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緊急取材中―精神科病院・20万人以上が1年以上の長期入院という現実―

2014年05月19日(月)

ハートネットTVでは、急遽、取材チームを立ち上げ、
あるテーマを追いかけています。

それは―
精神科病院の現状について。

放送予定は6月10日。
「60歳からの青春~精神科病院40年をへて~」
というタイトルの緊急企画です。

日本では、ひとたび精神科病院に入院すると、
退院して社会復帰するのが困難な時代がありました。
今、この時点でも、
症状がよくなっているのに病院の他に居場所がなく、
長期入院を続けざるを得ないという人たちがいるのです。
いわゆる「社会的入院」と呼ばれる実態です。

ここで一つ、驚くべき事実を紹介します。

先進諸国では、精神科の在院日数は平均20日程度。
症状が落ち着くと、社会に戻り、
コミュニティーの一員として、普通に地域で働き暮らす
ことが当たり前となっています。

しかし―
日本では、精神科病院に入院してそのまま退院できず、
1年以上の長期入院を続けている人が、
20万人以上もいるのです。
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この20万人以上の人たちが、
本当に入院が必要なのか、どんな“治療”が行われているのか、
「ブラックボックス」でわからない状態が続いてきたのです。

こうした実態は世界的に見ても異常であるとして、
1980年代には、
国際法律家委員会(ICJ)と国際保健専門職委員会(ICHP)との
合同調査団が日本に派遣され、
WHOの報告書では、“人権保護や治療の観点からきわめて
不十分”と指摘されていました。
しかし、状況はすぐには改善されませんでした。

いま、国は、消費税の増税分で確保した904億円を使って、
「精神科長期療養患者の地域移行」を考えています。
地域移行の具体的方策について、専門家や有識者からなる
検討会が開かれ、6月17日には、今後の方針が定められる予定です。

しかし、その方針をめぐり、論争が巻き起こっています。

国や病院側は、「社会的入院」を解消するために、
新たに「病棟転換型居住系施設」をつくり、
ここで、退院とスムーズな「地域移行」を促すとしています。

一方、精神疾患の当事者たちや、
地域で当たり前に暮らせる「地域移行」を目指してきた関係者たちは、
病棟を住居に転換した施設では、単なる“カンバンの掛け替え”に過ぎず、
これまでの精神科病院のあり方の、
根本的な改善にはならないと危惧を抱いています。

今年、「障害者権利条約」の批准国となった日本。
本人の意思を置き去りにした「社会的入院」は、権利条約違反です。
これからの日本で、
誰もが人として当たり前の暮らしができる社会を、
いかにしっかりと作り出していけるか。
世界も注目しています。

私たちは、いま、40年もの長期入院を経てきた、ある男性を取材しています。
男性は、いま、退院し、地域での暮らしを始めています。
症状は入院中からすでによくなっており、周囲の方々は、
「なぜこの人が人生のほとんどを、病院の中で過ごさねばならなかったのか?」
疑問に感じているといいます。

みなさんはどのように思われますか。
コメントをお待ちしています。
また、ぜひ6月10日の番組をご覧いただき、
ご意見をいただけたらと思っています。



◆60歳からの青春~精神科病院40年をへて~
本放送6月10日(火)、再放送6月17日(火)
本放送:夜8時00分~8時29分
再放送:午後1時5分~1時34分

コメント

現在精神科病院でソーシャルワーカーをしています。2014年5月19日にハートネットTVで精神科病院での長期入院の番組が放送されましたが、それから5年たった今も、私の勤める病院は長期入院の方々ばかりです。平均10年ぐらいだと思います。20年ぐらいも珍しくありません。最近では新規入院患者が減っていることと入院患者の高齢化で、入院患者数が減少気味です。そのため、できるだけ「退院を遅らせるように」と上から指示されています。特に治療の必要のない人も、地域で暮らせそうな人も、施設に移れそうな人も、そのまま放置しています。患者のためでなく、病院の利益のために働かなければなりません。他病院でも同様の問題を抱えているところもあると思います。ぜひNHKで取材を行っていただき、問題提起をして欲しいと思います。匿名でお願いします。

投稿:かっぱ 2017年07月14日(金曜日) 23時55分

新米の精神保健福祉士です。そして統合失調症の当事者でもあります。発症して今年で20年になります。服薬を欠かさなければ現在は普通の生活ができます。社会的入院の問題は明らかに国家の「不作為」がもとでここまで放置されたのだと思います。今年私はこの国家の不作為を糾弾するために「精神医療国家賠償訴訟研究会」に参加し活動しています。置き去りにされた人々は、十分に声をあげる力がありません。私たちひとりひとりが声をあげていくこと以外に彼らを助けるすべはありません。一人でも多くの方にこの現実を知って、声をあげていただきたいと思っています。

投稿:テツ 2015年05月24日(日曜日) 18時13分

入院して2年目の家族がいます。病院に居るからこそ一応規則正しい生活の流れにいるようです。一人にしたらきっと薬も飲まず止めどなく食事をし独語の中にいたでしょう。
このような状況の人を期限だからと言って退院させられたらどうしようもない人もいるのです。家族がめを離さず、仕事もせず、収入無しでどうやって一人の大人の面倒をみていくのでしょうか?地域で生きていく、きれいごとが全く効かない状態の人が寮のような場所が必要です。声かけてくれる人も必要です。規則正しくなおかつ自由もある生活をさせてあげたいです。病院はありがたい反面、人手が足りないので病室に居ても放っておかれてる事の方が多いでしょう。でたくない!というのが病気なのにご本人が出たくないというので、、、と言ってOTや外を歩くなどいっさい放っておかれています。ただ居る。もっと建設的な健康的な治療もできないものかと思います。ただ薬をのませるだけなのかと、、何も家族では限界があるのでお願いしているのです。

投稿:イタリア 2014年09月27日(土曜日) 02時34分

日本の中でもあまりないと思われる精神科病床の一件もない16万人都市の精神科クリニックをしている看護師です。都内からも30分足らずで来れる私達の暮らす街は、クリニックさえもできたのは8年前です。
そんななかで、入院せずに地域で生きようを掲げて医療のみならず、様々な支援体制を作ってきました。
今、「精神障がい者を地域に返そう」という中で、やっと、民間アパートでのグループホームを造れるという形になり、私達は、「やった!」と思いました。なぜなら、8年前から「親なきあとではなく、親あるうちに自立させよう」と不動産屋さんと連携し、民間アパートへたくさんの方が住んきました。今まで、何度も入退院した方、家で暴れて警察のご厄介になる方、服薬ができず悪化を繰り返す方、様々な方たちが現在120名近くクリニックのそばで住まれています。安い家賃のアパートを探しては、提供していくための転貸をお願いし、保証人がいなくても住める住まいの提供もして来ました。訪問看護やピアサポーターの配置など地域生活を支援していますが、「グループホームになれば、家賃が下げてあげられる」そう思った私達は、すぐに動きました。しかし、今回、私達は、この施策の考え方の甘さにびっくりしました。
まず、「グループホームにする300平米以上のアパートは、全住居に自動火災報知機の設置がなければいけない」という消防法です。
普通のアパートであれば通っている消防法が、グループホームになった途端に変わるのです。賃貸の民間アパートは、他の一般のかたもたくさん住んでいられます。オーナーのご理解はもとより、その一軒一軒に日程をお願いして、高い費用をかけ自動火災報知機を付けなければならないのです。私達は、なるべく、一般の方と一緒に住むことを目的にこの8年してきましたので、全員が精神障害者のグループホームを作りたくなかった現状で、ほとんどのアパートが半分以下の入居になっています。
自社物件でもない、一般のアパートにグループホームにしていい施策としてもこのハードルは高いことを痛感しています。
また、例えば、同じ敷地に立っている2棟のアパートをグループホームにすると、その一軒一軒に共有スペースが必要となります。
共有スペースにも賃貸住宅では、家賃がかかるのです。つまり、2件の共有スペースを確保し、2倍の家賃をかけなければなりません。
これも、おかしい!と思いませんか?
精神障害者は、足も悪くなく、元気です。隣近所くらい行くことができます。同じ建物ではなく、同じ地区のグループホームの仲間が会える共有スペースが一件あればいいと、私は思います。
世話人さんたちともいっしょに食事をしたり、話をしたり、それが、数人よりもたくさんいるほうが、こころ強いのだと思います。
でも、今の現行は、一般アパートといいながら、結局施設化したグループホームの定義しか当てはまらないのです。
10戸分の4人づつ住む物件ではなく、8~10戸全部が入る一件の物件を借りなければ費用がかかるのです。
この感覚が「病棟転換居住系施設」となっていると思っています。
この施策の不具合を、私達はどこに訴えたらいいのでしょうか?

投稿:ひさみ 2014年07月09日(水曜日) 11時36分

2年前に国の事業仕訳で廃止になった精神障がい者地域体制整備コーディネーターを受託し、その後は長野県の県単事業として同事業を引き続きコーディネートしている者です。
番組を見て、嬉しく思いました。ようやく、本当の社会的入院者の姿を伝えてくださっていたからです。また、同じような共感できる目線で家族のことも素朴に伝えていただけたと思います。
先日52年の入院を経て、おひとりの方を特別養護老人ホームへ移しました。この片を移行するのに、約6年かかりました。また、去年には56年入院していた女性を自宅に退院支援できましたが、約3年かかりました。それほど時間のかかる理由は、協力が得られないことにあります。ケースとして地域社会に伝えても、非協力や不作為という壁を乗り越えるのに時間がたんとかかるからです。それもこれも、本来いるべき場所から精神しょうがいになった人の根っこと引き抜き、病院という壁の中に捨て置いてしまったためだと思います。
近隣から精神障がい者の姿が消えて久しく、日本の市民社会は精神障がい者と共生する知恵を失ってしまったんだと考えています。なので、とにかく退院して地域で暮らしていただくことを全力で支えることで、地域社会も身近な彼らとともに生きるセンスを取り戻していただけると信じて取り組んできました。長野県での地域移行コーディネートの事業も今年で終了してしまうことになり、残念ながら、悔しいのですが、国の政策の方向もあり、今後は彼らの地域移行や生活支援まで、病院にイニシアティブが移ることになりそうです。約8年、精神科病院との戦いは、結局病床をなくし社会的入院の解消までは至りませんでしたし、それについての敗北感もありますが、何十人もの社旗的入院患者の退院支援ができた経験は、今後の活動に生かしていきたいです。
番組で紹介してくださった男性のような方々と、一緒に生きていく道を開拓していくつもりです。勇気がでました。ありがとうございました。

投稿:カツユキ 2014年06月14日(土曜日) 18時30分

家族です。
『多くの入退院繰り返しケース・重症化のケース』を検証して思うこと。医療者も家族も社会も『病気の判定から、離れられず、日本の精神科医療の今の力量で治療する。期待する』から、病院が必要になっているんだと思います。
バザーリアの国が『なぜ精神病院を捨てたのか・なぜ日本は捨てられないのか』(大熊氏の本タイトル)立ち位置で、その思惑には大きな違いがありますが、それは、今の社会の在り方を見ればおのずと答えが出ます。『ルポ 精神医療につながれる子どもたち・嶋田和子著』をお読みください。
バザーリアの仲間は伝えます。・・・病気はカッコでくくり横に置き、クライアントの最初の苦しみ・人間らしい苦悩・行きずらさを十分受け止め理解することだと。
医者の最初の仕事は、『クライアントから信頼されることである。』と。
日本で、こんなことしていたら・・・精神科クリニックも病院もつぶれます。
そういう社会の中での『関係の病気だ・出来事だ。』と私は捉えます。
当事者の治療だけでは直りません。
特に、『発達障害』(ラベリングは嫌いですが)の2次的障害の人々が、医療につながり・・・『良心的?無知?』から不幸にも、多剤大量の薬物が入り、3次的障害から抜け出れなくなっていることも・・・そこのところを示唆していると思います。
医療における『最初の認識・誤解』が、人生のしまいまで付きまとってくるのです。身体医学で解決はつかないのが『人間の神秘であり、素晴らしいところだと思います。』

障害者権利条約を批准しました。
『みんんなちがって みんないっしょ!』を社会哲学にしたいものです。特に特に、社会の経済を握っている人々に、『その方がきっときっとあなたも楽しい人生が・・・』   トリエステの風 

投稿:KIVA トリエステの風 2014年06月11日(水曜日) 11時30分

とても素敵な番組をありがとうございます。ときお様の穏やかな表情に頭の下がる思いでした。私は精神科の看護師です。私が精神科病院に勤務しはじめた10数年前は、退院という言葉は病棟ではタブーでした。退院するあてもないのに、退院するためにリハビリをしましょうということは、寝た子を起こすようなことだから、が理由でした。その後、私は大学院に進学し、地域で生活する精神障害者に出会って驚きました。入院患者さん以上に精神症状のある方が、地域で暮らしていました。私自身、病院の中で働くうちにホスピタリズムに陥って、患者さんの退院可能性や地域生活可能性を信じられなくなっていたのだと思います。地域に出ることは、患者さんのみならず、院内で働く医療従事者特に看護職に必要だと思います。
今後、退院させる側からの番組作成もお願い致します。

投稿:響 2014年06月10日(火曜日) 22時49分

今晩は敦です。
本日の番組を観て私は人権侵害だと考えております。

誰でもが統合失調してしまうこの日本社会は過去も今もかわりません。
過去は確かにひどすぎます。
経済ばかりすすめたきた結果、そのようなじたいにもなります。

過去の悲惨な状況をよく観てきたはずです。

個人個人、
確りひとへの温もりや包容力、優しさを。

さすれば、自ずとそのような状況には至りません!

投稿:敦 2014年06月10日(火曜日) 21時51分

追伸です。退院促進ではなく「地域移行」とは変な言葉です。入院が病状ではなく、病院都合や社会的な要因であることをいみじくもあらわしています。ある病院の若手ケースワーカーと研究会で知りあいました。退院を援助したいと頑張っていました。ところが院長が「患者は病院の固定資産だ。退院促進なんかするな」と言われ2年後には退職していました。多くの病院でケースワーカーが「退院調整」役をさせられています。入院のニーズに対応して、退院を促進する役割の病院は少数です。多くの病院ではベッドを常に満床にしておくために、退院日を調整しているのが実態です。患者さんのニーズや病状より、経営的な事を中心に考えるとこうなります。箱物は常に満杯にすることが求められます。
日本には人口比で世界の4倍の精神科ベッドがあります。平均在院日数は約300日と他の国の10倍以上です。人口辺りの隔離・身体拘束件数も世界一です。WHOから入院中心から地域生活型へ転換するよう勧告されています。社会的入院の解消は、日本の精神保健の誤りの結果です。他の国が入院医療と、地域精神保健予算はだいたい半々と聞きます。日本の精神保健では、入院医療:外来医療:福祉予算=72:24:4です。予算も人員も地域精神保健に大きくシフトすることが求められます。「退院意欲の促進」ではなく、病院と国が「退院促進する意欲」が求められています。
「この国に生まれたる不幸」と呉秀三医師が嘆いて、間もなく100年です。これ以上に誤った政策で人生被害をもたらさないことを強く願っています。退院後の住居は、病院敷地内であってはなりません。国家的な詐欺行為です。

投稿:譲慶 2014年06月10日(火曜日) 08時20分

私は精神病院で30年勤務し看護師として働いています。それ以上の年月、この病院で療養生活を送っている方も、数人いらっしゃいます。
その一方で、ある男性は20歳頃入院して、30年以上の長期入院後、文化住宅に退院して一人暮らしはじめ、10年以上になります。手の震えで食事も、服薬も一人では難しいので、毎朝夕、ホームヘルパーと訪問看護が交代で支えています。
入院中は、職員を怖がっているような低姿勢でしたが、今や彼はスタッフに、言いたい事を言えるようになっている。昼の食事を食べにデイケアに来たりNPOの院内珈琲でコーヒーを楽しんだり。近所の店で食事したり。
「好きな時に、ダイエーでたこ焼き食べれるの、ええわぁ〜」と言った時の笑顔がうれしいです。彼は自分の人生を取り戻しているように見えます。今やサングラスの似合う伊達男として、病院に通う有名人の一人になっています。彼を支援することは、スタッフの喜びであり、誇りでもあります。地域生活支援の方策を探り、充実させれば「慢性重症」といわれる人も地域生活が送れます。
病棟から転換した敷地内グループホームだったら、こうはいかないでしょう。

投稿:譲慶 2014年06月10日(火曜日) 08時10分

私もひろさんのコメントに大賛成です。現在の精神科病棟は食べて運動して寝てというある意味健康的な生活かもしれませんが、所詮それ止まりです。
現在は、地域の人がサポートする事に意欲的ではないようですが、自分たちの居住地域なのに、住みよい地域にすることをはき違えている気がします。まるで、地域の治安を守る部分が強い気がします。
だから、ひろさんのコメントは大きく賛成できます。

投稿:BENTAKA 2014年06月07日(土曜日) 10時29分

「精神科うそっぱち退院」
~病棟転換型居住系施設にされると、こんなおかしなことが起こるかも!? 2014年4月13日現在 想像中~

「退院のうた」(「お弁当のうた」替え唄)
                 作詞・唄:よっちゃん
退院 退院 嬉しいな
明日から 個室だ 嬉しいな
みんな さよなら ごあいさつ

個室だ 個室だ 嬉しいな
さよなら しなくて すんじゃった
馴染みの なかまに ごあいさつ

退院 退院 したけれど
夜遊びできぬ 酒飲めぬ
入院との ちがいは なんなのか

※YouTubeでも、「退院のうた」聴けます。

投稿:よっちゃん 2014年06月06日(金曜日) 22時17分

まず、他科の4分の1のスタッフでいいという精神科特例を廃止するべきだと思います。そのために、十分な治療が出来ず収容主義に陥っている面は強いです。(もっとも、最近は大量のスタッフを必要とする精神科スーパー救急も増えていますが)
精神科特例を廃止すれば、従来のスタッフ数ではどうしても病床数を削減せざるを得なくなり、その結果病床数は減ります。
地域で患者さんを診るには、それをバックアップする病院側にも十分な人的資源が必要です。そのためにも、まず精神科特例の廃止が先だと思います。

投稿:鯨 2014年06月06日(金曜日) 19時15分

病院に20年、30年あるいはそれ以上閉じこめられていた人が社会性を失っているから、その人達に配慮をするために、やっぱり病院の中に居住スペースを作ってそこで暮らさせるというは、何の配慮かまったくわかりません。いったいそこで何をしていくというのでしょうか。

社会性が奪われて、例えば住むところを探すことが出来なかったり、人とどう関係を作っていったら良いのか分からなかったり、食事をどうしたらいいのかわからなかったり、どんな制度が自分に使えるのかわからなかったり、服薬やお金の管理が出来なかったり、不安なときや、調子の悪いときに誰が助けてくれるのか分からなかったり、そもそも一人で暮らすことや地域で暮らすことに不安があるのなら、まずそれら一つ一つにサポートが必要ということです。

住むところがないのなら、地域に住居を造る、、あるいは一緒に不動産屋に回るサポーター、生活保護の申請に一緒に行ってくれる人、不安なときにそばにいるヘルパーや支援者、支えてくれる当事者の仲間、配食サービスを知らせること、どうやって金銭管理をしたらいいか一緒に考えてくれるサポーター、そもそも、地域で暮らすことは怖いことではないと伝える当事者やサポーター、自立を体験する自立体験室、地域の細かいルールや、入院している間に変わってしまった地域を一緒に見てくれる人、本当に人権を守り自立をサポートしてくれる団体など、そうしたものがたくさん必要になってきます。
そうしたサービスやサポートが病院で行われているでしょうか?行われていません。病院という閉ざされた空間ではそうしたことは出来ないのです。そしてそれは病棟を転換した居住スペースでもおなじことです。
いったい病棟を転換した居住スペースで何を配慮するというのでしょうか。

本人の力を奪い続け、力がなくなったから保護しましょうというのは「治療者」側のあまりに身勝手な行為でしかありません。
力を奪ったのは長期入院させ続けた医療です。

病院に住むことでは人権は守れないし、当事者の力を奪い続けることになるのです。これは人が生きる、自由に生きることが出来ないという大問題です。
一人一人違う、個性があるし、症状が違う、だからこそ地域に出て、どれだけ沢山のサポートを貰い、自分で生きていくかが必要なのです。サポーターは病院の中ではなく、地域で当事者を支えるという決意と行動が必要なのです。一人一人の細やかな声を聞くことが必要なのです。
人権を無視した配慮などありえないのです。

投稿:ひろ 2014年06月06日(金曜日) 15時15分

病歴の詳細は避けますが、精神科への入退院と通院を15年ほど続けている40代後半の者です。
私がいつも入院している病院は、開放病棟ということもあり、他の方の話しを聞いている限りでは、患者を尊重しようとがんばってる病院に入るのかもしれません。しかし病院で過ごす時間はどこまでも病院で過ごす時間であって、本当の意味で「地域で暮らす」生活、とくらべられるような場所ではありません。

病院に居る限り、患者とドクターをはじめとする医療従事者とは圧倒的に力関係が違います。腹立たしいこと、不条理なことに対して、少し声を荒げただけでも「症状」にからめとられてしまいます。ドクターの機嫌をそこねたら、役所に提出する必要な書類も書いてもらえなくなるような気がして、いつもどこかでびくびくしています。

「病棟転換形居住系施設」を作ろうとしている人たちには、せめて1ヶ月でも患者と同じ条家で入院していただきたいです。生活の自由が奪われる、生活が管理される、常に誰かの顔色を伺う生活をする、ということが、自分が呼吸したいときに自分がやりたいように呼吸ができない、ということがわかっていただけるのではないかと思います。

投稿:月の光 2014年06月06日(金曜日) 04時26分

検討会では精神病院の開いた病床をどうするかが議論されています
空き病床の活用って最低以下の条件が必要だと考えます
1 精神障害者のみが使う施設にしない
2 居住系施設にしない
人権教育センターにでもしたらどうかしら
あるいは障害者権利主張センターの事務所にするとか
あるいは市民学生教師の合宿研修センターにするとか

投稿:眞理 2014年06月06日(金曜日) 03時58分

長期間社会から隔離されてきた方たちを社会で暮らせるように訓練するなんてことではなく、まさに寄り添うなら、地域の中で、むしろ介助者を訓練するために自立生活体験室が必要 それはそれぞれが住みたい場所に作らなければ意味がありません
ある方がおっしゃったようにゴミの出し方だって地域で異なるんですから。
寄り添うのになんで病院の病棟転換施設でないとできないなんていう珍重な意見が出てくるんでしょうね

投稿:眞理 2014年06月06日(金曜日) 03時36分

いわゆる「必要論」につきまして
例えば「しかし、20年も30年も閉じ込められ、社会生活のスキルを奪われてしまった、大多数の障害者への配慮は、この人たちにはありません。同じ障害者、当事者といっても、こころは多様です」と言ったご意見がありましたが、配慮やケアや各種サポートの必要性は私のみならず多くの人が述べています。総合福祉法をはじめとして各種法整備、制度整備も進んできています。敷地内病棟転換型居住系施設でなければ提供出来ない配慮やケアや各種サポートって一体なんなのでしょうか?あったら具体的にご指摘くだされば幸いです。ちなみに精神障害者の場合、医療が95として福祉には5しか支出されていないとも聞きます。この構造自体を福祉中心に変えて行くことも大きな課題だと思います。

投稿:荘一 2014年06月05日(木曜日) 16時08分

このブログにも、何人かの当事者が声を出しています。絶対反対であると。退院が病院の敷地内なんて、考えられないと。そうしたご本人は、そうすればいいのです。しかし、20年も30年も閉じ込められ、社会生活のスキルを奪われてしまった、大多数の障害者への配慮は、この人たちにはありません。同じ障害者、当事者といっても、こころは多様です。病院の敷地の中のよりましな病棟や、生活体験施設での、社会生活を復活させるための取り組みを経て、社会に戻る選択肢があってよいと思います。これらすべてが、人権規約違反などと言う言説は、過程論を無視した暴論です。病者のひとりひとりに寄り添い、まずは社会復帰の不安や絶望に寄り添うことから始めなければ、長期在院者の社会復帰など、できるはずがない。

投稿:幸政 2014年06月05日(木曜日) 09時29分

今日の「社会的入院」は、収容型精神病院の粗製大乱造を企画した厚生行政と、収容ビジネスに群がった投機家たちとその末裔が、半世紀かけて作り上げたコラボ作品です。忌憚なくいえば、かの日本医師会会長の故・武見太郎氏が1960年に発明し、日本精神神経学会が1970年に流布させた絶妙な言葉“牧畜業”の負の生産物です。そしていま話題の病棟転換型居住系施設は、その「社会的入院」を人々の視界から消し去る手品の仕掛けです。皆さん、手品に見とれている場合ではありません。「社会的入院」は如何なるカラクリで発生したのか、それが、どれくらい患者の皆さんの人生を値切ってきたのか、を真剣に考えてください。

投稿:一夫 2014年06月05日(木曜日) 09時10分

もしも、あなたが明日統合失調症になり、強制的に入院され、そのご40年間病院の中だけでしか生きていけないとしたら、あなたはそれも「病気だから仕方がない」と思いますか。
病院の役目は病気の人を治すまたは症状を軽減して患者を地域に戻すことにあります。それは他の身体的な病気にかかった場合にはあたりまえにわかることなのに、なぜ精神疾患になると病院から地域に戻ることがこんなにも困難でなのでしょうか。

もしも、あなたが病院の敷地内に安い物件があったとして、そこに住みたいと思いますか?思わないと思います。
では精神障害者なら病院の敷地内でも仕方がない、と思われるのはなぜでしょうか?
そこに、精神を患った人は、普通とは違う、という意識があるからではないですか。それを差別といいます。

何十年も病院に拘束され、あげくの果てに病棟を改造したアパートに移させ、「病院の中で死ぬことと、病院の中のアパートで死ぬことには違いがある」などと言うのは、言語道断です。
本当に地域に返すのなら、退院させ、本当の地域で受けられる支援(例えば、住居、制度、生活保障、人との繋がり、サポート体制など)を手厚くしていくのが国のやるべきことではないですか。
現実もへったくれもない、やるべきことは、一人の人間が自分で決めた地域で住み、サポートを受ける、それだけです。

病棟転換型居住系施設の問題は人権の問題です。
何十年という間、拘留され自由を奪われた人に、名ばかりの「地域」を与え、さらに人の人生を奪う行為なのです。
これは国連の障害者権利条約違反です。

私たちは人から与えられるのではない、自分で選び、自分で決め、自分で責任をとる生活を望んでいるのです。
私は病院の中のアパートなどで死にたくない!

投稿:ひろ 2014年06月03日(火曜日) 22時37分

私が入院していた病院には、42年入院していた人がいました。
しかし、特に病状が悪いわけではありません。いたって、地域に暮らしている人たちと変わりません。
彼女ももう、60代後半になりました。このままでいけば、間違いなくずっと退院できないでしょうし、いわゆる「棺桶退院」になるかもしれません。
だからといって、病院の中の施設に「退院」なんて、それは退院じゃありません。そこは地域ではなく、「病院」です。彼女たちが帰って行くところは、地域です。
もしも、地域だと言われて、一般の人が病院に住まうなんてあり得るでしょうか。病院に住んでみたいですか?

病院内退院には、自由がありません。敷地内禁煙の病院であれば、たとえ個室であってもタバコも吸えず、酒も飲めません。夜、友だちと遊んだりもできません。
これを望む患者さんは、果たしてどれだけいるのでしょうか。私もイヤです。これは、人として、当たり前の反応であり、欲求です。
それを奪い続けてきた精神医療体制、精神科病院のありかたは、まさに患者さんの人権を大きく変え、剥奪してきたのです。すべての人は、このことを知ってください。

今、敷地内退院の問題が叫ばれています。国から大きく支援を受けるそうですね。
そのお金で、グループホームや地域活動支援センターを作り、患者さんを地域に送り出してほしいのです。
患者さんはそんなに弱い人間、そんなに弱い病人ではありません。適切な支援があれば、地域でくらしてゆけるのです。人を信じてくれませんか。
自由のない環境が病気を作り、その病いにおかされているだけです。「拘禁反応」という言葉もあります。なんでもない人でも、閉じ込められていれば、病気になるのです。

自由こそ治療。そんな言葉もあります。必要もない理由で病院に留め置くことなく、まして院内施設に都合よくほうりこむことなく、地域で生活が送れるように計らってください。

いち当事者より

投稿:たにぐち万結 2014年06月03日(火曜日) 20時03分

「病院から地域へ」この掛け声の下で退院促進事業や地域支援、自立支援事業という国から自治体における行政指導の事業が増えてきて多くの福祉事業者とそこに雇用が創出されていること自体は歓迎されているように表向きは見えるけどその実態は福祉と名乗ることで社会貢献を装いながらも単純に安易な経営をしているだけになっている傾向はゆがめれない。
当事者主体で運営を考えている事業所の存在はどれ程あるのだろう?
事なかれ主義で当事者が扱いづらければ退所を促してみたり自立を支援するどころか、抱え込みをしたいというのが本音じゃないだろうか。
福祉の精神というものに何の関心も持っていないノーマライゼーションの意味すらも知らない事業所の責任者は多くそれが国からの助成を食い物にしているとしたら当事者はいい迷惑をこうむっているのではないだろうか。
精神医療自体が病気を蔓延させているといわれること自体にはさして反対もしないし実際、薬物治療しかできない精神科医の治療とは何なんだろうと疑問を抱くし、効果がみられているのは急性期における鎮静くらいのものだろう。認知行動療法などの精神療法での回復者の数は確実に伸びてきているのにも関わらずに収益を確保するためか、薬品メーカーの御用聞きのような医者はいつまでもメデイアに露出するし、偏見たっぷりの製薬会社のCMにも呆れてしまう。

当事者における最大のケアと支援はまずは環境の確保と当事者の自己主導型の改善プログラムによる生活支援を通して本質的に社会参画可能な自立支援就労訓練を押し付けるのではなく選択できるようにして頂きたい。
当事者の中にはかなりのスキルを取得していたり経営経験、教員などの社会経験を有する存在は多い。当事者は個々によってハンディの質は違うのは本来、当然のこと。そのハンディをそれぞれが克服しえないから当事者なんであってそのハンディに対する個別の支援をどうしていくかをもっとメンタル面においても検討の課題に挙げていただきたい。

当事者も健常者もなく人には必ずQOLを向上させていけないと生きづらくなる。当事者の生きづらさを聞き取れない環境や会議室の議事進行や治療にかかわる技術の開発は何の役にも立たないと私は考えます。

投稿:maqui 2014年06月03日(火曜日) 16時40分

この問題を精神科医療福祉の枠組みだけでとらえていては、解決の道筋は見えてこないと思います。精神科の医師や福祉スタッフの技量やあり方、個別の精神科医療福祉政策の議論にとどまらず、法律と政策の議論、一般医療の在り方の議論へと進む必要があると思います。課題は精神科医療における課題ですが、そのよって来たる所は、法律と社会制度による野放図な患者隔離であり、医療全体の政策の中での精神科医療の特別扱いによる排除と断絶にあると思うからです。法律や社会制度、広く医療として、どのように私たちの社会を変えていくか。その議論を詰めることが有益だと思います。課題が精神科医療福祉に見いだされるからと言って、精神科医療福祉の議論にとどまっていれば、いつまでも堂々巡りになるでしょう。私たちの国の精神科医療福祉の技量が特に劣悪であるわけではないし、私たち国民が特に重い精神病にかかるわけでもないのですから。問題は精神科医療福祉にではなく、基本的な法制度、その患者隔離の枠組みにある、と思います。

投稿:光秀 2014年06月03日(火曜日) 14時15分

私は「病棟転換型居住系施設」(最近名称が変わっているようですが)にはあくまで絶対反対です。この流れの背景には、厚生労働省の「病床削減」の動き、私立精神病院の経営問題等様々な動きがあると考えられます。そして世界一多い入院患者数を見かけだけでも減らしていきたいという動きもあるのだと思います。
この施設を作る論理は日々流転しています。最初は「人生を4人部屋のベットで終えるのと、同じ病院内での個室で送るのとは大差がある」という論理でした。それが最近では「社会復帰にも人それぞれ様々な方法が考えられる」という論理にすり替わっています。
いわゆる「困難事例」を上げて「正当化」される方もいらっしゃいますが、平均300日を超える日本だけに、他の平均20日程度の先進国とは違った「特殊な困難事例」がそんなに多く存在するとは私には思えません。多くの入院患者は誰しも一度は退院したいと思い、その思いを拒絶され、そして10年、20年といった長期入院となってしまっているのだと思います。この施設はやがて「精神科老健」という認知症の高齢者の収容施設へと変わっていくだろうと多くの関係者はみています。「病院敷地内も『地域』だというのが厚生労働省の見解ですから、なんとしても真の地域生活を送れるように、関係者は努力しなければなりません。病院側には、家族や地域の厄介者を「預かってやっているんだ」という度し難い差別的な偏見があるようです。まずは病院は1月程度で退院するのが常識であるということ。対応が難しいとされる患者でも地域で充分なスタッフをつければやっていけるし、やっている事例もいくらでも諸外国にも日本国内にでもあるのだということを皆さんに知って頂きたいと思います。私たちは「現実を無視した理想論」を唱えているわけでは全くありません。いままで積み重なってきた「現実」のほうがおかしくなって破たんしてきて、具体的に今回のような動きになったものと私は理解しています。

投稿:荘一 2014年06月03日(火曜日) 12時44分

今年の予算、地域移行、地域定着支援予算の87%以上が医療観察法
これで病棟転換施設を認めたらまたまた、予算の大半は施設へ。

投稿:まり 2014年06月02日(月曜日) 14時15分

「社会的入院」は医療機関と行政機関の怠慢だと私は考えています。しかし、そうせざるを得ない現状も事実だと思います。TVで取り扱っていただける「了解可能」な患者ばかりではないことは私も入院経験がありますから知っています。しかし、ある程度回復した患者を病院に閉じ込めておくことは患者の人生を奪うだけではなく、行政機関にも多大な医療費が発生するわけで大きな(無駄な)損失だと考えます。ただ、私も当事者なのでなんとなく分るのですがこの国の社会には精神病者に対して理不尽な差別が存在しているように感じます。例として身内に精神病の者ができたら地元ではないどこか遠くの病院に入院させることなどが挙げられます。ただでさえ精神病という重い障害を抱え、尚且つ社会に精神病患者に対する理不尽な差別があるとすれば、おそらく当事者(私も含め)は社会で生きていくことに耐えられないと思います。良くなってもすぐにまた入院しなければいけないくらい精神的に追い詰められ、病気が再発する可能性だってあります。ですからこの問題はとてもデリケートで一朝一夕には片付かない、いつまでたっても解決できないのだと思います。

投稿:はぐれメタル 2014年05月29日(木曜日) 22時28分

現在の、転換型病棟群構想への反対論は、病院の内か外かだけを論じて、院内敷地への退院は認められないという、ごく皮相的な反対論です。地域移行事業が進展せず、わずか3千人足らずの実績しか残せないのは、当たり前。病院のダウンサイジングと並行しなければ、うまくいくはずがない。長期入院により生活能力を奪われた障害者には、院内にも、院外にも、社会生活を支援するさまざまなツールが必要です。にもかかわらず、院内での訓練病棟などは要らないというのは、不安が強くてまず院内でのステップが必要な社会的入院者の層を切り捨てることになります。見捨てです。たとえ、訓練病棟に効果があっても、その後、それに縛られて退院できなくなる数万人を生み出さないために、反対。などという声がありますが、であるならば、使用の起源を設けたり、再利用を制限したりのルールを作ればいいのです。危惧はあっても、病院の縮小と地域資源の拡充、それを院内と院外でつないで地域生活を支援するソフトの3点セットがなければ、社会的入院者の支援はうまくいきません。

投稿:azuma 2014年05月28日(水曜日) 16時45分

NHKしかできない素晴らしい番組企画、というより「調査報道」です。老齢人口が更に増加し、認知症対応がますます社会全体の課題になりつつ現在、精神病院でおこっている深刻な事態は警鐘そのものです。イタリアでお勉強中のことみさんの投稿の中にいろいろの示唆があると思います。他の方々の投稿も大変,勉強になります。どんどん発信してください。番組に大いに期待し、楽しみにしています!(私は大学講師でジャーナリストで身内に障がい者がいる団塊世代です。)
 

投稿:むつ子 2014年05月27日(火曜日) 22時55分


私たち支援者は、精神障害者の地域生活を支えて行く為に、地域にア
パートを借りる努力を積み重ね、或いはGH等の居住空間を地域の只
中に創設する運動を、今こそ猛然と始めるべきです。「病棟転換居住
系施設」に言葉で反対ばかりしていても始まりません。この閉塞した
状況は動きません。時の流れの中で、毎年2万人と言われている病院
内に於ける死亡退院の山が、今後とも累々と築かれて行くだけです。

この仕事に従事している支援者ならば、地域の只中に1部屋ずつ着実
に、彼等の居住空間を創っていきましょう!! 実際にその数を増やし、
地域で暮らす彼等を取り巻く支援のネットワークを、地域の只中に黙
々と築いて行きましょう。相変わらず病院からは地域に誰も出て来な
くても、退院者が1人もいなくても、地域に居住空間を創り続けて頑
張り続けましょう。ガンジーの非暴力運動のように。
それを見て、やがては心ある方々が動き出します!! 
私はこの国の同朋の誠意を信じています。

現場の人間は、何を言ったかではなく、何を為したかだけが勝負なの
です。病院の中の「病棟転換居住系施設」にではなく、地域の只中に
お金を投じて行くことを訴え続ける運動体を、いまこそ一緒に築いて
いきましょう!! 

地域住民の反対運動があるから、居住空間を地域に設置できないとい
うのは、地域で創設の努力を実際に真剣にしていない人の言うことです。
単なる言い訳に過ぎません。古い因習が残っている厳しい状況下にある
郡部と言われているところでさえも、地域住民の理解を得て幾つもの居住空間を創設している例はございます。

地域で非営利の運動体を営みながら12年目を迎えようとしている私た
ちは、精神障害者の地域生活支援の仕事を真剣に行うのならば、病院
に閉じ込められているこの国の精神障害者が、身近な地域で暮らすこ
とに対して、いつまでも同じような議論をしているのではなく、もっ
ともっと地域の只中の現場で、この課題に真剣に取り組まねばならな
いと考えております。

砂漠に水を撒くような試みかもしれませんが…、支援者の皆さん、一
度馬鹿になって、みんなで一緒にやってみませんか。

投稿:潔 2014年05月27日(火曜日) 21時39分

僕は、精神科に通い始めて30年
閉鎖病棟にも入院した事もあります。

なんとか退院し、その後何度か
入院はしましたが、現在は
精神保健福祉士を取得し、地域への定着を
目指して、11年経ちました。

長期入院の方々を実際に患者として関った事も
他のスタッフには無い強みだと自分は信じて前進
しています。(時々後退しますが・・・)

でも、長期入院の方々が地域移行するに当たって
一番必要と思ったのは、住居・居場所・お金
この3点だったと思います。
これに、相談者、友人、知人などの人的支援
そして、自分の障がいを知る、現在の地域の情報など
細々としたことはついてきますが、今後も
陰ながら応援していきたいと思っています。

投稿:文聞 2014年05月27日(火曜日) 21時26分

二度目の投稿、失礼します。
そもそも私の人生をぶち壊したのは、明らかに数か月前入院した病院です。もう失うものは何もないので投稿できますが、患者の私がイライラしている時に、看護師に「あんた一歩も成長してないね」とぶちきれられて、私が看護師を殴ったら、「いい加減にしろや。保護室に行きますか」とまたぶち切れられて、私の意志ではあったが、引きずるように保護室に連れて行き、保護室で「あーあ、私の人生もう終わった」と号泣したのがきっかけです。
でもよく考えたら、「病院が私の人生をぶち壊したよね。ああいう患者目線ではない看護師が多いのが当たり前、その空気が私をダメにしたよね。」ともう断言できます。
私はあの保護室の件で、「ここにいてもしょうがない。あとは自分でやる」と決断して強引に退院しましたが、その決断が出来てなければその先私はまた看護師から叩かれると思います。他に何十年も社会的入院を続けている患者も多いので、病院側には他人の人生をぶち壊さないでほしいです。症状が落ち着く時もある患者は特にそうです。
長文失礼しました。

投稿:BENTAKA 2014年05月27日(火曜日) 07時06分

私は19歳で発症し、今は統合失調症と診断されている41歳の女性です。結構、永い病歴ですが、ちゃんと病気に向き合いだしたのは
15年前の入院からです。
その前に、19歳の時の東京での入院生活で、当時、みんなどこもでも当たり前だった精神科病院の閉鎖病棟タイプの処遇での嫌な、(恐ろしい)体験をしてしまったので、それ以来あまり真面目に病気と向き合おうとはしていませんでした。と言うか、もう精神病院と関わりたくなかったのです。
ところがまた大きな再発を15年前にした時に、今度は埼玉県の開放型の精神科病院に入院をすることになり、そこでの処遇によって、病状だけでなく今までの閉鎖病棟でのトラウマ体験を癒してもらいました。
入院期間は約10ヶ月間でした。私の両親が病状の落ち着いた私を、引き取るのを拒否していたためです。危うく社会的入院になりそうになっていました。
その時のことを、両親は「病状がひどかった私が実家に帰るのを想像した時に、とても面倒を見ることができない…。」と話します。
「退院したい私」と「不安の大きい両親」の攻防戦が長く続いていたわけですが、拒否されたショックも大きく、正直言うと「ああ、もう退院しないでもここで暮らしていけばいいかなぁ…」という思いにだんだんなっていってしまいました。

でも、当時私の担当だったPSWさんと、私の担当だった看護師さんたちが外にお茶をしに連れ出してくれたり、買い物に連れ出してくれたりと、個別の対応をしてくれて、すごく私の意識を退院に向けてくれました。
それだけでなく、開放型の病棟だったので、外界と病院内の行き来ができるので、外で生活している、仲間と言うか先輩方の生活ぶりを身近に見ることができて、みなさん大変そうでしたが地域で生き生きと生きているのを見て、「よし!やっぱ私ももう一度外界生きて行こう!」という気にもさせてもらいました。
この病院は、私が以前に入院した都内の病院と違って、空気が動いています。時間もちゃんと動いてます。人も、もちろん動きがあります。
あと、言いたいこととして、
ほかの病院に通っている人から話を聞くと、
最近の若い専門職の方や、当事者の方々を見ていると勉強は出来るんだろうけども、資格はあるんだけれども、私たち当事者に寄り添うというよりは、社会復帰に向けての指導したがる方が多いように思います。私こんなに頑張ってますアピールが、とても熱心だけれども、もっと個別の将来性や今までのその人の生き方などを考慮して、対応して欲しいなぁと思う時があります。


私が入院していた時にお世話になったスタッフの方々が高齢になって、だんだんいなくなってきてしまいました。
のんびりしているように見えて、みんなとても仕事熱心だった。一緒に日々を楽しもうという姿勢がとても自然でした。その理念?は今も生きているので、私はデイケアには一息入れるつもりで癒されに通っています。

当事者として言いたいのは、「人として扱ってくれる病院」がいいです。でも日本には閉鎖病棟が主流だからどうしても管理的な処遇になってしまうのかな…。
どんどん取材してもらって、TVカメラが入って、色々と暴露されて、良くない処遇を受けて長期入院している当事者が少なくなればいいと思います。

乱文にて失礼しました。

投稿:ほこ。 2014年05月26日(月曜日) 11時12分

発達障害者の私もその犠牲者の一人です。病棟で、「危険だから」という決まった理由で車いすに乗せられたり、薬を大量に飲まされたりした患者も知っています。その患者と看護師や医者とのやりとりもよく聞こえていました。もうそのやりとりは、患者への寄り添いも患者の困り感への理解も見せない、寂しいやりとりです。
入院のプログラムも、これといったものは特になく、デイケアと問診と検査くらいなので、症状が回復してるか分かりにくくて困ります。
しかし、消費税の増税分で確保した904億円を、「精神科長期療養患者の地域移行」の予算に使おうと考えているなら、消費税を増税した分、患者を救ってほしいと思います。
もう、国が入院の最長期間を制定したり、看護師や医者が患者の特性を理解してその上での対応をするよう働きかけたり、国が動くべきではと思います。
最後に、以前精神科の事を誰に相談すればいいのかとカキコミ板にコメントしましたが、緊急取材本当にありがとうございます。取材・編集と大変でしょうが、番組を期待しています。

投稿:BENTAKA 2014年05月26日(月曜日) 10時14分

私の姉も統合失調症と診断され15年になります。入退院を繰り返していますが良くなっているようには思えません。薬も何種類か使用しています、飲まないと禁断症状みたいなものもあります。薬物依存的なかんじで、治療というより薬による誤魔化しであり、もう飲まないといられない状態なのではないかと思います。
このままで良いのかと思いますが、自分の知識、力、では、どうする事もできず、ただ時間だけが過ぎて行きます。
なかなか相談する人もいない状態で、見て見ぬふりをする自分もイヤになります。病院も商売なんだな、と考えると今の状況が理解できます。薬、入院、患者さんの維持は、収入源ですから。
医師も信用できなくなりつつあらりますが、今、思うところを話してみようかと思います。今の姉の姿は病気になる前の姉の姿とまるで違うのです。薬で治るものなのでしょうか。

投稿:匿名 2014年05月25日(日曜日) 15時58分

志の縁結び係&小間使いを名乗っている元朝日新聞論説委員の大熊由紀子と申します。この問題の背景を、福祉と医療・現場と政策の新たなえにしを結ぶのHPの「選んだ場所で誇りをもって」の部屋にupしました。くりっくしてみていただけるとうれしいです(*^ー^*)。批准された障害者の権利条約に明らかに違反しているのに、まったく意に介さず、消費税を財源とした予算要求に向かってまっしぐらという風なので、なんとかしなければ。番組に心から期待しています。

投稿:ゆき 2014年05月24日(土曜日) 15時13分

病棟を施設に変えても、住所は同じ、付き合うのも同じ人、支援者も変わらない、出かけようとしても、駅まで遠い、交通費もかかる。毎日病院のデイケア、入院中と同じ食事、いつになったり町に退院できるやら。
わざわざ施設作るなら、長期入院の方に退院に向けた活動費と準備金を、そして求めに応じてガイドヘルパーを
一旦施設を作ってしまえば、またぞろそこに収容される人が作り出されます。誤った収容政策を再現してはなりません。

投稿:真理 2014年05月24日(土曜日) 14時51分

この現実は何十年も続いています。
私自身統合失調症をもっていますが、精神病院はたいがいへんぴなところにあります。
地域移行といって、病院から地域へケアを移すための活動をしていますが、地域でいくらがんばっても、引き出すことが出来るのは、1%もみたないのが現状です。
なぜなら、多くのカウントされている退院数が、転院、または死亡です。
このことを考えると、強制退院しかないと思います。というより、病院がかわらないといけないと思います。
仲間が人里離れた場所に詰め込まれている現状はとても悲しいです。

投稿:健 2014年05月24日(土曜日) 09時09分

今年の3月に介護の世界から精神科病院への転職をしました。
いろいろカルチャーショックはありますが、勤務先にも「そろそろ在院1万日目」を迎える方がいるようです。世の流れに沿って長期入院者の退院支援に腰を入れ始めたそうなのですが、なかなか難しいようです。「受け入れる器がない」(金銭的負担も含め選択できないという事も含まれますが)という事もあるようです。

「地域」で暮らすことが出来るレベル(または周辺環境)の人は反対意見が出るのでしょうが、病院にいるほどではないが「地域」で暮らすことが出来ないレベルの人はどこへ行けばよいのでしょうか。

私は認知症病棟にいるので高齢者の例ですが、精神疾患(認知症も含む)による暴力や暴言がある場合「施設での対応不可」となり入院してきます。施設側では拘束が出来ないため、本人の安全が確保出来ない(多動への見守りに人手が割けない)事や暴力対応への複数人での介助にはただでさえ人手が足りない世界では無理があるからです。
施設に帰るには薬剤調整を実施しますが身体的にもレベルダウンするリスクもあります。また、暴力暴言で在宅生活困難になり入院してこられる方もなかなか受け入れ施設が見つからないようで入院の長期化を希望され1週間の予定が3か月に変更など見られます。

精神疾患に特化した、暴力や問題行動に対応できるケアの訓練を積んだ職員がいるような施設が出来ない限り結局は長期入院か過鎮静を余儀なくさせられるかだと思います。

今回の問題提起は地域で暮らすことが出来る人の「必要のない隔離」なので論点はずれていると思いますが、やみくもに反対せずこういう現状もあるのだと、また使い方次第ではうまく活用できるはず、という思いも入れていただければと思います。

投稿:裕美 2014年05月24日(土曜日) 03時05分

現在イタリアでインクルーシブ教育について勉強している大学生です。
イタリアでは70年代に精神病院が全廃され、今ではオープンなスペースのデイケアセンターしかなく、精神疾患の人が地域で生きています。精神病院を廃止したバザーリア医師は、「精神病など存在しない。精神病院にいるから精神病になるのだ。」と言いました。閉じ込められた空間で、気力を奪われる薬を与えられれば精神病になるのも容易に理解できます。
特別支援学校・学級を作らず、障害児を分けずに同じクラスで学ばせるイタリアの様子を見ていると、日本がいかに厄介だと思われるものを隔離し見えなくしその人について考えることをやめてしまっているか思い知らされます。
経済・政治で問題をおこすイタリアですが、人間のことに関しては、日本よりもはるかに健全な社会だと思います。

投稿:ことみ 2014年05月24日(土曜日) 01時45分

精神病とされる病気「化学物質過敏症」でチックで思考力低下で寝たきり寸前でした。
実際のメカニズムは「ビタミンB欠乏」です。アセトアルデヒド代謝・心理ストレス・糖質過多等々で失われるビタミンB群。これが失われるとアル中で知られる病ウェルニッケ脳症など精神疾患も出ます。ミトコンドリアでATP産生ができず活動エネルギーが作れません。慢性疲労につながります。不思議なことは精神疾患は付属の病でもそれが本体の病ではない化学物質過敏症をしつこくバッシングする人種。噂では製薬利権がある人物だとか憶測されます。しかし、アセトアルデヒド代謝で多飲と同等の症状を見せる病の叩き方が異質です。持論に不利な情報は出しません。これって、既得権益に関係がありますか?本来栄養治療で健やかに脳内伝達物質が働くはずの人もいると思います。私は独学でチックも寝たきりも思考力低下も改善しました。溝口徹先生の講演会が「気づいた医師」らで盛況だってご存知ですか?日本人はアルコール代謝に問題ある人がいます。薬剤代謝酵素にも関係してくるそうです。
研究が進んできてるので、常に真実を射ぬく放送を期待しています。
医療の光も影も取材してください。
調べると・学習すると・知ると、とっても楽しいです。

投稿:匿名希望(めろんぱんだ) 2014年05月21日(水曜日) 22時33分