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「私の魂の誕生日」ヘレン・ケラーとアニー・サリバン(前編)

2015年03月20日(金)

3月3日はひな祭りですが、この日は障害児の教育に関する記念すべき日でもあります。盲ろうの少女ヘレン・ケラーのもとに、家庭教師のアニー・サリバンが初めて訪れたのです。1887年のこと。ヘレンは後にこの日を「私の魂の誕生日」と呼んでいます。
サリバンはこのときはまだ20歳。視覚に障害があったために通っていた、マサチューセッツ州ボストン郊外のパーキンス盲学校を首席で卒業した優秀な学生でしたが、教師経験はありませんでした。一方、アラバマ州のタスカンビアで生まれたヘレンは6歳9か月。1歳7か月のときに視覚と聴覚を失い、周囲の人に意思を伝えるのには、身振りや仕草に頼るしかない子どもでした。

ヘレンが、手のひらを流れる物質としての“水”と、言葉としての“ウォーター”との関係を確実に把握し、この世の中のすべてのものに名前があることに気がつく、いわゆる「井戸端の奇跡」はこの出会いからわずか1か月後のことです。


この1か月という短期間で困難をきわめる盲ろうの少女の教育を可能にした陰に、あまり知られていないもうひとりの人物がいます。ヘレン・ケラーの半世紀前に“奇跡の人”と呼ばれていた、「ローラ・ブリッジマン」という女性です。ローラは2歳の時に視覚と聴覚を失いました。そして、ヘレンと同じように教育を受けずに成長し、7歳10か月のときにパーキンス盲学校に入学します。ローラはそこで、盲学校の創設者のサミュエル・ハウという医師から最初は点字、後にはアルファベットを表す指文字を習い、言葉を身につけることに成功していたのです。

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サリバンがパーキンス盲学校で教育を受けていた同じ時期に、たまたまローラは盲学校で暮らしていました。年齢は50代の後半で、盲学校の生徒に裁縫などを教えていました。サリバンはヘレンの家庭教師の話が舞い込む以前から、ローラと交流があり、指文字で会話を行っていました。サリバンは生きた技能として指文字を使っていたのです。と同時に、幼児期に視覚と聴覚を失った人間でも、指文字の習得によって、書物を読みこなすほどの知性を身につけることができるという事実も目の当たりにしていました。


サリバンがローラに出会っていなかったら、果たして視覚も聴覚も失っていたヘレンに対して何の偏見ももたずに接することができたでしょうか。さらに教育によって確実に成果を上げることができるという確信をもてたでしょうか。その意味で、ローラ・ブリッジマンは、「井戸端の奇跡」の陰の立役者と言えると思います。
サリバンはヘレンと初めて出会った3月3日、お土産の人形を手にするヘレンの手をいきなり取って、自分の手を握らせ“DOLL”と指文字を綴ります。すると、ヘレンは手遊びだと勘違いして、そのまま指の形を真似て“DOLL”と応じます。ふたりの49年間におよぶ魂の交流はその瞬間に始まりました。そして、このふたりの出会いによって、人類は障害のある子どもに教育を施すことの重要性を末永く記憶にとどめることになるのです。


「私の魂の誕生日」ヘレン・ケラーとアニー・サリバン(後編)に続く

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