知的障害者の施設をめぐって 第2回 民間施設の孤高の輝き
2017年01月18日(水)
Webライターの木下です。
第2回は戦前の民間の知的障害児施設の果たした役割について考えます。
滝乃川学園のような民間施設は、公的な制度も支援もなく、経営的には苦難の連続でした。しかし、滝乃川学園の活動を知る者が石井のもとを訪れ、弟子入りするなどして個人指導を受けるようになり、そうして感化を受けたものたちによって、全国に滝乃川学園に続く、知的障害児施設がつくられていきました。
これらの施設の多くは、石井亮一と滝乃川学園を何らかのモデルとして設立・運営されたもので、知的障害児に対しては慈愛の精神だけではなく、生理学に基づく教育実践を必要するという精神が受け継がれ、治療的な教育法を確立していきました。
滝乃川学園「石井亮一・筆子記念館」
昭和初期に建てられ、当時は教室などとして利用され、2階は講堂になっています。
戦前においては、知的障害者に対する国の福祉政策はほぼ無策と言える状態で、これらの民間施設のみが細々とその救済に当たっていました。しかし、収容人数はすべての施設を合わせても400人前後で、全国に数十万人はいると当時推計されていた知的障害児者に対して、絶対数はまったく足りませんでした。
欧米においても、日本においても、当初知的障害者の施設は、「知的障害児」を対象とした「教育機関」として誕生しました。日本が手本としていたアメリカでは、この教育機関が大人も含めた保護収容へと発展していき、19世紀末からすでに千人規模の大規模施設がつくられ、コロニー(共同生活の村)も建設されていました。戦前の日本には、そのような大規模施設どころか、生涯にわたる保護収容を目的とする施設そのものが存在しませんでした。公的な専門施設は皆無で、ほとんどの知的障害者は福祉的な支援もないままに家族の扶養に任されていたのです。
しかし、保護収容するための専門施設がなかったということは、地域でふつうの暮らしを送っていたことを意味するわけではありません。重度の障害者の中には家庭においては座敷牢に閉じ込められ、社会においては孤児院、育児院、感化院などに収容されるなど、別の形で隔離生活を送っている人も多くいました。警察からは将来犯罪者となる可能性があるとして厳しく取り締まりの対象とされ、罪を犯して、少年院や刑務所に収監されている人もいました。
滝乃川学園の外遊びの風景
社会全体がそのような排除の空気に覆われている時代に、石井らが興した民間施設は、障害者が安心できる居場所であり、教育を受けられる場であり、自立の力を養う支援機関であり、社会の偏見を払拭するための拠点としての役割を担っていました。現代流に表現すれば、公的な制度のはざまで見捨てられた人々に寄り添う、フリースクールやNPOのような役割を果たすものでした。
石井亮一は施設の目的について、「学校からも、世間からも、あるいは時として家庭からも見放されていたこの子どもたちと起居を共にし、生活全体を教育しようとすること」に、あると述べています。
1934年(昭和9)、石井は、藤倉学園の川田貞次郎、桜花塾の岩崎佐一、八幡学園の久保寺保久らなど、他の民間施設の創設者らとともに「日本精神薄弱児愛護協会」を設立し、社会に向けての啓蒙活動にも乗り出しました。「道を伝えて、己を伝えず」を信条としていた石井は、業績を誇ったり、栄誉を望みませんでしたが、このときには周囲の求めに応じて初代会長を引き受けました。石井が信仰と科学の力を借りて灯した小さな光は、こうして徐々に輝きを増していきました。
「日本精神薄弱児愛護協会」の設立総会(1934年)
前列中央が石井亮一
戦争中は、これらの施設の中には止むを得ず閉鎖したもの、軍の命令あるいは要請によって施設から立ち退かされたもの、戦災を被ったものなどがあり、男子職員の応召、児童の栄養失調や死亡などにも見舞われ、かろうじて存続しているだけという悲惨な状態に陥っていました。敗戦の時には、10か所あった施設のうち、2か所は消失していました。
なお、日本精神薄弱児愛護協会は、「日本知的障害者福祉協会」と名称を変えて、80年以上経ったいまも活動を続けています。
木下 真
写真提供:滝乃川学園
参照:『天地を拓く』(財団日本知的障害者福祉協会)、『年表でつづる知的障害者福祉』(財団日本知的障害者福祉協会)、『施設養護論』(浦辺 史/積 惟勝/秦 安雄 編)、『知的障害者教育・福祉の歩み 滝乃川学園百二十年史』(滝乃川学園)
▼関連番組
『ハートネットTV』(Eテレ)
2017年1月26日放送 障害者殺傷事件から半年 次郎は「次郎という仕事」をしている
※アンコール放送決定! 2017年3月21日(火)夜8時/再放送:3月28日(火)昼1時5分
▼関連ブログ
知的障害者の施設をめぐって(全14回・連載中)
第 1回 教育機関として始まった施設の歴史
第 2回 民間施設の孤高の輝き
第 3回 戦後の精神薄弱児施設の増設
第 4回 成人のための施設福祉を求めて
第 5回 最後の課題となった重症心身障害児・者 1
第 6回 最後の課題となった重症心身障害児・者 2
第 7回 最後の課題となった重症心身障害児・者 3
第 8回 終生保護のための大規模施設コロニー
第 9回 大規模コロニーの多難のスタート
第10回 政策論議の場から消えていったコロニー
(※随時更新予定)
障害者の暮らす場所
第2回 日本で最初の知的障害者施設・滝乃川学園‐前編‐
第3回 日本で最初の知的障害者施設・滝乃川学園‐後編‐
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