誰でも心は欠けている
2015年04月26日(日)
- 投稿者:web担当
- カテゴリ:Connect-“多様性”の現場から
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先日、川崎で起こった少年の刺殺事件の現場取材に同行しました。
(ハートネットTVではありませんが…)
その日は蒸し暑く、土手に生えている草や花、ビニールに包まれたたくさんの献花が強い風で揺れていました。
その場所の隣には、自転車やちょっとしたマラソンをするのにちょうど良い道路があるのですが、電灯が一つもない場所でした。ただぽつんと監視カメラが立っていました。
今は温かいけど、2月は寒かったんだろうな。
今は明るいけど、夜は何も見えないんだろうな。
暗く寒い中、彼らはこの道をどのような気持ちで通り、どのような気持ちで帰ったのだろうと思いました。
「腕が短い」「足が動かない」「目が見えない」「耳が聞こえない」「気持ちをコントロールできない」「障害者手帳を持っている」「障害者手帳がほしい」など、この世の中には何かによって形作られたさまざまな「障害」があると思います。
ですが、心が欠けている状態は目に見えません。誰かに「欠けている」部分を補足してほしいのに、表に出なければわからない。「彼らは心が欠けていたのでは…」とあの場所で思いました。彼らの心はどうすればわかってもらえたのだろうかと、帰りの道中に悩みましたが、自分の“失っている機能”は自分で伝えないと他人はわからない。もしかしたら、彼らが特別というわけではないのではないか?、伝え方がうまい人や下手な人はいるけれど誰もが心が欠けているのでは?、と考えると少し落ち着きました。
大人も子どもも関係なく、欠けた心をやさしく補い合う関係ができる世の中にいつかなることを、願います。
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