全盲の国学者・塙 保己一(はなわ・ほきいち)から学ぶこと
2015年10月06日(火)
- 投稿者:web担当
- カテゴリ:Connect-“多様性”の現場から
- コメント(0)
WebライターのKです。
10月7日は、江戸時代の全盲の国学者・塙 保己一(はなわ・ほきいち)の命日です(旧暦9月12日)。それにちなんで、全盲の文化人類学者で、「盲人史」や「さわる文化」の研究をされている広瀬浩二郎さんにお話をうかがいました。
お会いしたのは、広瀬さんが東京三鷹の国立天文台で博物館のユニバーサルデザインについてご講演をされる日でした。広瀬さんは、「講演の際にスライドを使う人が増えていますが、“次のスライドを見てください”という言葉を繰り返すだけのプレゼーンテ―ションは視覚障害者にとっては何の意味もありません」とかねてより訴えられていて、自らを“琵琶を持たない琵琶法師”と称する名調子の語りで、ユーモアを交えながら会場をわかせていました。
国立民族学博物館准教授の広瀬浩二郎さん。
ライターK:塙 保己一は、日本の古典文献を集大成した『群書類従』の刊行で知られる江戸時代の著名な国学者ですが、点字のなかった時代に、全盲である保己一がそのような偉業を成し遂げたことは驚くべきことです。一度耳にした書物の内容を逐一暗記したと伝えられていますが、そのことについてどう思われますか。
広瀬:出版文化が整っていなかった時代には、琵琶法師が平家物語を後の世に伝えたように、盲人による口承文芸が文化を継承する一翼を担っていました。目が見えないことで音や声には鋭敏になりますから、文章の内容だけではなく、声の抑揚や口調も含めて語りを記憶しやすいということはあるとは思います。ちなみに私もカラオケの歌詞を覚えるのは得意です。しかし、書物を丸暗記できたというのは、保己一の才能と努力がもたらしたもので、視覚障害者の中にそのようなことができるものが多くいるわけではないと思います。少なくとも私にはできません。
塙保己一の正装図。埼玉県本庄市「塙保己一記念館」所蔵。
保己一の門人の屋代弘賢(ひろかた)が残した伝記の文章。
ライターK:点字の登場によって、そのような能力が必要なくなったということはあるでしょうか。
広瀬:近代の障害者の歴史は、障害による苦労をどう軽減していくかの歴史です。点字はその意味で、きわめて大きな役割を果たしました。私が大学に進学し、学業で身を立てることができるようになったのも点字があったからこそです。しかし、点字によって前近代の盲人の文化が失われた面もあることは否定できません。私はかねてより「障害者史」に対して、「盲人史」という視座を提唱しています。「盲人史」というのは、目の見えない人々が独自の工夫で作り上げたライフスタイルの文化史です。「障害者史」と「盲人史」では、障害に対するスタンスが異なります。障害者史は「同じ」にこだわるもので、盲人史は「違い」を深化させたものだと言えます。点字のあるなしだけではなく、保己一が生きた江戸時代には、盲人独自のコミュニティや文化が存在したということだと思います。
ライターK:江戸時代には、「当道座」と呼ばれる盲人の相互扶助組織がありました。
広瀬:保己一は、江戸に出て、若くしてそのような集団に属し、盲人として生きる知恵をさまざまに学んだのだと思います。同じ障害をもつものが集団をなすのは、共生社会を志向する現代の価値観とは相反しますが、独自の能力を高め合い、切磋琢磨する上では必ずしもマイナスではありません。私も1987年に全盲の視覚障害者として初めて京都大学に入学して、誇らしくはありましたが、同じ障害をもつ仲間がいないことで不安でしたし、寂しくもありました。それで、大学とは別に、視覚障害者の全国組織「文月会」の西部地区委員会に所属しました。そこで多くの先輩たちや仲間と接し、学び合ったことは、いまでも貴重な財産となっています。
ライターK:個人の多様性だけではなく、集団の多様性も大切だということですね。
広瀬:インクルージョン(包摂)という考え方を否定する気は毛頭ありませんが、マイノリティである私たちがばらばらに社会に散らばってしまったら、私たちが独自の感性や文化を磨き上げる機会が失われてしまうということも理解してほしいと思います。
ライターK:保己一の語りを記憶する力は、盲人独自の文化伝統やコミュニティの中で、才能が花開いた結果と考えればよいですか。
広瀬:そうだと思います。さらに付け加えると、保己一は耳から伝えられる文化だけではなく、触角によっても多くのことを学んでいました。手のひらに漢字を書いてもらって、形で覚えていましたし、子どもの頃から草花の種類を触角で認識することもできたとも伝えられています。また、古典を理解するために物語の舞台となった現地を旅して、全身でその地の雰囲気を感じ取ろうともしました。
これまで話したことと矛盾するかもしれませんが、視覚障害者のもつ能力は晴眼者と断絶した特異なものではなく、視覚以外の感覚を大切にすることで育まれる能力にすぎないのです。耳で語りを聞きとる力も、触角によってものごとを感知する力も、周囲の雰囲気を全身で感じ取る力も、すべて誰もがもっている当たり前のもので、それらによって生まれる世界観は共有可能です。ですから、そのような視覚障害者の世界観をもっと面白がっていただいて、文化全体を豊かにするものとして取り入れてほしいと思います。私はそれをともに生きる「共生」ではなく、互いを活かす「共活」と呼んでいます。
塙保己一が刊行した『群書類従』(全666冊)の一部。
コメント
※コメントはありません