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偉大な家庭教師アン・サリバンが求めたもの

2015年10月19日(月)

WebライターのKです。

10月20日は、ヘレン・ケラーの家庭教師だったアン・サリバンの命日です。1866年から1936年までの70年間の生涯でした。ヘレンの自伝で、サリバンは心優しい、理想の教師として描かれたために、その壮絶な人生については、1933年にサリバンの伝記が出版されるまで、一般の人々に知られることはありませんでした。



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サリバンは、教育を終えた後も、ヘレンの人生に寄り添い続ける存在でした。

 

サリバンは、1866年にマサチューセッツ州のアイルランド系移民の極貧家庭に生まれました。8歳のときに母親は病気で亡くなり、10歳のときには、アルコールにおぼれた父親に育児放棄され、弟のジミーとともに救貧院に預けられてしまいます。当時の救貧院は福祉施設とは名ばかりで、貧困者、孤児、娼婦、性病者、精神障害者をまとめて社会から隔離するための牢獄のような施設でした。不衛生で劣悪な環境から、最愛の弟のジミーは数か月で亡くなり、サリバンは天涯孤独の身となりました。弟のなきがらを前にして、「世界中でただひとつ愛したものを失った」と泣きじゃくり、自ら命を絶つことを考えたと、後年語っています。さらに幼い頃に感染したトラコーマによる眼病は年々悪化し、視力を奪っていきました。何度も手術を繰り返しましたが、弱視の状態に戻すのがせいいっぱいで、視力が完全に回復することはありませんでした。

14歳のときに救貧院を出て、パーキンス盲学校に進学し、首席で卒業しましたが、極貧生活の辛い体験は、一生にわたってサリバンの心を支配し続けました。20歳のときにヘレン・ケラーの家庭教師の話が舞い込んだときも、引き受ける動機のひとつとして月25ドルの月謝と住居と食事の提供がありました。卒業後にまた極貧生活に戻ることになるのではないかと、不安に思っていたサリバンにとっては、願ってもない就職先でした。
 

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アン・サリバン本人に取材を重ねて書かれたネラ・ブラディーによる伝記(復刻版)。


 

使用人のいる裕福な家庭で、家族に溺愛されて育ったヘレン・ケラー、極貧の家庭で育ち、親に見捨てられ、天涯孤独となったアン・サリバン。ともに障害者であり、過酷な運命を担っていたことは共通していますが、その出自は対照的でした。

ヘレンのおおらかな性格に比べて、サリバンは激しい性格の持ち主で、周囲とたびたび軋轢を起こしました。心を許して語り合える友人もなく、幼年時代のトラウマから、しばしば精神的に不安定になることもありました。ヘレンの両親やパーキンス盲学校の教師たちが、サリバンの人格を問題視し、ヘレンから引き離そうと画策したこともありました。「8歳から14歳までのあの暗い年月の間に私の脳裏にしみこんだ恐怖の汚点と醜い烙印を消すには、人生も、いえ、永遠さえも、短すぎるのではないだろうか」という言葉を、サリバンは残しています。

サリバンが自分の出生を恥じる気持ちは根深く、自身が64歳、ヘレンが50歳になるまで極貧の出であることをヘレンには隠し通していました。サリバンの辛く悲しい子ども時代のことを知ると、ヘレンは激しい衝撃を受けるとともに、サリバンへの尊敬の気持ちをますます募らせました。

ヘレンの最後の著作のタイトルは『先生(Teacher)』です。ヘレンはサリバンの伝記の執筆を構想したときに、サリバンに相談を持ちかけますが、「ヘレン、あなたの金字塔に惨めなものを加えるのは止めて!あなたは自分のことを描けばいい。それは私を描いたことと同じことになるのだから」と執拗に拒否されました。ヘレンは「私ではなく、先生の人生を讃える本を書きたい。気持ちは一体でも、私と先生は別人格ではないですか?」と食い下がりましたが、サリバンはその問いには何も答えませんでした。

「サリバンにとってヘレンは、人生における唯一の輝かしい宝物でした。ヘレンの偉大さを信じ、ヘレンを愛すること以外、サリバンは何も求めようとしませんでした」と、伝記作家のネラ・ブラディーは伝えています。

20151019_003_R.JPGヘレン・ケラーがサリバンへの感謝の気持ちを綴った著作『先生(Teacher)』。この本が出版されたのは、サリバンが亡くなってからですが、この本にはサリバンの子ども時代のことは描かれていません。



20151019_004_R.JPGウィリアム・ギブソンは1959年にブロードウェイで初演された戯曲「The Miracle Worker(奇跡の人)」でサリバンの偉業を讃えました。邦題は「奇跡の人」とつけられましたが、これはヘレンではなく、サリバンを指すもので、作家のマーク・トウェインがサリバンに出した葉書の最後に、驚異の成果を成し遂げた「Miracle Worker」と、サリバンへの賛辞を記したことにちなんだものです。



参照:『ANNE SULLIVAN MACY THE STORY BEHIND HELEN KELLER』
    (Nella Braddy 1933)
   『Teacher』(Helen keller 1955)
   『愛と光への旅 ヘレン・ケラーとアン・サリヴァン』
    (ジョセフ・P・ラッシュ/中村妙子訳 1982)

 



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コメント

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投稿:reia 2016年10月13日(木曜日) 12時08分