採用したり、個室を設けてプライバシーを尊重したりなど、家庭的な環境づくりに努めるように変わってきました。また、グループホームも運営することで、当事者の選択肢を増やすなど、新しい試みを行っている施設も増えています。さらに、地域福祉や啓発の拠点として施設が重要な役割を果たしている例も多く見られます。施設も地域福祉を支える社会資源へと、その役割を広げつつあるように思います。

今後は、日本の施設の歴史的経緯を理解し、地域と施設が補完し合って、一人ひとりにふさわしい最善の形をつくっていくことが、求められていくのではないでしょうか。

 
写真・『福祉の思想』

『福祉の思想』(糸賀一雄著)

最後に、かつて「この子らを世の光に」と唱えたびわこ学園の糸賀一雄は、『福祉の思想』という著作の中で、「保護」と「自立」は相反しないと記しています。支えることが自立を生むという糸賀の思想は、施設福祉や地域福祉のあり方を考える際に大きな示唆を与えてくれます。非障害者に近づけることを自立と考えるのではなく、それぞれの障害に合った支えを得ながら生きることを広い意味での自立として尊重する。そのような理念を広げていくことが、津久井やまゆり園の事件を乗り越える道なのではないかと考えます。

 

木下真

▼関連番組
 『ハートネットTV』(Eテレ)

  2017年1月26日放送 障害者殺傷事件から半年 次郎は「次郎という仕事」をしている
 ※アンコール放送決定! 2017年3月21日(火)夜8時/再放送:3月28日(火)昼1時5分

▼関連ブログ
 知的障害者の施設をめぐって(全14回)

第 1回 教育機関として始まった施設の歴史第 2回 民間施設の孤高の輝き第 3回 戦後の精神薄弱児施設の増設第 4回 成人のための施設福祉を求めて第 5回 最後の課題となった重症心身障害児・者 1第 6回 最後の課題となった重症心身障害児・者 2第 7回 最後の課題となった重症心身障害児・者 3第 8回 終生保護のための大規模施設コロニー第 9回 大規模コロニーの多難のスタート第10回 政策論議の場から消えていったコロニー第11回 島田療育センター:地域支援へと広がる活動第12回 のぞみの園:施設から地域へ第13回 津久井やまゆり園の創設第14回 施設からも家族からも自立して生きる

 
 障害者の暮らす場所

第2回 日本で最初の知的障害者施設・滝乃川学園‐前編後編‐

コメント

しょうがい者
権利条約。
知りました。
現実の世界に
一層、厳しさ。
突きつけました。

墨あそび詩あそび土あそび

投稿:墨あそび詩あそび土あそび 2017年06月25日(日曜日) 15時59分

spitzibaraさん
確かに、そこは誤読でした。「障害者の自立生活運動を推進する人たちが求めているのは」という部分に着目すれば、ここでの意味は「施設からも家族からも自立して生きられる社会です」ね。

ただ、このコラム、その後の方では「施設も地域福祉を支える社会資源へと、その役割を広げつつあるように思います」「日本の施設の歴史的経緯を理解し、地域と施設が補完し合って、一人ひとりにふさわしい最善の形を」とあります。そこに引きずられて読んでしまっていました。

そういう意味でのこのコラムへの違和感と読み替えていただけると幸いです。


投稿:雅英 2017年03月09日(木曜日) 18時16分

雅英さんは、とんでもない誤読をしておられます。

問題にしておられる「施設とともに」の箇所は、「障害者の自立生活運動を推進する人たちが求めているのは、施設とともに家族からも自立して生きられる社会です」です。

すなわち、「施設とともに」とは、「施設から自立すると共に家族からも自立して」という意味なのではありませんか? 

投稿:spitzibara 2017年03月08日(水曜日) 21時19分

興味深く読ませていただきました。
ほとんどの部分がその通りだと思って読みました。

その上で、という話なのですが、障害者権利条約19条の以下の部分は何度も読み返して欲しい部分だと思っています。

「障害者が、他の者との平等を基礎として、居住地を選択し、及びどこで誰と生活するかを選択する機会を有すること並びに特定の生活施設で生活する義務を負わないこと」

この文章にも書かれているように現実にはそうなっていません。
そして、以下は本当にその通りだと思います。
~~~
「地域移行」の流れ…が家族に重い介護負担を課す過去への揺り戻しにならないためには、地域での「脱家族」の態勢づくりも同時に進めていく必要がある
~~~
 
しかし、求められているのは、ほんとうに「施設とともに家族からも自立して生きられる社会」でしょうか?
確かに、すぐに施設を全部なくせ、という風にはいきません。しかし、施設でも家族だよりでもなく、その人が望む暮らしができる、それを実現する環境こそが求められているのではないでしょうか? そして、ごく一部ではありますが、板橋区にあるコミュニティースペースのような例も生まれつつあります。

 そして、医療的ケアがない重度の知的障害の人たちの選択肢もまだまだ限定されていると考えています。私は大田区に住み、障害者支援に関わっていますが、主要に介護している人(主に母親)からの支援が継続できなくなった場合に、行ったこともない、たぶん本人も望んでいない、地域の施設やGHに行く人は後を絶ちません。

そのような状況で、地域で住み続けるという選択肢を知ろうという取り組みもあります。

そういう意味では【地域での「脱家族」の態勢づくり】こそが重要であり、そこに現在、【施設とともに】を加えなければ維持できない、そんな社会資源しかないという現状は理解できるのですが、あえて、【施設とともに】を加えずに呼びかかけたいと私は考えています。

投稿:雅英 2017年03月07日(火曜日) 01時19分