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医療的ケア児 第4回 社会で見守り、支えるために

2016年06月24日(金)

 

  まずは“知る”ところから


20160624_001.jpg保護者の書き込みの中に、「医療を進歩させるのは、福祉を充実させてからにしてほしい」という趣旨の書き込みがありました。医療の進歩は日進月歩、数年単位で医療環境ががらっと様変わりすることもあります。医療的ケア児とは、医療が先んじて命を救い、社会的な支援態勢が整わないままに地域で暮らし始めた子どもたちなのかもしれません。そんな新生児医療の状況にようやく社会制度や法律が追いつこうとしているのが現状です。

重症心身障害のある娘をもつフリーライターの児玉真美さんが、4月5日の医療的ケア児に関するハートネットTVの番組を見て、「医療的ケアが必要な子どもさんの中に、立って歩いたり、自分でご飯を食べられる子もいるというのは、私も目からウロコでした」というメールをくださいました。当事者家族のひとりで、親の会などで講演をされたり、障害児の施設を取材されるような方でも、活発に動き回る医療的ケア児には新鮮さを感じられたようです。また、ある医療型重症心身障害児施設の職員の方にお聞きしても、「そういうお子さんは確かにいらっしゃいますけど、数は少ないですね」と話されていました。

障害児の事情に通じている方でも、接することが少ないという医療的ケア児のことを一般の人々が知る機会は限られていると考えられます。また、地域の障害者施設が重症心身障害者に優先的に利用されているとしたら、現場の職員の方々も体験として医療的ケア児になじんでいる人は少ないのかもしれません。

20160624_000.jpg「医療的ケア児は不可」と、本人に会うこともなく、電話口で告げる施設職員や保育園の関係者の頭の中にあるのは、どのような状態像の障害児なのかを改めて問う必要があるかもしれません。医療的ケアは必要とするけれど、歩いたり話したりできて、サポートがあれば、健常児なみの活動ができる子どもが想定されているかどうか。子どもの病態を適切に評価できなかったら、支援をコーディネートする仕組みも作りようがありません。理解しよう、寄り添おうという姿勢によって認知の輪を広げることが、制度の充実を求める前にまずやるべきことなのかもしれません。

  子育ての喜びは、子どもの成長とともにある


20160624_003.jpg保護者の方々の書き込みを読んでいると山積する課題で八方ふさがりのようにも思えますが、子どもの現状にきちんと向き合えば、解決可能な課題もたくさんあることが見えてきます。地域に医療資源や社会資源が不足しているのはもちろんですが、せっかくある資源さえ有効に活用できているとは言えません。

いま周産期母子医療センターの医師や看護師たちが、在宅移行の際の保護者の不安を少しでもなくしていくために、地域の病院との連携を深め、入院中から保護者とともに見学を行ったり、親の会の先輩たちとの交流会をセッティングしたり、入院中から地域の保健師がNICUを訪れ、保護者の在宅生活の相談にのるというような試みも進められています。また、地域でも、訪問看護師や相談支援専門員が中心になり、医療、福祉、教育、保健、行政分野をつなげ、他職種連携で支援の仕組みづくりを試みているところもあります。

しかし、保護者の方々の書き込みを読む限りは、そのような先進的な試みをしている地域はまだ多くはないようです。医療技術や医療機器の進歩に比べて、法律や制度の整備には5年、10年という長い年月がかかります。むしろ、「いまある制度、いまある施設、いまあるマンパワーの中でも、もっとできることはあるはず」だという、保護者の方々のやるせない気持ちが書き込みからは伝わってきます。制度や施設があっても使えない、担当者がいても親身になってもらえない、そんな事例をひとつでも少なくしていきたいものです。

「サービスの充実はもちろん必要ですが、子どもや家族に寄り添い、一緒に生活や将来を考えてくれる専門家の育成や配置をお願いしたいです」

「特別な施設よりも普通に参加できる機会を整えてほしいだけなんです」

「子どもは命を守ってもらうためだけに存在しているのではありません」

 

私たちは母親たちの嘆きを目にすると、医療的ケアの過酷さだけに目が向きがちです。
しかし、母親たちは医療的ケアにさいなまれる日々を送っているだけではなく、生活の中で子どもの成長を見守る喜びを得ています。家族のだんらんや友達との交流の中ではしゃぐ子どもの姿が大きな心の支えとなっています。

どのような高度な医療技術であっても、子どもの心の発達を促すことはできません。子ども集団の中で遊び、学ぶことによって、初めて子どもの発達支援は可能になります。幼稚園や保育園に通い、学校に通学する日々の中でこそ、家族は未来への希望を得ることができます。


20160624_004.jpgいまレスパイトと呼ばれる制度の整備が急務とされています。レスパイトとは、休憩、休息、ほっと一息つくという意味があります。病院や施設の短期入所や日中一時預りで、母親の医療的ケアの手を休ませ、生活上活用できる時間的な余裕をもってもらったり、旅行などで気持ちをリフレッシュしてもらうための重要な制度です。母親の笑顔は子どもだけではなく、家族みんなに安らぎを与えます。

親にも生活があり、人生があります。医療的ケア児のいるご家庭が、どんな生活を望んでいるのか、子どもをどんなふうに育てたいと思われているのか、そんな願いを反映できる施策や制度が実現することを願わずにはいられません。

4月5日のハートネットの番組で、ある母親が「ふつうの子どもと同じように、ふつうの母親と同じように」という言葉を口にして思わず声を詰まらせていました。子どもの成長を望む母親への共感として、その涙の意味を深く理解することが必要なのではないでしょうか。

 木下 真


▼関連番組
 ▽NEXT 未来のために
    「“医療的ケア児” 見過ごされた子どもたちを救え
    本放送:6月25日(土)夕方5時30分
  再放送 28日(火)午前1時30分[月曜深夜]

 ▽『ハートネットTV』
  シリーズ 変わる障害者福祉

  「第1回 “医療的ケア児”見過ごされた子どもたち」(2016年4月5日放送)


▼連載ブログ
 
【医療的ケア児】  第1回 見過ごされてきた子どもたち

 【医療的ケア児】  第2回  「医療的ケア」とは何か
 【医療的ケア児】  第3回 課題はどこにあるのか~カキコミ板から~

 【医療的ケア児】  第4回 社会で見守り、支えるために

コメント

>当事者家族のひとりで、親の会などで講演をされたり、障害児の施設を>取材されるような方でも、活発に動き回る医療的ケア児には新鮮さを感>じられたようです。また、ある医療型重症心身障害児施設の職員の方に>お聞きしても、「そういうお子さんは確かにいらっしゃいますけど、数>は少ないですね」と話されていました。

周囲で考えると、数がものすごく少ないというイメージがありません。
歩ける走れる方で、中高生になったら気切部を閉じる予定の方、鏡を見ながら自己管理ができる方は、付き添い問題の課題に挙がっていないのかもしれませんが、就学問題で苦労されていると思います。(過去に裁判になったケースもありました。)自分で管理できる方や、学校(日中)での注入や吸引はしていない方は、学校や放課後デイケア、施設での「医療的ケア対応」に入っていないと思います。

医療的ケア対応になっていない方々で、医療的ケア環境が整っていれば、学校での医療的ケアをしたいけれど、制約を考えて学校ではやらない選択をしている家庭もあるようです。バスに乗れない、待機が必要になるなどの制約を考え、医療的ケアに踏み切れず、誤嚥しながらの給食や呼吸困難スレスレの家庭もあるようです。

知的障害もあり、人口鼻を自分で外してしまったり、注入中に静かにしているのが難しかったりという方の場合、放課後活動先やレスパイト先もなく、家庭でかなりのご負担があっていると思います。(知的障碍の施設でも重度障害の病院施設でも受け入れてもらえないようです。だから、取材された医療型重症心身障害児施設の職員さんの印象に残っていないのではないでしょうか。)

医療的ケアといっても課題は様々。
訪問学級や自宅介護の医療的ケア児童生徒成人も含めて実態を公表すること、各学校の看護師配置人数の公表や、1・2・3号研修を受けた看護師ではない人たちのどの職種がどの程度ケアを実施しているのか、学校や施設でのアクシデント報告など、ケアを受ける側とケアを実施する側との現状の把握と公表が必要なのではないでしょうか。

投稿:ナツ 2017年07月13日(木曜日) 23時58分