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"光の角度にこだわる"聞こえない鉄道カメラマン 持田昭俊

2016年06月21日(火)

 


  "光の角度にこだわる"聞こえない鉄道カメラマン 持田昭俊
   ・鉄道と写真との出会いそしてプロに

   ・鉄道の「音」と「一瞬の輝き」を表現したい
   ・「速さ」を写す 音に頼らない撮影テクニック
   ・ラストランの「臨場感」を



20160615_001_003.jpg午後4時を過ぎた頃、上野駅13番ホームは独特の空気に包まれていた。
2016年3月19日。

寝台特急「カシオペア」、下り札幌行き、最終運転の日だ。

日本に残る唯一の寝台特急、その最後の勇姿をカメラに収めようと、12両ある客車の端から端まで、いわゆる「撮り鉄」たちが愛機を据えて陣取っている。また、鉄道ファンではなくてもラストランの知らせを聞いて立ち寄った人々が、スマホや携帯をカシオペアに向けている。

そこから少し離れた、先頭の機関車よりさらに前に、報道関係者専用のエリアがある。その中に、ろうのプロカメラマン持田昭俊さんの姿があった。

 

鉄道写真の第一人者である持田さんは、この道28年の大ベテランである。持田さんの写真が持つ独特の味わい、それを支える大きな要素が「光」とその「角度」だ。


夕日を受け、赤黒く光る車体の鉄板。陰と陽の狭間で絶妙のメタリック感を醸す新幹線車両。持田さんの手にかかると、機関車や電車にさまざまな表情が生まれる。「光の角度にこだわらないと、ただの鉄のかたまりでしかない。」持田さんはそう考えている。


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そんな持田さんが、15年ぶりの個展を計画していた。
かつての鉄道の花形であり、人々を魅了したブルートレインを中心とした個展である。永年撮りためた「あさかぜ」「さくら」「あけぼの」といった歴代の「ブルトレ」たち。「カシオペア」は正確にはブルトレではないが、その最後の姿を撮影し個展に花を添えようと持田さんは考えていた。「ブルートレインは、本当に古くからの友人です。カシオペアはブルートレインではないですが、貴重な寝台特急の一つでした。残念です。僕は新幹線も好きで、仕事でよく撮影します。速くて便利なのも結構ですが、鉄道の魅力である旅情が失われていくようで寂しいですね。」

16時20分。別れの時が来た。どこか哀愁を含んだ大きな汽笛を鳴らし、「カシオペア」は力強く動き出した。フラッシュがやまない。持田さんも、万感の思いを込めてシャッターを切り続けた。

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 鉄道と写真との出会い そしてプロに


持田昭俊さんは1960年、東京の下町、東向島に生まれた。生まれたときは聞こえる子どもだったが、1歳の時の高熱が原因で、聴覚のほとんどを失った。赤ん坊の持田さんはよく泣いたそうだが、母親が近くを走る東武鉄道を見せに行くと、いつもぴたりと泣き止んだという。「本当に小さい頃から鉄道が好きだったようです。その頃はまだカメラなんて持っていませんから、クレヨンで毎日、好きな車両の絵を描いていましたね。」家から離れたろう学校へ通うのも、電車に乗れるので苦にならなかったという。そして、小学部6年生のときに初めて写した鉄道写真は、鳥取駅での寝台特急「出雲」。

高等部1年のときに父親にカメラを買ってもらうと、東海道線を走るブルトレを撮りに鉄道写真撮影のメッカ、根府川へ通い詰める。その後、筑波大学附属聾学校高等部専攻科でデザインを学んだ持田さんだが、写真と鉄道への思いは断ちがたく、周囲の反対を振り切りプロカメラマンとして生きることを決意した。28歳の時だった。はじめは仕事の依頼がなかなか来なかったが、努力と工夫を重ねた結果、今や押しも押されもせぬ鉄道写真のスペシャリストである。

 

 鉄道の「音」と「一瞬の輝き」を表現したい

 

20160615_010_C.jpg持田さんは鉄道会社の広告写真や鉄道専門誌のグラビア撮影など忙しい毎日を送る一方、幼児向けの写真絵本なども多くてがけている。さらに写真コンクールの審査員としても活躍している。

かつて持田さんは、SLを熱心に撮影していた時期があった。持田さんが写真を撮るとき、いつも大切にしているテーマがある。それは、「臨場感」だ。降りしきる雪の中、黒煙を吐き近づいてくる様子、急勾配を二台の機関車が力を合わせて登り切ろうとする「重連」。

その臨場感を表現する上で大切なのが「音」だと、聞こえない持田さんは言う。

「列車の音を表現したいんです。その思いを心の中にしまいこんで、いつも線路端に立っています。蒸気機関車のポーッという汽笛、電気機関車のピーッという汽笛は補聴器を通してかすかに聞こえます。列車によっては実に様々な音が使い分けられていますね。その音の性質に合わせて、太陽光線を見極めて撮影場所を決めます。その場所に見合ったアングル、そしてレンズの画角を決めます。もちろん、シャッタースピード、露出も工夫しながら、その一瞬を狙います。その太陽光線に反射した輝きは、私にとって音そのものです。その音を写真に封じ込めて、みなさんに音をお伝えすることを心がけています。」


光にこだわる持田さんにとっては、どんな写真を狙うときでも勝負はまさに一瞬だ。凍てつく寒さの中、撮影ポイントで朝から日没まで粘っても、一枚も撮れない日もある。そして、そんなことが一週間続くときだってある。特に、先の見通せないカーブの向こうからやってくる列車を狙うときなどは、聞こえない持田さんにとって片時も気を緩めることは出来ない。そんなときはまず、時刻表とにらめっこして目的の列車が撮影ポイントを通過する時刻を正確に割り出す。そして、その列車がその日時刻表通りに運転されているかといった最新の情報も入手する。さらに、現場に顔見知りのカメラマンを見つけたら、列車が近づいてくる音を知らせてもらうなど、様々な手段を駆使して一瞬のチャンスを逃さないようにしている。


 「速さ」を写す 音に頼らない撮影テクニック


光を操ることで、聞こえないはずの音まで表現してきた持田さん。

新幹線を撮影するときは、「速さ」を強調することで、空気を切り裂く音を感じてもらいたいと思っている。車体にピントを合わせ、走るスピードに合わせてカメラを進行方向に振りながら連写する「流し撮り」、先頭車両の鼻先ぎりぎりでフレームに納める構図など、持田さんの「速さ」を表現する手法は業界でも有名だ。

聞こえないハンディがありながら、想像力と努力で「臨場感」を表してきた持田さん。そこには気の遠くなるような現場での経験の積み重ねと試行錯誤があったに違いない。

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 ラストランの「臨場感」を


3月21日、午前7時。栃木県さくら市蒲須坂。広がる畑の中を東北本線の築堤が一直線に伸びている。その下に無数の三脚が据えられ、長い望遠レンズをつけたカメラがずらりと並んでいる。フェンスやコンクリートの柵もなく電車をきれいに撮ることができるので、「撮り鉄」たちにはよく知られたスポットだ。「カシオペア」は一編成しかない。2日前に上野を出発し札幌に到着した列車は、昨日の夕方に上野に向かって折り返して出発した。上りの最終運転。まさに今度こそ、正真正銘のラストランである。通過まであと30分。現場は徐々に緊張に包まれてきた。

アマチュアカメラマンたちに混じり、黙々と準備を進める持田さん。通過していく他の車両で入念にピント合わせをする。7時30分、定刻通りに「カシオペア」が通過していく。持田さんの友人の友人だという車掌が車掌室の窓を開け、手を振ってくれた。

「今回の“臨場感”は、お別れの雰囲気を出すことでした。そこで、鉄道ファンなら誰もが知っている蒲須坂というベタなポイントで撮影しました。あそこに、あれだけのカメラマンが集結していたら、きっと汽笛を鳴らしてくれるだろう。それを音にしようとね。残念なことに、鳴らしてくれませんでしたが(笑)。でも、車掌さんが手を振ってくれたので、臨場感を出すことが出来ました。」

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三脚をたたみ、カメラをバッグに収めて人々が帰ろうとする中、持田さんはその場に残り、若い「撮り鉄」たちが撮った写真を見ながらアドバイスをしている。

高木宏康さんと平野勝美さん。ともに鉄道好きのろう者だ。高木さんは2日前に上野を発った下り最後の「カシオペア」に乗り札幌まで行き、飛行機でとんぼ返りしてここに駆けつけたという。持田さんは言う。「列車が来た時はお互いに教えあえるし、シャッターを押すだけでなく、撮れた時の気持ちが分かり合えるのはたまらないですね。列車を待っている間にも、列車の情報交換など、得られる事が多いです。本来はいつも一人で闘っていますが、人との触れ合いを大切にしているので、たまにこうして声をかけています。」

20160615_018.jpg左から持田さん、高木さん、平野さん

3月24日。銀座のキャノンギャラリーで持田さんの15年ぶりの個展が始まった。オープニングパーティーには、出版関係者、カメラマン仲間、ろうの友人たちなど100人以上が詰めかけ、大盛況。展示されたブルトレの勇姿を懐かしげに目を細める人。持田さんのテクニックに感心する人。人々は、鉄道の魅力と共に、カメラマン持田昭俊の実力をあらためて認識したようである。銀座での個展は、一週間で4千人近い人が訪れた。ギャラリーによれば、ここまでで今年最高の動員だという。「夜行列車は希少価値の高い列車だということを写真展を通して改めて認識することができました。」と持田さん。

かつては上野駅だけでも、1日およそ20往復もの夜行列車が走ったが、今は東京駅発着の1往復だけが残るのみ。持田さんは、時代の移り変わりという言葉だけで済ませていいのかとも思う。

「新幹線の最終列車が出ていても、夜行列車に乗れば、朝一番で関西圏へ行けるメリットは大きかった。そして、夜行バスにはない旅情がある。今回の個展を通して、夜行列車はまだまだ愛されている乗り物なのだと感じました。」

持田さんは、そんなメールを次の撮影地、盛岡に向かう夜行バスの中から送ってくれた。