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命に線引きする時代を考える 前編

2016年02月09日(火)

WebライターのKです。

救命・延命しても人間らしい生活の質を確保できないとして、医療サイドが一方的に治療中止を決める「無益な治療」論。いつどのように死ぬかは自分で決める権利があり、医師に毒物を処方してもらうことも人権擁護だとする「死ぬ権利」議論。欧米先進国でさかんに論じられているそれらの議論に対し、フリーライターの児玉真美さんは拭いがたい違和感を覚えると言います。「人権を重んじる考え方を装いながら、実は、“治療に値する命”と“治療に値しない命”に線引きし、切り捨てる議論なのではないか」と疑問を呈します。


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児玉真美さん。立命館大学びわこ・くさつキャンパスの講演会場で。

昨年12月に重症心身障害児施設である滋賀県のびわこ学園主催で第35回実践研究発表会があり、全国から重症児者の医療に携わる関係者などが集まりました。ゲストとして招かれた児玉さんは、「いのちに線引きする時代 ~それでも光は生きることの中に」というタイトルで講演を行いました。

重症心身障害児者とは、重度の肢体不自由と重度の知的障害を重複する障害児者のことで、医療的ケアを必要とする人も多く、施設に入所したり、在宅で家族やヘルパーなどのケアを受けながら生活しています。

児玉さんは、福祉を取材テーマとするフリーライターであるとともに、重症心身障害者の娘さんをもつ当事者家族でもあります。自身の体験も踏まえながら、欧米の重症者医療に関する議論について考察を深める一方で、わかりやすい文章や語り口で広く社会への啓発にも努め、重症心身障害児者の保護者の信頼を集めています。本人いわく、理不尽な考えを押し付けられそうになると、「怒れる大魔神のごとく」、当事者家族の思いをぶつけることもあるそうで、その率直な姿勢が支持されています。


biwako1_002R.JPG講演では、生命の尊厳に対するスタンダードが変質してきている欧米先進国の最新事情が紹介されました。


現在、オランダやベルギーなどのヨーロッパの国々やアメリカの一部の州では、条件が整えば、積極的安楽死または医師による自殺ほう助が許されています。また、スイスでは、法解釈によって複数の自殺ほう助機関が合法的に活動し、外国人も受け入れる「自殺ツーリズム」の名所となっています。もともと死に向かっている患者を安らかに看取るためのぎりぎりの選択だったはずが、難病患者、身体障害者、精神障害者にまで対象者は広がり、終末期でなくとも人の命が絶たれています。また、ベルギーでは自己決定によって安楽死の後に臓器提供が行われており、移植医はこれを多くの命を救う「愛他的自己決定」と賞賛します。


一方、日本は欧米のように患者や患者家族の自己決定権を重んじる文化が十分に浸透しているとは言えず、「尊厳死」が法制化された場合、仮に「自己決定」という形をとったとしても、実態としては医療サイドが一方的に治療中止を決める「無益な治療」論になりかねないのでは、と児玉さんは恐れを感じています。本人の尊厳を守り、家族の負担を減らすと言いながら、「社会で支える未来ではなく、死を選ぶ自己決定へ」と誘導するかのように見える欧米先進国の動きに、日本が安易に追随することのないように訴えました。

「重い障害のある我が子とともに長年生きてきた当事者であるがゆえに知りえた真実があります。“どうせ何もわからない”と思われる重症児でも、寄り添う気持ちがあれば、受け取ることができるサインがあり、生きる方へと向かっている命のあり様が見えてきます」と児玉さんは話します。



biwako1_003R.JPG名古屋市から来られた保護者と施設職員のみなさん


会場で児玉さんの話に耳を傾けていた保護者の方たちも、「言葉で返事が返ってこなくても、“人間らしい意思表示ができない”なんて簡単に言えません。息づかいが変わったり、指がぴくぴく動いたり、目に表情が現れたりすると、“あ、わかってる!”と思うのです」と口を揃えます。


短時間で診断や治療を行う医師は、医学的な発育や発達という概念だけではとらえきれない、子どもの生活者としての成熟には気づかないこともあると言います。児玉さんは医学の重要性については十分認識した上で、「専門家は大きな部屋を強力な1本の懐中電灯で照らしているようなもの。部屋の全体像を知るには、懐中電灯だけではなく、ぼおっと全体を照らす蛍光灯も必要で、当事者の日常生活を知っている家族や介護者の視点は欠かせない」と話します。

びわこ学園のような重症心身障害児施設では、そのような保護者の思いを受け止めながら、入所者が少しでも快適に暮らせるための医療やリハビリを行い、生活のうるおいも提供しています。そのような重症児者のための専門医療を独自に発展させる施設を、児玉さんは、命を安易に切り捨てようとする邪悪な力に抗するハリーポッターの魔法学校のようだと称します。


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びわこ学園。50年以上重症児者の命を守り続けてきました。

医師は病気を治すことが仕事であり、医学は治るか、治らないかが価値基準になります。その意味では、重症心身障害児者は治らない存在であり、治療は無益とみなされがちです。しかし、児玉さんは、重症児者のケアは、医療の価値観を超えた、“治らない命を支える尊い営み”ととらえるべきだと考えています。治療は人の部分が対象ですが、命を支えるというのは、人の全体を見守る行為です。「無益な治療」論や「死ぬ権利」議論のはるか手前に、私たちがまだまだ知らなければならないことやていねいに議論すべきことがあるはずだと、児玉さんは繰り返し訴えました。

中編では、施設と地域で重症児者を支えるための具体例が報告された分科会について、後編では、びわこ学園の視察の様子を紹介いたしますので、続けてお読みください。




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