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難民保護 第4回 日本で暮らす難民の人たち

2016年11月11日(金)

201611-004-0.jpg 第4回 日本で暮らす難民の人たち
 ▼ 日本に定住する難民のプロフィール  



前回のブログ: 第3回 日本で暮らす難民の人たち 

 

 日本に定住する難民のプロフィール  


Webライターの木下です。

日本で暮らす難民の人たちは、どんな国からきているのでしょうか。2015年の申請者の出身国籍は、69か国にわたっていて、主な国籍は、ネパール1768人、インドネシア969人、トルコ926人、ミャンマー808人、ベトナム572人、スリランカ469人、フィリピン299人、パキスタン295人、バングラデシュ244人、インド229人です。

一方、難民支援協会に支援を求めてくる難民の出身者の過半数は、アフリカと中東出身の人々です。アフリカ出身者は、エチオピア政府の言論統制により逃れてきたジャーナリストやイスラム過激派のボコハラムによる迫害を逃れたナイジェリア難民、中東出身者ではシリア難民やトルコ出身のクルド難民の相談があると言います。遠方から飛行機で来日し、所持金も少なく、知り合いも伝手もないために、支援団体を頼ってくることになります。

他の国ではなく、日本にやってきた理由は、逃れる先を探す中で、最初に日本のビザが下りたという偶然によるものがほとんどだと言います。「難民ビザ」のようなものは存在しませんので、観光やビジネスなどのビザを取得して国外に逃れます。母国で迫害を受けている人がパスポートを取得するのは簡単ではなく、ブローカーにお金を払うなどして、なんとか「偽造パスポート」を得て逃れてくるなど、国外に脱出するだけでも大変な苦労をしています。

そのような日本に滞在する難民の人たちの背景を身近に感じてほしいと思い、難民支援協会と写真家の宮本直孝さんが企画した写真展に登場する28人のうち6人のプロフィールをご紹介します。全員のプロフィールは難民支援協会のホームページでみてください。


写真展「Portraits of Refugees in Japan-私たちはここにいます」より
※本人が望む国名・民族名表記を使っています。


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マッサンバ(コンゴ共和国)


2008年来日。母国では中学校の教師。政府の腐敗を批判したことから弾圧を受け、身を守るために出国を決意。日本に来た理由は、大使館でその日に入国ビザがとれたから。来日後、すぐに難民申請の手続きを行ったが不認定となり、裁判を経て7年越しで認定を得る。

 

201611-004-nannminn9.jpgファム (ベトナム)


両親がベトナムからボートでフィリピンに逃れ、フィリピンの難民キャンプで生まれる。3歳で両親とともに来日。教育熱心な親に育てられ、アメリカの大学を卒業。帰国後、難民支援協会でのインターンを経て、現在は、日本の企業で働く。社会人2年目。夢は、全国的な医療・福祉サービスの改善に関わり日本がより住み良い社会になるよう貢献すること。
 

 

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ケーシー(ネパール)


ネパール王政派の有力家系出身。母国では伝統舞踊界で活躍。王政打倒を目指す毛派の迫害を受け、すねの傷跡はその時の証拠。舞踏公演するビザを得て、2011年来日。一度は難民不認定とされ、認定まで4年半かかった。木材加工会社で働く傍ら、夜はネパール食材店を経営。互助団体を設立し、週末は清掃ボランティアをしている。身の危険を感じることなく暮らして来られた日本への恩返しがしたいと言う。

 

201611-004-nannminn11.jpgティンティン(ビルマ)


留学生として来日。日本に来て、ビルマでは手に入らなかったアウンサンスーチーの本が読めることを知り、母国がいかに自由を制限しているかを実感する。2007年のサフラン革命では、日本のビルマ大使館前でデモに参加した。日本の人には自由の大切さをビルマに伝えてほしいと言う。現在はビルマ語の医療通訳者として働く。1児の母。

 

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ゾーミントゥ(ロヒンギャ)


ミャンマー政府が国民と認めないロヒンギャ民族。1998年来日。2002年にロヒンギャとして日本で初めて難民認定される。来日後、六本木のレストランや群馬県の工場で勤務。11年間働いて貯めた資金で、2009年にリサイクル会社を起業。家族は妻と3人の子ども。ミャンマー国内に残るロヒンギャのため、精力的に活動している。

 

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カビール・娘(バングラデシュ)


2005年来日。元ジャーナリスト。母国ではびこるテロと汚職について記事を書き、過激派グループと政府から命を狙われるようになり、出国を決意。知人がいるドイツを目指したが、ビザが取れず、入手できた日本へ。難民認定を得るまでに4年、家族を呼び寄せるまでにさらに4年を費やした。今年の春から娘は高校1年生。




木下 真

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