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【出演者インタビュー】沢 知恵さん「『島で生きた証』を聞いておきたい」

2013年11月07日(木)

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11月7日放送(11月14日再放送)
「ハンセン病 島の記憶をつなぐ」
ご出演の沢 知恵さんにメッセージをいただきました。

 

《沢 知恵さんプロフィール》
シンガーソングライター。これまで25枚のアルバムを発表。98年には韓国で、戦後初めて公式に日本語で歌い、第40回日本レコード大賞アジア音楽賞受賞。代表曲《こころ》は、夏川りみ、持田香織ら多くのアーティストによりカバーされた。沢さんは、1971年に牧師の父親に連れられて生後6ヵ月の時に大島を初めて訪問。13年前からは大島で毎年夏にボランティアでコンサートを行っている。

 

――ハンセン病療養所「大島青松園」のある大島の記憶を残し、
伝えていこうという取り組みを見ていきました。
毎年大島でコンサートを行っている沢さんですが、
どのような感想を持ちましたか。

そうですね、私にとって大島が本当に大切な場所であることを
再認識できました。
そして、大島の素顔や現状を多くの方にお伝えできたんじゃないかなと
思います。

 

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――特に印象に残っているところはありますか。

療養所の引っ越しにともなって、
東条さんご夫妻が物を整理して捨てていく場面ですね。
すべての物にはそこに宿る持ち主の“思い”があると思うし、
東条さんの場合、それが「島で生きた証」でもあるわけです。
どんな気持ちでそれを捨てていったのかなって。
そして、私はちゃんとそこに寄り添えたかなというふうに思いました。
島にはまだまだ残っている物がたくさんあるはずなので、
今度大島へ行ったときは何かひとつでも思い出の物を見せていただいて、
その物語を聞いておきたいと思います。

 

――沢さんとのつながりも深かったハンセン病元患者で、
今年8
月に亡くなった詩人の塔 和子さん(*)の話になったときには、
目に涙も浮かべていらっしゃいましたが、
やはり沢さんにとって塔さんは大きな存在でしたか。

そうですね。塔さんが亡くなったという知らせを聞いた翌朝は、
なんだか地球が軽くなったような気がして……。
それくらい塔さんの言葉は私にとって重かった。

でも、私がこれから残りの人生を生きていくのに
十分な言葉を残してくださったし、
その言葉を歌で広げていくことが私の役目のひとつだと思います。
バトンを頂いたという気持ちで、前向きに、
塔さんの笑顔を思い浮かべながら歌っていきたいです。

 

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*塔 和子さん……詩人。ハンセン病元患者。大島青松園の中で20代後半から詩作を始め、これまで19の詩集を発表。99年、その年の優れた詩集に送られる高見順賞を受賞した。2013年8月28日逝去。沢さんのアルバム『かかわらなければ』は、塔さんの詩に沢さんがメロディーをつけ、完成させた。写真は大島で行ったコンサートの後の塔さんと沢さん。

 

――視聴者の方には番組をご覧になってどのようなことを
感じて欲しいですか。

今は本当に生きづらい世の中になってきて、
普通に生きていても老若男女みんなそれぞれに
悩みを抱えていると思うんです。
自分のことで精一杯で、他人に思いを寄せる余裕はあまりない。
私もそうです。
でも小さな関わりでいいので、ご近所とか、出会った人たちとの間に
勇気を持ってつながりをつくっていくと、
新しい扉が開かれると思います。
そういうことをみんなで共有していけたらいいですね。

コメント

50年前の4月四国の山間に養護の先生が下宿した.彼女の前のいた所は小豆島の島だった。まだ小学生だった私は夜になると彼女の話に夢中になった.その時にハンセン病の隔離施設があることお知った.昔はうつるといわれ続け患者とそこで働く人達だけ.子供心にイエスキリストのシーンが浮かんだものだった.その話の中で今でも鮮明に覚えているのが発症する人の中に時たま信じられないほどの美しさの人がひっそりと暮らしてると。無欲にただ日々オおくる彼女に会ってみたい憧れが今も覚えてる.クラスメートの家系にハンセン病の人がいることおしばらくして知った.そのクラスメイトはギリシア神話にいるような美しすぎる風貌だったから島でひっそりと暮らしてる彼女と重なって見えた.美しい瀬戸のゆー日とそこでの人々がいたことおやはり忘れないでいよう。

投稿:akiko 2017年01月31日(火曜日) 23時18分

今夜、吉永小百合さんのラジオ番組で塔和子さんの話が語られました。
それで数十年以上前になると思いますがあるTV局でドキュメンタリで放映されたのを思い出しました。私も来年大泉撮影所に映画観にいきます。
瀬戸内海の離れ小島にそんな隔離施設があると誰が思いますか。正直私はその時ショックと同時に国に対しての怒りを感じました。
国も彼等を隠しますが当人も名前を隠してまでしても、そこまでして生きていかなくてはならない。そんな時代だったと言えばそれまでなんでしょうが。それにしても塔さんの生きることに対しての何というのか力強さと言うのかマザーテレサに匹敵する無欲(奉仕とはちがいますが)がまた詩に訴えてくるのに心が熱くなりました。母も四国観音寺生まれです。

投稿:よしおちゃん 2014年11月02日(日曜日) 23時57分

いつまでもいつまでも「 無知による間違い、行為を」忘れないで伝えましょう。

応援したいです

投稿:高木 勝 2013年11月14日(木曜日) 13時53分

[ハンセン病 島の記憶をつなぐ]は、たまたま見た番組で、沢さんの歌に涙しました。

これまで、「生きた証」について、考えたことがありませんでした。
隔離され出産出来なかった方々の生きた証は、誰が残していけるのか・・・。

良い番組をありがとうございました。


投稿:kao 2013年11月08日(金曜日) 16時00分