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いじめを乗り越え、難病と闘い、自宅警備アイドルしてまっす! 前編

2016年01月15日(金)

WebライターのKです。

進行性の難病患者で、視覚に障害があり、歩くことはできず、発声するのも難しいのに、ネットを通じて音楽仲間と交流したり、ライブハウスに出演したりと精力的に活躍し、自らを“自宅警備アイドル”と称して、友達の輪を広げている櫻葉来空(くれあ)さん。自宅警備アイドルの話をゆっくり聞くには、自宅を訪れるしかないので、東京都江戸川区の自宅にお邪魔しました。


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おしゃれが自慢の自宅警備アイドル


ネットでの活動や音楽への思い、難病のことなどいろいろ聞きたかったのですが、くれあさんが延々4時間近くタブレットパソコンを使って伝えてくれたのは、意外にも壮絶ないじめ体験でした。学校中で、陰湿に、執拗に繰り返された小学校高学年から中学校にかけてのいじめは、いまでもフラッシュバックするほど、くれあさんの心に深い傷跡を残しています。


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ベッドわきには意思伝達装置「レッツ・チャット」が備えられ、文字が音声に変換されます。
昨年末はアレルギー症状の影響で体調がすぐれませんでした。

ばい菌と言われ、さげすまれ、蹴られたり、突き飛ばされたり、すれ違いざまに「おぇー」と吐く真似をされるのが学校での日常でした。持ち物を隠されるのは毎日のことで、なくなったものはゴミ箱から見つかりました。それを使っていると、「きったねー」とまたいじめのネタにされました。上履きは、画鋲が入っていないことを点検してからでないと履けませんでした。くれあさんが使ったトイレを誰かが使おうとすると、「そこはダメ!けがれるよ!」という女の子たちのあざけりの言葉が聞こえてきました。


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くれあさんを守るマスコットたち


味方になってくれる人はいませんでした。担任教師までもが生徒たちの勢いに巻き込まれ、いじめる側に立っていました。上履きがないので、靴下で教室に行くと、「全員で探して!見つかるまで授業は始めない!」と担任教師が言って、ますますくれあさんを追い込む状況が作られました。そして、上履きが見つかると、なんと謝罪させられたのは隠した子どもではなく、くれあさんでした。「あなたのせいでいつも授業の開始が遅れる」と担任教師からなじられたのです。小学生だったくれあさんは、どうしていいのかわからなくなり、心が壊れていきました。


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仲間とつながるためのタブレット端末は必需品です。


 「髪の毛に大きなハエがついてる」とからかわれると、家で狂ったように髪の毛を洗い続けました。二度とハエが寄りつかないようにと、挙句の果てには、髪の毛をばっさりと切ってしまいました。そんなくれあさんに、わずかな同情さえ寄せようとしないクラスメートたちは、「冗談で言っただけなのに、バカじゃないの」とせせら笑いを浮かべていました。地獄のような学校生活でした。

母親は娘のそんな様子に心を痛め、学校に相談に行ったり、味方となってくれる母親たちに助けを求めたりしましたが、状況は改善するどころか、かえってこじれて悪化していきました。当時、住んでいたマンションは17階でした。ボロボロに傷ついた娘を心配する母親は、一人にしたら飛び降り自殺でもしかねないと、決してくれあさんを一人することはなかったと言います。


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母親はライブ会場でもいつも娘に寄り添っています。


くれあさんがいじめられた理由は、いま考えると難病が関係していました。くれあさんの病気はニーマンピック病C型と言って、コレステロールを代謝する酵素が欠落する先天性代謝異常症です。進行性で徐々に脳や神経組織を侵されていきます。クラスメートは「話し方がおかしい」「歩き方がおかしい」「動きが気持ち悪い」とあざけってきました。しかし、当時病気の自覚はありませんでしたから、すべて自分の欠点や落ち度だと思ってしまい、返す言葉がありませんでした。動作のぎこちなさは、運動会や集団活動でクラスメートの足を引っ張ることになりました。グループ分けでは、「消えろよ」「いなくなれ」と露骨につま弾きにあいました

生きているのが辛い。でも、誰にも相談できない。くれあさんは、ノートに自分の心を綴っていくことにしました。悲しかったこと、悔しかったこと、寂しかったことなど、こらえきれない思いを書き記していきました。たくさんのノートがたまっていきましたが、見せ合う友達はいませんでした。何が書かれていたのかは、家族も知りませんでした。

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部屋の壁には大好きな音楽仲間の写真が貼ってあります。 

周りを気にして自分を偽って生きる学校生活でしたが、ノートの中だけでは、自分が自分でいられました。いつの日かミュージシャンの「つんくさん」に認められて、「モーニング娘。」の一員になるんだ。そんなあわい夢も抱いていました。将来のデビューに備えて、小学校6年生のときに、アイドルグループ「嵐」の櫻井翔さんと相葉雅紀さんの名前を拝借して“櫻葉来空”というアイドル名もひそかに考えていました。

インタビューは、ブログ中編後編へと続きます。ブログ中編では、いじめを乗り越えるきっかけが音楽だったこと、高校生のときに短い幸せな学校生活があったことなどを書いています。続けて、ぜひお読みください。

 



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 お役立ち情報「難病」
 相談窓口や、過去の放送などをまとめています。

コメント

私は、音楽祭に参加するようになって沢山の出会いとときめきを頂きました。とは言っても最高齢の72歳です。私も子供の頃にポリオになり、いじめに遭いました。来空さんの壮絶なイジメの陰湿さにとても悲しく思いました。でも、今、明るく生きておられる姿は多くの方に勇気と希望を与えてくれると思います。
頑張れなんて簡単な言葉でなく、病気はお医者さんに任せ、気持ちは自分で乗り切れる素晴らしい力があります。
私は、結婚して子供2人います。子どもから頂いた手紙に「お母さんには感謝しています。なんてものでなく、何百倍の言い方があるなら教えて欲しいくらいです」とありました。
苦しい時は、きっと何かを教えてくれる時かも知れません。
支えてくれた、多くの人に感謝することで自分に幸せがきっときます。
そして、いじめた人も必ず、反省と後悔をする時がきます。
私をいじめた人は、60年以上苦しんだようですよ
幸せを少しでも感じたら、お母さんに笑顔をたくさん上げて下さい。

投稿:忘れな草 2016年09月25日(日曜日) 15時53分