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命に線引きする時代を考える 後編

2016年02月18日(木)

WebライターKです。

びわこ学園とは、1963年に設立された重症心身障害児者施設です。医療法に基づく病院であるとともに、重度の肢体不自由と知的障害が重複する障害児のための児童福祉施設であり、かつ障害者総合支援法に基づく成人のための療養介護事業所でもあります。児童が成人になってもそのまま継続して入所を続けることができる特別な医療福祉施設です。

創設者である糸賀一雄の「この子らを世の光に」という言葉は、びわこ学園の理念にとどまらず、日本の重症児福祉の原点を示すものとして知られています。「障害のある子どもたちに光を与えるのではなく、社会が彼らから光を受け取る」という言葉は、あらゆる命あるものへの敬意を求めるものです。



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びわこ学園医療福祉センター草津。隣接して見えるのは県立草津養護学校。

昨年12月に開催された第35回実践研究発表会では、開催前日に、希望者によるびわこ学園内部の見学も予定されていました。WebライターのKは、びわこ学園の施設のうちの「医療福祉センター草津」を訪ね、他県の施設職員の方々やフリーライターの児玉真美さんとともに施設内を見学しました。


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リハビリテーション室。職員の方が手作りされた遊具などもあります。



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廊下にはクリスマスツリーが飾られ、
壁には誕生日会や遠足などの楽しい写真が飾ってありました。

 

施設は3つの病棟に分かれていて、各棟30数人で、総計104人の入所者が生活していました。びわこ学園というと、重症児のための施設というイメージをもっていましたが、現在、医療福祉センター草津の子どもは5人だけで、残りはすべて成人です。最高齢の男性は71歳、女性は66歳です。

重症者の医療や介助の仕事は過酷なものに違いないと、張り詰めた雰囲気の現場を想像していましたが、職員の方たちは親しみやすく、おだやかに入所者の方たちと接していました。案内をしてくださった生活支援部長の飯田京子さんは、「入所者のみなさんは言葉で自分の思いを伝えるのが難しいので、痛みや辛さを訴えられなかったりします。言葉を使わなくても通じ合えるような雰囲気や心のゆとりが大切なのです」と教えてくれました。

フリーライターの児玉さんも、入所者の方たちに親しみやすい笑顔で声をかけたり、手を振っていました。児玉さんは「同じ障害のある子どもの親同士は特別な心のつながりがあって、どの子もみんな私たちの子どもという感じになっていく」と著作に書かれていますが、まさに児玉さんは知り合いの親戚のおじさんやおばさんに挨拶して回っているかのようでした。


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びわこ学園初代園長・岡崎英彦さんの言葉

 

廊下の至る所に「本人さんはどう思うてはるんやろ・・・・」という貼り紙がありました。初代のびわこ学園長である医師の岡崎英彦さんが頻繁に口にしていた言葉だと言います。最初は職員を戒めるための言葉かと思いましたが、びわこ学園の雰囲気からすると“戒めの言葉”というよりも、入所者を理解するための“導きの言葉”として掲げてあるように感じました。

その実例とは言い難いですが、ある部屋でセーターが脱げずにもがいている人がいました。顔が見えないので、男性なのか女性なのかはわかりません。なぜ職員の方はほっておくのだろうと戸惑い、「脱げなくて困っていますよ」とそばにいた職員の方に伝えると、「あの人はああして遊ぶのが好きで、気持ちが落ち着くんです」という予期せぬ答えが返ってきました。「本人さんはどう思うてはるんやろう・・・・」。たんなる理念ではなく、実践的で応用範囲の広い言葉だと納得させられました。


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入所者の衣服を作り直すための裁工室。
手前の女性は施設を案内してくださった生活支援部長の飯田京子さん。



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車いすには、移動中の衝撃をやわらげたり、
方向転換しやすいように小さな補助輪を付けました。



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ベッドからキャスターに移動させる際に、周囲の金属で体を傷つけることのないように、
体の下に敷く黒い防護シート。細やかな気配りです。

 

横浜市の療育医療センターから来られていた施設の方は、入所者の衣服を作り直す「裁工室」が気になるようでした。腕が上がらない人、体に変形がある人など、既成服をそのまま着させるのが難しい入所者のためには、職員が服を作り直す必要がありますが、素人には手間のかかる作業だと言います。専門の人がいれば、入所者にとっても職員にとっても大変助かると感心していました。

施設で長年暮らし、歳を重ねる入所者の中には、親がすでに亡くなっている人もいると言います。入所者に与えられるのは医療的ケアだけではなく、衣食住も含めた生活のすべてです。とくに自分を大切に思ってくれる人の存在は、生きていく上で欠かせません。「人は支えあって生きるものだ」と言葉で言うのは簡単ですが、支えることの難しい人たちがいるからこそ、その価値に改めて深く思いがいたります。児玉さんは重症児者の施設をハリーポッターの魔法学校に譬えていましたが、さまざまな魔法の知恵と技が、学園には蓄積されていました。



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1987年11月8日にびわこ学園の施設の資金集めのために
琵琶湖の周囲235kmを人間の鎖で取り囲む
「抱きしめてBIWAKO」というイベントが行われました。
寄付をした参加者の名前が壁のタイルに記されています。



▼関連ブログ
 
命に線引きする時代を考える 前編
 
命に線引きする時代を考える 中編 

コメント

ひわこ学園の決め細かな対応、充分伝わって来ます。「本人はどう思っているのだろう」。利用者さんの気持ちを理解して介護に当たる。当事者家族として感謝です。
私の二男も重症心身障害児です。2か月前、GCUから市内の医療療育セーターに移って来ました。入所のさい、重症心身障害児と言われましたが、言葉の意味も知らない状態でした。呼吸障害と上下肢障害、発達知的等々。10名ほどの部屋に仲間入りしました。入所にあたり、施設という嫌なイメージがありました。けど、びわこさんと同じで、二男にあった環境をということで、入所前、GCUにも勉強にみえていたとか。日に日に不安は解消。
半月前、1年ほど前まで度々起きていた原因不明の心配停止が襲いました。施設に移って初めての出来事でした。施設の方々の対応で無事に生還できました。さぞ驚かれたことでしょう。ありがとうございます。

いつも可愛がってもらっている二男。本当は在宅にしたかったけど、呼吸器やミルクなどの訓練を重ねて、お兄ちゃん、難聴と下肢障害などのお姉ちゃんたちと6人で暮らせる日を目指して頑張っています。

投稿:CPRM 2016年02月20日(土曜日) 17時28分