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知的障害者の施設をめぐって 第12回 のぞみの園:施設から地域へ

2017年02月23日(木)

 
Webライターの木下です。

第12回は、群馬県高崎市にある独立行政法人国立重度知的障害者総合施設「のぞみの園」です。日本初の国立の大規模コロニーとして1971年に開設されましたが、1980年代の国の方針転換によって、施設のあり方が大きく変わりました。現在は、全国から入所してきた重度の知的障害の方たちを地域の暮らしに戻す事業を行っています。遠藤浩理事長に施設の現在についてお話をうかがいました。




ノーマライゼーションの流れを受けて


写真・「のぞみの園」遠藤浩理事長独立行政法人国立重度知的障害者総合施設のぞみの園・遠藤浩理事長


木下
: 大規模コロニーは、1970年代に大きな期待を受けて誕生しましたが、1981年の国際障害者年以来、障害者は地域で暮らすのが望ましいということになりました。その方針転換を現場の方たちはどのように受け止め、どのように対処されていったのでしょうか。

遠藤: 開設時には、ここを「終の棲家」にするような障害の重い方々を中心に受け入れました。その人たちにいかに快適な生活を送っていただくかということで、職員は日常的な支援を続けていました。しかし、開設当初は500人を超える人数を全国から受けいれたものですから、入所者をここの生活に慣れさせるのに大変な努力が必要でした。みんなが落ち着いて生活するようになるまで3,4年はかかりました。
 やっと平穏な運営が可能になってきて、しばらくすると、施設ではなくて地域で生活するのが望ましいとするノーマライゼーションが世界の共通理解となっていきました。その流れを受けて、この施設をどう変えていけばいいのか、職員は相当悩んだと思います。

木下: 最初は、「一生ここで暮らすことができますよ」と言って、全国から入所者を集めたのですか。

遠藤: 全員をこの施設で一生お世話しますよということではなく、「それも可能ですよ」ということでした。この施設で受け入れる条件が、重い知的障害があるか、知的障害と身体障害が重複しているかのいずれかでした。各都道府県から800人ほどの推薦があって、中でも優先度の高い方を厚生省で500人ほど選んで、スタートしました。諸般の事情から家族が止むを得ずここへの入所を選んだので、親は自分の子どもが安全で平穏な暮らしができるということから、ほっとしたと思います。



地域移行に希望を感じる入所者たち


木下
:本人たちはどうだったのですか。

遠藤: 本人たちは、ここの生活に適応していったわけですが、退所して他で生活したいとか、家族と一緒にいたいとか、そういう意思表示の難しい方たちなので、本心は周りには伝わりにくかったと思います。
 現在、入所者の地域移行の事業を進めているのですが、自分の故郷で新たな生活ができるとわかると、うれしそうな表情を浮かべます。地域移行が決まると、お世話する職員とともに、理事長室に挨拶にくるのですが、そのときの入所者の方たちの顔からはある種のトキメキのようなものを感じます。そういう表情から、決して望んで施設にいたわけではないのだろうという印象はもっています。

木下: 30年近く入所していた長期入所者が、新たな生活に慣れるのは難しいと思いますが、地域に戻るための研修はあるのですか。

遠藤: 施設内に生活体験ホームを作って、4、5人の入所者の方たちに、自立生活体験をしてもらっています。生活寮から体験ホームに移ったときに、本人がどう変わっていくのか、生活寮に戻りたいと思うのか、生活体験ホームを選ぶのか、本人の意思を定期的に確認しています。その上で、ステップを踏みながら、無理のない形で地域移行は進めています。
 独立行政法人になったときの人数が499人で、亡くなられた人が100人、地域移行事業で、これまで165人に地域へと戻っていただきました。現在国立コロニー時代から継続して暮らしている人は230人程度です。


社会に居場所がないので施設が求められた


木下
: 大規模コロニーの時代について、いまはどのように総括されていますか。

遠藤: あの当時は社会の要請として、大規模コロニーが求められていました。その後、障害者福祉の理念がどんどん変化していきましたが、その流れについていくのに苦労したのは事実だと思います。
 しかし、1980年代の前半ぐらいまでは、知的障害のある人の居場所が社会の中にかならずしもありませんでした。そのために、こういう施設をつくらざるを得ない事情があったのだと思います。親としては、「自分たちの子どもを守るには、社会の中では難しい。でも、施設の中なら安心して生活できるのではないか」、そういう切実な思いがあったのだと思います。
 子どもはかわいいですしね。親の気持ちとしては、自分が介護を受けるような年齢になったり、親亡き後になっても、子どもたちが安心して暮らせる居場所を確保してあげたかったのだと思います。だから、親の会は行政に対して、施設をつくることを求めたのだと思います。それで平成の時代になっても、しばらくは施設建設の流れは止まらなかったのだと思います。


入所施設は仕切り直しの場


木下
: 今後、施設福祉と地域福祉の関係はどうなっていくべきだと思いますか。

遠藤: いまは地域生活が基本ですけど、事情によってそれが難しいときに、こういう入所施設に一時的に入って、いろいろ条件を整えて、地域生活をやり直す。そのような仕切り直しをするための暮らしの場だと思います。
 また、施設の考え方も制度も変ってきています。昔は集団を管理するような一面もありましたけど、いまは個別支援計画を立てて一人ひとりに寄り添います。当事者の思いが無視されて、日々のスケジュールが組まれるということはありません。

木下: 各々の思いを実現していく場に変わってきたということですね。

遠藤: それは本人もですが、家族も含めてですね。家族との関係に問題がある場合もありますから、それを修復できるように家族支援も含めて考えていくべきだと思っています。また、地域との関係も重要だと思います。初めて障害のある方と接すると、拒否反応を示す人もいます。それでは、地域で暮らしていくのが難しくなります。私たちの施設でも年1回フェスティバルを開催して、地域の多数の方に参加していただき、また地域の運動会に参加したり、地域の公民館の芸術祭にうちの入所者の作品を出品したりして、交流を深める活動を積極的に行っています。
 「このような社会なら安心して子どもも暮らしていける」。家族がそう思えるような共生社会を実現していくために、施設もさまざまな貢献をしていくべきだろうと考えています。


木下真


▼関連番組
 『ハートネットTV』(Eテレ)

  2017年1月26日放送 障害者殺傷事件から半年 次郎は「次郎という仕事」をしている
 ※アンコール放送決定! 2017年3月21日(火)夜8時/再放送:3月28日(火)昼1時5分

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 知的障害者の施設をめぐって(全14回・連載中)
 第 1回 教育機関として始まった施設の歴史
 第 2回 民間施設の孤高の輝き
 第 3回 戦後の精神薄弱児施設の増設
 第 4回 成人のための施設福祉を求めて
 第 5回 最後の課題となった重症心身障害児・者 1
 
第 6回 最後の課題となった重症心身障害児・者 2
 第 7回 最後の課題となった重症心身障害児・者 3
 第 8回 終生保護のための大規模施設コロニー
 第 9回 大規模コロニーの多難のスタート
 
第10回 政策論議の場から消えていったコロニー

 第11回 島田療育センター:地域支援へと広がる活動
 第12回 のぞみの園:施設から地域へ
 第13回 津久井やまゆり園の創設
 第14回 施設からも家族からも自立して生きる ※随時更新予定
 
 障害者の暮らす場所
 第2回 日本で最初の知的障害者施設・滝乃川学園‐前編‐
 第3回 日本で最初の知的障害者施設・滝乃川学園‐後編‐

コメント

正直言って、障害者を地域にというのは綺麗事としか思えません。
今だって障害の程度の軽い人は作業所やグループホームで過ごし、施設入所など夢のまた夢です。
重度や行動障害のある人でもよっぽどの運とタイミングに恵まれないと施設入所は叶いません。
その現状で現在入所している人というのは、もちろん親御さんも熱心に探されたのでしょうが、客観的に見て優先順位が高いなんらかの要因のある人です。
例えば暴力行為や犯罪行為や反社会的行為など…それが現実なんです。

地域で過ごすのが無理だから施設にいるのです。
地域でも過ごせる人を施設に閉じこめているわけではありません。
地域で過ごせるような障害者はすでに地域で過ごしてるし、地域で過ごすしかないのです。

障害者と一言で言っても重さや特性は様々なんです。
健常者にいろんな人がいるように、障害者にもいろんな人がいるんです。
障害者とひとくくりにして理想論を押しつけないでほしいです。

投稿:綺麗事 2017年08月27日(日曜日) 18時43分

まさしく今施設を考えている母です。強度行動障害 最重度知的障害、自閉の息子がいます。母が体調を崩しても、受け入れてくれる施設はなく、地域移行と言われても受け入れてくれる施設はない。ショートステイと、言っても月に1.2回が現実で、それさえかなわない人がいっぱいいます。入所、グループホームは親が生きているうちはどこも無理だと思います。とまで言われているのが現実です。お年寄りの施設はどんどんできますが,三障害一緒と、言われ、精神、知的、老人を一緒に見るのはやはり無理だと思います。多動な自閉をお年寄りと一緒にケアをするののはやはり難しい。息子が成人し、力も強くなり抑えられなくなり、外に出せば犯罪行為に触れることもあり、今は、通所がお休みの時はずっと家の中にいます。無理心中は決して他人事ではありません。

投稿:こたつねこ 2017年08月24日(木曜日) 19時52分

閉鎖的ではなく、地域のバックアップで 健常者とも関わって~の暮らしが理想ですが… 人それぞれの違いは 幼児教育からしないと、大人になってからは難しいですね。

投稿:リル 2017年03月06日(月曜日) 20時10分