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楽しさを重視するスポーツ価値の意識改革

2016年03月15日(火)

WebライターのKです。

「スポーツの理想モデルがトップアスリートに偏り、より速く、より高く、より強くという競争原理だけが称揚されると、運動が苦手な子どもにとってスポーツが無縁なものになってしまう」と訴えるのは、筑波大学准教授で発達障害の子どもたちに運動の楽しさを教えている澤江幸則さんです。先月2月28日に、「NPO法人えじそんくらぶの会 茨城ハナミズキ」主催の講演会があると聞き、茨城県牛久市の中央生涯学習センターを訪れました。

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筑波大学体育系アダプティッド体育・スポーツ学分野准教授
澤江幸則さん


澤江さんが筑波大学の運動発達支援活動で指導しているのは、自閉症やADHDで運動が極端に苦手な子どもたちです。「どうせぼくなんか・・・・」というのが彼らの口癖です。体育の時間や部活や集団遊びの場で、さんざん怒られたり、けなされたり、恥をかかされてきた経験から、スポーツへの苦手意識が自己嫌悪と結びついてしまっています。そして、中には体育の授業が原因で不登校になる子どももいます。

学校の教師によるていねいなサポートが望まれますが、実は、自閉症やADHDの子どもたちの中には、「発達性協調運動障害(DCD)」という障害を合併している子どもも多く、その子どもたちに従来の指導法でアプローチするとかえって動きが悪化していくケースが見られます。“子どもは指導してほしいと願うが、教えるとよけいに変になっていく”。現場の指導者は頭を抱えることになり、指導をあきらめて無視するような態度を取ってしまいがちだと言います。実は、発達障害の子どもへの運動指導法についての研究は遅れていて、教育現場にはいまだに定着していないのが現状です。澤江さんは、そんな状況を改善しようと10年ぐらい前から指導法の研究を続けています。

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介入の仕方を工夫しないと、子どもの困難は増し、指導者も混乱します。


澤江さんの活動では、子どもたちは仲間と運動能力を比較されることはなく、「ボールで的を倒す」などの運動遊びの中で体を動かす楽しさを体験していきます。走ったり、飛んだり、ボールを投げたりするのは、誰かに勝つためではなく、自分のやりたいことを成し遂げるためです。

澤江さんは、「どんなに運動が下手でも、体を動かすことが嫌いな子どもはいません。比較されることがなく、“ここでは下手でもいいのだ”とわかれば、子どもたちは安心して運動にチャレンジします。そして、小さな目標であっても、それを達成した喜びは子どもを前向きな気持ちにさせていきます」と現場の経験を語ります。

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能力に応じて、誰でも楽しめる仕掛けを用意します。

 

もちろん発達性協調運動障害の子どもたちは、定型発達の子どものように自然に上達していくのは難しいので、大人が介入していく必要があります。例えば、ボールを手だけで投げてしまって、体のバネを効かせて遠くに投げることのできない子どもには、走ってきた勢いを活かして投げさせたりします。また、動く前に「ためたり、待ったり」することができないADHDの子どもには、数を数えさせて、タイミングをはからせるなどのアドバイスをします。

澤江さんは、「発達障害で運動が極端に苦手な子どもは、頭の中で考えるイメージと体の動きが連動していません。“もっと早く動いて! 同じようにやって!”というような抽象的な指示を与えても混乱するだけなので、できるだけ具体的なアドバイスや自然に動きが改善されるようなサポートをしてあげることが大切です」と指導のポイントを示します。

ADHDの子どもたちへの理解と支援を進めるハナミズキの代表の岡野栄子さんは、「保護者の方からは運動に関する悩みはよく聞かされます。不器用さは運動の場面だけではなく、コンパスで円を描くとか、定規で線を引くとか、楽器を演奏するとか、そんな学習の場面でも子どもたちを悩ませます。保護者や指導者が運動に困難をもった子どもたちがいることを理解し、本人の自尊心を損なわないやり方でサポートしていく方法を身につけていくことが求められる」と話しました。

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元小学校教諭、学校心理士、特別支援教育士
ハナミズキ代表の岡野栄子さん


 

澤江さんは、最後にスポーツ価値の変革をもたらすパラリンピックのメディア報道への期待を述べました。

「従来のオリンピックと同じように金メダルの数やアスリートの卓越した技能だけではなく、選手たちがどんなふうにスポーツと出会ったのか、スポーツをすることでどれほど人生が豊かになったのかという観点からも報道を見てほしいと思います。スポーツは卓越した身体能力をもつ人たちのためだけにあるのではなく、障害のある人、スポーツが苦手な人、高齢者など、万人に夢を与えるものなのです。パラリンピックを通じて、日本人のスポーツ観を成熟させることが、スポーツ振興の豊かさにつながっていきます。そして、そのことが発達障害のある子どもたちの運動環境にも良い影響を与えると信じています」

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「親も支援者もともに学ぼう」がハナミズキの合言葉です。



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運動の改善は、発達障害のある子どもたちのコミュニケーション活動にも
いい影響をもたらします。

 

 

 

 

 

▼関連ブログ 《Connect-“多様性”の現場から
 発達性協調運動障害の子どもたち【前編】
 発達性協調運動障害の子どもたち【後編】
 「不器用な子どもたち」に理解と支援を

コメント

私は 病院でアスペルガーとADHDであると診断され通院中です。職を転々とし最近までA型事業所に お世話になり今 ある会社の契約社員です。学生時代 体育の授業は地獄でした。まずボールを他の子の ように投げられない。そうでない人には想像もつかないでしょう。高校 大学の2回生まで体育の授業がありましたが…。自分の心を殺して我慢の限界を超えて参加しました。私にとって体育の授業とはなんだったのか全国の体育の先生たち、私に教えて下さい。

投稿:道勝 2017年11月19日(日曜日) 20時49分

高校卒業で一番嬉しかったことは、
もう運動会がない!
ということでした。
体育は苦手でした。
上下関係が厳しそうな
運動部は絶対に入りたく
なかったです。
そんな私も、社会人になってから、
20代の頃運動したくなり、
合気道を習い始めました。
高齢者向けのスポーツの本で
合気道がお勧めされていたので、
高齢者が大丈夫なら自分も
大丈夫じゃなかろうかと思ったのです。
先生も、先輩も皆優しくて、
楽しかったです。
30代で失業と同時に合気道は
止めざるを得ませんでした。
その後ADHDの診断を受けました。
40代になった今も、仕事は
見つかっておらず、合気道再開への
道は険しそうです。
でもいつか再開したいです。

投稿:do ut des 2016年03月18日(金曜日) 17時14分