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【取材記】清輝君のお父さんからのメッセージ

2015年07月14日(火)

7月14日放送(7月21日再放送)
「それでも話してほしかった―いじめ自殺 21年目の対話―」の担当ディレクターです。

今回の番組を制作中に、またしても小さな命が失われてしまいました。番組にご出演いただいた大河内祥晴さんに、岩手県矢巾町で中学2年の男子生徒が自殺した問題についてお話をうかがいました。

担任とやり取りする『生活記録ノート』にいじめをうかがわせる内容を書き残して命を絶った村松亮さんは、1994年に亡くなった大河内さんの息子・清輝君と同じ中学2年生でした。
「この20年、いじめに対する学校の認識は何ひとつ変わっていない」。
ふだんは慎重に言葉を選びながら穏やかにお話をされる大河内さんが、珍しく語気を強めました。
この『生活記録ノート』の記述の中で、大河内さんが特に胸を痛めたのが、担任の教諭への「感謝の思い」でした。村松さんは、こう記しています。

≪先生からたくさん希望をもらいました。感謝しています≫

「清輝も、遺書に『ありがとう』という言葉を何度も記していた。『感謝しています』という言葉に、『これで諦めます』という思いを感じた。亮君という子は、とても優しい子だったのだと思う。優しい子だったからこそ、怒ったり、恨んだりしたまま自分の一生を終えたくなかったのではないでしょうか」


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今この瞬間もいじめに苦しんでいる子どもたちへ、大河内さんからのメッセージです。

「大変だろうけど、どうか、ほんの少し勇気を出して、声をあげてほしい。ひとつの出会いで、生きる力がわいてくることがある。諦めずに、出会いを求めて動いてほしい。信じてほしい。苦しみを聞いてくれる人は絶対にいます。もしどうしても見つからなかったら、おじさんに連絡をください」


◆放送予定
本放送:2015年7月14日(火曜)夜8時
再放送:2015年7月21日(火曜)午後1時5分

それでも話してほしかった ―いじめ自殺 21年目の対話―

コメント

大河内清輝さん自殺から20年以上が経つが少年少女の自殺が減らない。最近も青森の中2女子が鉄道自殺をした。自らを「存在価値がない」と思い詰め、家族に感謝と謝罪しながら一番酷い死に方をした。筆者も幼い頃からの難病(特定疾患)で右半身不随となり、10年に及ぶリハビリテーションで左利きへの利き手転換、右半身も生活に支障がないまでに治した。だが、小学生高学年から高校生までは陰惨ないじめの毎日だった。中学生時には「もの言うサンドバック」と渾名され、顔面リンチで鼻の骨を折られた。高校生時には愛していた幼馴染みまで巻き込まれ、別の単位制県立高校に転校した。そこから大学の法学部に進み、今は介護福祉士の国家資格を取り、福祉の世界で頑張っている。今となっては周囲に理解される存在ではあるが、自殺未遂は数えきれない。いじめた首謀者が成人式の打ち上げ時に「そんな事、今はどうだって良いじゃないか」と言い放った時、思わず中身の入ったビール瓶を掴み、察した幼馴染み数人に押さえられた事もある。ふざげるんじゃない。いじめられた側の憎悪、傷跡は消えることはないのだ。今は自信をもって生きてはいるが、未だに傷がうずく。

投稿:怪人 2016年08月30日(火曜日) 16時11分

先生にいじめられてる事を言って
相手を怒ってもらうたびにいじめがひどくなって
いきました。
お母さんに相談したくても心配かけたくないと
相談しませんでした。
いじめてる人はダメだと分かっているのに
止めない理由が今でも分かりません。
友達が悪い事をしてるのを止めるのが本当の
友達だと思います。
「皆単純で嫌われる勇気が無いんだよ。」
っと私は、そう聞いたことがあります。

投稿:リー 2016年06月22日(水曜日) 13時39分

2年前、大学に入った息子からの電話で、私は息子のいじめを知りました。その時の電話口からの苦しそうな言葉を聞きながら、頭が真っ白になったのを覚えています。
息子の言葉から「あの時.遠くの学校に行きたかった」。
私にとっては寝耳に水で、何があったか聞くことより、親の都合を言って言い訳している自分でした。それでも1時間以上話しているといつもの息子に戻り、ほっとして電話を切りましたが.心に小骨が刺さったままでした。母として何を見ていたのかと。
今でも、息子が苦しくなると長電話でいろいろ話す事があります。前向きになったり、後ろ向きになる息子の話を聞きながら、本当に生きていてくれてありがとうと伝え、ともに戦うつもりです。私自身もいじめと言う言葉はなかった頃、悲しい思いをした事があった先輩て。

投稿:ひまわり 2016年06月18日(土曜日) 17時21分

大河内さんが当時公開した遺書で初めていじめの生々しい実態が全国に知れ渡ったのに、20年経っても認識が変わっていないことが衝撃的でした。まだ今年で18歳ですが、いじめられていたので。さまざまな常識が変わっていく中で、「違うこと」を排除しようとする風潮が生まれてしまったのだと思います。また、若い世代と今の労働者世代の価値観の違いからすれ違ってしまうことも大きな要因だと思います。違っても当たり前なのに、個性を否定するなんてありえない。なのに罪にならないし、さらに「ネットいじめ」もあって巧妙化し、どこにも居場所がない・・・。「逃げる」というと「弱い」「強くなれ」「立ち向かえ(戦え)」とその人のためにいう人もいますが、逆に追いつめているのです。傷ついた人は一生懸命頑張っていっぱいいっぱいなのです。だから、辛いことを共感してそっと見守ってあげて下さい。あと、心の傷は治るのに時間がかかります。しかも、いつになるかも分かりませんので、信じて待つしかありません。じれったいかもしれませんが、信じて待てばその後つまずいてもすぐに立ち直れますので、せかせず時間を与えて頂いて欲しいです。

投稿:マリ 2016年05月19日(木曜日) 12時51分

いじめの背景に核家族、ネットの普及により他人を思いやる環境がなくなっていることがいえます

投稿:りか 2016年02月03日(水曜日) 10時32分

これは大きな問題です。その背景に核家族化、一人っ子など他人を思いやる環境がないことではないのでしょうか・・・ゲームネットも背景だと思います。

投稿:ぽむ 2016年02月03日(水曜日) 10時31分

番組,拝見しました。
私も清輝君と同じ中学生の時に
いじめられました。
親が外国人でハーフである事から
いじめを受ける様になりました。
両親に心配させたくない気持ちと
いじめがエスカレートしないか心配で
誰にも打ち明けられませんでした。
それから親が外国人である事が
恥ずかしいと思う様になりました!
また,なんの為に生きているのか
分からなくなる時が何度もありました。
何故いじめが存在するのか
25才になった今でも理解が出来ません!
人間は色々な感情を持ってます。
辛い・痛い…
時に感情を表に出せない時もあります
そんな時に優しく手を差し伸べてくれる
大人や話しやすい環境があれば少しでも
自殺を思い止まる事が出来るでしょう!
世界中のニュースで悲しい出来事が
放送されなくなる事を祈ってます!

投稿:NOZOMI 2015年12月26日(土曜日) 04時05分

今、再放送を見ています。私は今21歳で、15歳の時にいじめに遭いました。去年くらいまでは、悲しい気持ちは続いたままで、夢に見たり、泣いて暮らしたりしていましたが、成人式の時期を終えてから(成人式は行きませんでしたが)、吹っ切れたような気分になり、最近は悲しむ回数もかなり減りましたし、思い出すことも本当に少なくなりました。
だけど、心の中で残っているのですね。紹介された手紙の内容、全てに共感できます。私はそういう気持ちだった。言えなかった、抵抗として辛さを見せない、泣かない。でも、心の中はボロボロでした。
私は親に相談したのですが、親は強くなれ、頑張れと言いました。私のことを思って言ってくれたのだとは、分かりますが、辛かったです。これ以上どう強くなれば良いのだと。どう対抗したら良いのか。毎日、地獄のような中、学校に行き、それでもまだ弱音を吐くなと言うのか。そう思い、それ以来相談することは無くなりました。
今でも、いじめた側は憎いです。何も出来ず、悔しい。私はもう小中学校の時の友達がいません。いじめた側はいるのに。でもあの場にいることは辛くて無理だった。誰もいないところに逃げるしかなかった。いじめた側が、私のことを忘れ楽しく生きているのが憎い。そんな思いは消えることはありません。

投稿:ゆ 2015年12月19日(土曜日) 23時47分

再放送を見ております。もっと何回も再放送をして、日本中の、善悪の教育のできない親に見てほしいと思います。

投稿:高橋 2015年12月19日(土曜日) 23時47分

再放送を拝見させていただきました。

私は小さい頃からなぜかいじめに遭うことが多かったです。

低学年の頃、うちの母は学校から帰ってきた私の様子を敏感に感じ取って必ず何があったか帰宅した途端に吐かせました。
言うのをためらっているとすごい勢いで「お母さんに話しなさい!!」と怒られました。
お母さんのその必死な様子に私はその日の学校での出来事を話しました。

繰り返すうちに母に気づかれる前に報告するようになりました。

母はいつも冷静に慎重に対処していました。
担任に連絡し「いじめている子達には何もしないでください。いじめがエスカレートするだけですから。でも先生が見てくれている、とうちの子が思うことでうちの子は安心してクラスにいることができます」と。

私には「いじめる理由があってもいじめをしていいわけじゃない」といつも言っていました。
私が理解できる年齢になった頃には、「いじめの一番の加害者はいじめてる子達ではなく何もせずに見ている傍観者だ」と、言いました。
そして、「いじめてる子達はきっと家で親とうまくいってないだろう」と。
そんなイライラをいじめをすることで吐き出してる」んだと。

その一言一言に私はいじめそのものの構造すら母から学びました。

私は中学1年の2学期にグループ内で当然ターゲットにされた時から、グループというものに入るのをやめました。
それが当時の私にとっては一番の保身であると判断しました。
すると、クラスの他のグループの子達とは普通に接することができるようになりました。

2年生に進級し、私はそこでも友達を作ろうとしませんでした。
ひとりはとても楽なんですよね。
しかし、運の悪いことに初対面の女の子グループからターゲットにされ始めました。
意味不明でしたが、後に聞いた話ではその子達の部活仲間が私を嫌ってていじめてやれみたいな話になってからのことだったようです。

すぐに母親に相談しました。
母から担任に。
私は担任に見守れながら、されたことを毎日ノートに書きました。
今で言う旦那に浮気された妻が裁判で資料として出す日記のようなものですね。

それを書いてるうちに「あー。もう、かったるいな。もっとわかりやすくトイレで水かけるとかしてくれよ。訴えやすくなるんだからさー。うざいなぁ。」とまで思うようになりました。

でも気が張って強がってただけだったのでしょう。
ある日辛くなってとうとう学校を休んでしまいました。
もちろん母に理由も話して休ませてもらいました。

担任が来ました。
担任は私と母に「クラスの問題としてみんなの前で自分が話そうと思うけれど、どうかな?」と提案しました。
更に「えりぃが嫌なら絶対にしない。このことはえりぃが決めてくれ」と。

私は担任を信じてお願いすることにしました。

私も同席したクラスの中で担任は私へのいじめをクラスの問題として取り上げました。
要約すると「仲良くしなくていいからいじ
めはやめろ」といった趣旨のものでした。

実はいじめてるグループの他に一人で私をいじめてた子がいたのですが、その話のあとに教室を出て帰ろうとした私を彼女は追いかけて来て泣きながら謝ってくれました。
そのすぐあとに彼女は転校しました。
噂では家庭の事情でとのこと。
おそらく家庭内の問題のイライラを私にぶつけていたのでしょう。

グループの子達の方からの赤ら様ないじめはなくなりました。
まあ、でもお互い挨拶もせず干渉しないみたいな関係です。

中学3年になって、懲りずに私は友達を作らずに「グループひとり」?貫きました。
すると不思議なことがたくさん起こりました。

クラスの女の子みんなが私と普通にいい距離感で接してくれました。
グループの子達が来て学級委員を頼まれたこともあります。
めんどくさいなーと思いつつ引き受けました。
でも、彼女達、一人では来ないんですよね。
必ず3人ほどで座って本を読んだりしてる私の席に来て話すんです。
さしで来れないんですね。
弱いんだなと、大人になってから思いました。

それから急にヤンキーになった男の子にえらくたくさん話しかけられるようになりました。
授業中にまでちょっかいかけてくるのでうざくて「やめてってば!」と本気で言ってましたが、クラスで浮いてたその子にとって私は救いになる存在だったのかな?と30代になった今頃やっと思うようになりました。

こんな強さを与えてくれたのは、母です。

いじめられる方に理由はあります。
これは断言できます。
でも、いじめる理由にはなりません。
大人にだっていじめはあります。
いじめはなくなることはありません。

小学校に標語で飾ってある「みんな仲良く」
私は大嫌いです。
大人だって会社のすべての人と仲良く友達になれますか?
いい距離感でいることが一番だとほとんどの大人は考えて処世術として適当にお付き合いしてますよね?

「仲良くならなくていい。友達にならなくていい。人間気質が合う人ばかりじゃないでしょうが。あんたら気が合わんのやったら仲良くしーとは言わん! だけど人として最低限のマナーを守っていい距離感でいる努力は二人ともしなさい。」

小さな塾をしていた母が教室のある男の子二人組に言った言葉です。

その後、適当な距離感でいるうちになんとその二人は仲良くなってしまったそうです。

無理に一体感を持たせようとするから抵抗するんです。
いじめの原因のひとつは学校のこういった体質にあります。

些細なことでも大人にできないことを子供に押し付けるなと私は思います。


投稿:えりぃ 2015年10月26日(月曜日) 15時22分

昨夜、大河内清輝君の自殺から21年目を迎えるという番組をテレビで拝見し、とてもやるせない気持ちになりました。当時、私は20歳でしたので、7歳も年下の大河内君が13歳でいじめを苦にして自ら命を落としてしまったことに本当に可哀想、そのいじめがどんなに辛かったかという気持ちだったのを思い出されました。また、この事件がマスコミで大きく取り上げられ、いじめが減るかという期待もあったのですが、20年以上経った今でも尚、未だいじめがあるという現状。そして、大河内君をいじめた子が少年院から出て普通に生活しているということ。とてもとても腹が立ちます。
私も過去にいじめられたこともあり、30年近く経った今でも時折フラッシュバックに見舞われとても苦しくなります。
私も言われたことがあるのですが、いじめはいじめる側だけではなく、いじめられる側にも問題がある、と。その言葉をそうなのか、と思ってしまっていた時期もありましたが、随分と年月が経ち大人になってみて思うのは、やはり、いじめは、いじめられる側は悪くない、ということです。どう考えても、いじめる側にのみ問題があり悪いです。単純な言葉で、弱い者いじめはいけないことなのです。自分が嫌だと思うことは人にしてはいけないのです。こんな単純なこと(私は当たり前のこと、と言いたい)ができない人が、この世の中には多過ぎます。
勇気。いじめられている子は自分がいじめられていると話すことはどんなに自尊心が傷つけられることかも知れないけれど、誰かに救いを求めて話してみる勇気。いじめを知りながら見て見ぬふりをしている人は、いじめられていることを助ける勇気。いじめている側の子はいじめを自ら辞める、または他の子に辞めようという勇気。どの勇気でも構わない。一人でも多くの人がそれぞれの立場の勇気を出し、一つでもいじめが減ることを願って止みません。

投稿:まさこ 2015年10月25日(日曜日) 09時18分

清輝君と同い年です。
当時の私もいじめられる毎日で自尊感情を失い「死」について考える日々を送っていました。清輝君の死は他人事ではなく自分が先に死を選んでいたかもしれないのです。

いじめはただただ時間が過ぎるのを耐え忍び進級によるクラス替えでいじめっ子たちから離れられただけ。市外の高校、県外の大学へ進学し海外の仕事と、とにかく地元から逃げ続けました。成人式も同級生に会うのが怖くて欠席しました。逃げ続け新天地で友人に恵まれいじめのトラウマから解放されました。

本当に辛い想いをしたから弱者の気持ちに寄り添える人間になれたし死ぬ覚悟をもって頑張ることができたから、14歳の自分には想像できないくらい楽しくて充実した日々を経験できました。


清輝君のお父さんが声を上げてくださったことで自分が救われこの世にいることを一言感謝の気持ちをお伝えしたく、コメントさせていただきます。

投稿:霏 2015年10月07日(水曜日) 14時27分

イジメてる奴は、獣だ、鬼畜だ。

投稿:ともしび 2015年10月04日(日曜日) 13時11分


どうか、これを読んで下さって、今いじめられてしまってるあなたは、自殺なんて絶対にやめてほしいです。自殺は、自分を大事にして下さった両親や家族などを悲しませて裏切る行為なんです。いじめで自殺に追い込まれる事件を知る度、やるせなくなります。絶対に、いじめてる方が悪い!!いじめは、犯罪だ。私もいじめられていた時、先生にはイイ顔する狡猾ないじめっ子で、私も慕っていたその先生が、いじめを受ける方に原因があるんぢゃないか? お前だけがいじめられるのはなせか?それを考えてみたら?とお慕いしていた先生から言われ、大変ショックで、当時、いじめを受けてる事が、恥ずかしくて情けなくて、言えずにいました。先生からは、いじめっ子の正体が見えなかったのです。先生も完璧ではありません。人をいじめて蹴落とすひとは、実にうまく、先生方には分からないように、いじめるんです。そして、人をいじめる風上にも置けない先生が世の中には沢山実在するので、どうか、これを読んで下さって、今いじめられてしまってるあなたは、自殺なんて絶対にやめてほしいです。自殺は、自分を大事にして下さった両親や家族などを悲しませて裏切る行為なんです。もし、自殺なんてしたら、きっと、死後も心は生きて、罰を受けるのだと思います。今、スマホの普及で、もっと陰湿ないじめが、子供も大人の世界にだって陰湿なイジメがあります。私は今、自分の生活すらまともに出来ていない状態で、いじめで苦しんでいる子供を助けたいけれども、役立つ事はできないいらだちがあります。しかし、いじめられてる子の話を聞くだけでは、いじめはなくならないので、無報酬で、ひとクラスに何人か、相談員の大人を配置していくのはどうだろう?無報酬でも行くという制度があれば、悪事を働く大人は応募しないと思うのだが?その制度があれば、私も生活していかねばならないので、平日の昼間に何日も行く事は難しいと思うのですが、出来れば、ぜひ学校へ行って見守りたいです。かわいそうでなりません >< 生活するのに充分に余裕がある高齢の方は、宜しければ、学校のいじめ対策にぜひお金を寄付して頂けませんか?! もしくは、同じく机を並べて、いじめっ子から、いじめられてる子を守ってあげられませんでしょうか。。。この世にせっかく生を受けて、自死に追い込まれる子供さんや、それによって苦しむご家族がなくなることを強く願います。

投稿:ろんた 2015年09月25日(金曜日) 21時39分

私たちの学校で今日いじめについてという題目で清輝さんのことについて話し会いました
私も実は小学校のとき転校生で目立ったことが原因となり先輩にいじめられたことがありました

始めのうちは私が悪いのかなと気にする程度だったけど日に日にエスカレートしていくいじめ

それを助けてくれた友達に先輩が言った一言

「誰がいったかわかってんだからな」

やはりその子もいじめられましたがその子のおかげで親にも話が伝わり解決しました

やはり自分のせいで親の、友人に迷惑は掛けたくないと思う心が強くて相談なんて出来ませんでした

いじめを受ける人にはこの気持ちが共通であったんだと感じました


投稿:深優 2015年09月24日(木曜日) 21時12分

大河内君の事件は鮮明に覚えています。

当時僕は彼があまりにも美しく正しい事に立ちすくみました。

僕は分からないことは保留にして抱え込みます。

数年前なんとなく谷崎の陰影礼賛と中沢新一さんのフィロソフィカヤポノカを続けて読みました。

そして一般にはおそらく普通のことが納得出来ました。

それは「悪」の問題です。

悪が影だとしたら当然グラデーションがあります。

同じ悪でも嘘をつく事と人を殺す事でも影の深さは全く違います。

本来当然のことですが僕は長い間その差異が良く分からないままに過ごして来ました。

そして「悪い事はしたくない」と思い続けて来ました。

この状態はおそらく危険な状態でした。

その状態を脱した後に僕は小悪人になると決めました。

つまり影、悪とともに生きるということです。

問題という言い方はあまりにも申し訳ありませんが大河内君のあふれ輝く光の問題も影、悪の無さという問題として捉え直す事が出来ました。

大河内君が悪を抱え込める人だったら僕はたちすくまなかったと思います。

でも思春期の人が悪にどう向き合うのかは大きな、そして一般的な問題だと思います。

告げ口でイジメが解消することはまず無いでしょう。

しかし告げ口という悪を抱え込める人と告げ口という悪さへ否定しまう人とでは生死を分かつことさへあると僕は考えます。

全く違う問題のようですがオウム真理教の事件も僕には悪の問題のように思えました。

というのは僕はオウムの連中にはワンルームマンションの蛍光灯のような光しか見えていないと感じていたのです。

圧倒的な闇、悪、影の中にうっすら浮かび上がったワンルームマンションの蛍光灯の平べったい光だけしか見えなくなった連中がなにをしたのかはご存知の通りです。

悪のグラデーションなど本来普通の事ですが、人生のある時期それを見失うことは惨劇につながるのです。

大げさなようですが悪をうまく論理化出来ない思想体型に、もしかすると今も日本は覆われているのかもしれません。

「思想なんて」と思われるかもしれませんが不完全な思想ゆえに自ら大いなる光とともに命を断つことも事実あったし、無差別テロを引き起こしたことも事実あったのだと僕は考えています。

投稿:シゲ 2015年07月21日(火曜日) 14時33分

私は今年35歳になりますが、大河内清輝くんの事件は
当時の私にとっても、すごく衝撃的な事件でした
当時中学2年、私も大河内君同様に、いじめに悩み苦しんでいました。
自殺を考える毎日でした。そんな時に同級生がいじめに悩み自殺したと言うニュースでした。私も自殺したい、逃げたいと思いました。
死に場所を探す、毎日でした。
そんなときに清輝くんの、お父様のコメントをみて、自分は頑張らないと
自殺を思いとどまる事ができました。その後がまた大変でした。
大人になってから、同級生にあったら、フラッシュバックを起こしたり、
恐怖からパニック障害にと
今は家庭も持ち、子供も居て幸せに暮らしていますが、
今回の岩手の踏切り自殺は、非常に心苦しいです
清輝君お父様には感謝してます。これからもお元気ですごして頂きたいです

投稿:なお 2015年07月21日(火曜日) 13時58分

再放送を拝見しました。
私は小、中、高と、集団生活を余儀なくされる学校生活の全てにおいていじめられていました。
学校に良い思い出はありません。ただ、私の場合は母が常に味方でいてくれて、一緒に対策を練ったり考えたりして、耐えることができました。
お金を取られたこともあるし、物を買ってこいと命令されたこともあり、背後で堂々と悪口を言われ、笑われ、ようやくできた友達も取られたこともあります。友達も自分の身がかわいいので、強い方に行ってしまうのです。

時は経ち、私も親になりました。
可愛い子供に優しい夫、とても幸せな日々を送っています。
だけどいじめの報道、自殺のニュース、見る度に胸が張り裂けそうになります。いじめを題材にしたドラマや漫画、小説、絶対に見ません。思い出すからです。辛くて落ち込んでしまうからです。
いじめる側はいじめた事すら忘れて勝手に幸せになっているかと思うと恨みの心が顔を出します。とても醜く、忘れたい気持ちです。
いじめた人達が忘れているのに、いじめられた側は忘れる事が出来ないなんて悔しい。でも、忘れられない。いじめられるとはそういう事です。

子供が成長し、小学校に入る時が怖いです。
私のような目にあったらどうしよう。今のいじめは私の頃とまた違います。何というかもっと悪質です。だからとても怖い。でも、そのうち必ず通らなければならない道です。
その時は私も母を見習い、学校であったことを話してもらえるような親になろうと心に決めています。
そうなれるといいな、と願っています。

投稿:mintko 2015年07月21日(火曜日) 13時50分

番組、拝見しました。
なんか、もう、悔しくて悔しくてたまりませんでした。
完全に恐喝で、犯罪ですよ・・・。
中学生というまだ10代前半の子たちが死にたいと思うようになって、実行している現実に、ショックを受けました。
何も悪くないのに。いじめはいじめる側に問題があって、本人のせいじゃないはずなのに。

20年以上経っても、何年経っても清輝くんのお父さんは、清輝くんのことを大切に思っていることが伝わりました。
少しでもそれに清輝くんが気づいてくれれば・・・悔やまれます。

「死にたい」って思うときは 自分を責めてしまっているから
「あなたのせいじゃないよ。環境に問題があったんだよ。」って
言ってあげたくて仕方なかったです。

生きることだけでも 誰かの役に立っているってことがあるかも知れないから。辛かったら休んだっていいじゃないって私は思います。

投稿:minon 2015年07月16日(木曜日) 01時28分

自分も高校時代にいじめられた経験があります。
自殺することまでは考えませんでしたが、当時は相当辛いものでした。
今思えば、最初にいじめられることを強く拒否すればいいのですが、いじめられることを自分で受け入れてしまうんですよ。
清輝君のお父さんは、「話して欲しかった」と言いますが、言えませんよ。自分がいじめられてるなんて恥ずかしくて。
それに自分がいじめられていると言える人ならいじめられにくいと思います。
いじめがあったことは、周りの生徒や先生も気付いてたと思います。

自分はこれからもいじめはなくならないと思います。
ですから「いじめをどう防ぐか」よりも、「いじめが起きた時どう対処するか」が大事だと思います。
自分は、こういうことは学校だけでなく、親子関係の問題でもあると考えています。

投稿:ケンジ 2015年07月15日(水曜日) 11時26分

大河内清輝さんの事件は良く覚えています。
当時小6でしたが、私もいじめられていたので。

何とか克服したつもりでいますが、「子供がいじめを苦に自殺」したという報道を見聞きする度に心が痛くなります。

そして今になって感じるのは、大人になっても大して変わらないという事です。
今にして思えば中学時代、先生間のあからさまないじめもありました。
人が集まれば、程度の差こそあれ必然的に発生するんでしょうね。


根絶するのが理想ですが、やはり大切なのは無くならない事を前提にした対策なんでしょう。
大河内さんの講演は、その重要な一例と思います。


投稿:ニジンスキー 2015年07月14日(火曜日) 20時49分