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カーレースの夢とともに車いすを生きる 前編

2015年07月24日(金)

WebライターのKです。

 

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車いすユーザーのためのファッションを手掛ける長屋宏和さん(35)が、車いす生活になったのは2002年、23歳のときでした。カーレーサーとして鈴鹿サーキットで開催されたF1日本グランプリ前座レースに臨んだ長屋さんは、将来F1ドライバーとなることを期待される若きドライバーでした。しかし、乗っていたマシンが宙に浮いて数回転し、周囲のタイヤバリアーを飛び越えるほどの大クラッシュ。頚椎損傷により四肢麻痺の重度障害者となってしまいました。
「レース事故はよくありますが、レーサーが大きな障害を負うことって意外と少ないのです。骨折ぐらいのけがですむか、命を亡くすかのどちらかで、まさか自分がその数少ないケースになるとは」

 

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2002年、ホンダの若手ドライバー育成プロジェクト「フォーミュラー3」に参戦したときの雄姿。

 


14歳のときからレーサーへの道を歩み始めた長屋さん。20歳のときには、フランスのレーシングスクール「ラ・フィリエール」に留学までして、ドライビングテクニックに磨きをかけたと言います。


事故後、見舞いにきた仲間たちは「元気になって、また走ろうな!」と励ましてくれました。しかし、入院から3か月を経ても、指さえまともに動きません。不安になったことから、回診にきた医者に尋ねると、「一生車いすの生活です。レースはできません」と言われ、「生きていても仕方がない」と思うほど落ち込みました。加えて、家族や仲間が自分をだましているのだと思ったことも辛かったと言います。
しかし、中学時代からの親友に医者の言葉を伝えると、その友達は「俺はそんな医者の言葉なんて信じない。宏和の復活を信じている」と言われ、自分を前向きにしようとしている周囲の人々の温かさに気づきました。ネガティブな気持ちのままでは、応援してくれるみんなに申し訳ないと、気持ちを切り替え、リハビリに励むようになりました。

 

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2004年に「ツインリンクもてぎ」で行われたカートレース。四肢に麻痺があっても運転できる特注のカートを制作してもらいました。

 

そして、大事故の2年後の2004年には、四肢の麻痺がありながら、果敢にカートレースに出場し、見事に完走を果たしました。「あんな事故を体験したのになぜ、障害者なのになぜ、と思うかもしれませんが、自分からレースを取ったら、何も残らないんです」と長屋さん。中学生のときに、全身で感じた爆音、迫力ある減速のブレーキング、そして自らがレーサーになって体験したコンマ1秒の緊張感あふれる駆け引き、そんな異次元の魅力ある世界との接点はいまでも失いたくないと思っています。
 

 

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「復活」のおそろいのTシャツを着た仲間や支援者。みんなで同じ目標に向かって協力しあって、達成感を味わうのも、カーレースの楽しみのひとつです。

 

来月、8月30日には、栃木県のレース場「ツインリンクもてぎ」で事故後3度目のレースに挑みます。7時間耐久のカートレースで、4人でチームを組んで走ります。周りに心配をかけながらレースをするのはいやなので、入念な準備と体調管理のもとでの5年ぶりのレース参戦です。初心者でも楽しめる参加型のレースですが、長屋さんは、「1台でも多く抜いて、1秒でも早く走りたい」と、意気込みを語ります。
 

 

長屋さんは、事故を起こす前には、人の優しさを意識することはあまりありませんでした。しかし、自分が障害者となってみると、「人って意外と温かいものだ」と気がついたと言います。「健常者だった自分は、障害者に声なんてかけたことはなかった。手を差し伸べたことなんてなかった。そういうかっこいい人がいることにも気づかなかった」。いまは、そのような心優しい人たちに報いるためにも、「前向きに明るく、夢をもって生きていきたい」と語ります。

 

後編では、長屋さんのファッションデザインの仕事についてご紹介します。

後編はこちらをクリック。

 

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