Road to Rio特別編 ~パラリンピック、かかわる人々。Vol.1 筑波大学附属 視覚特別支援学校 寺西真人さん~
2016年03月24日(木)
- 投稿者:web担当
- カテゴリ:Road to Rio 2016
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2020東京オリンピック・パラリンピックが決まってから、パラリンピック関連の大会や選手に取材が殺到することが多くなっています。日本中が一緒になって「障害者スポーツ」観戦を楽しみ、パラリンピアンの活躍から人間の可能性を感じ、心のバリアフリーの実現を信じてやみません。
一方で、東京開催決定前からその灯を燃やし続けている人たちがたくさんいます。
なぜその人たちは、ずっとかかわっているのか?
急速に環境が変わる今、何を感じているのか?
パラリンピアンたちにとって、2020は“ゴール”ではなく、人生のひとつの通過点なのかもしれません。その2020という目標が現れる前から支えてくれた人たちがいるから、今があるのではないでしょうか。
今も現役の“先人たち”の言葉を聞いていくコラムを不定期でお届けします。
その第1回が、筑波大学附属視覚特別支援学校の教諭、寺西真人さんです。
私が寺西さんを初めて知ったのは、2015年7月のグラスゴー・障害者競泳 世界選手権でした。
【画像リンク有】男子 100m バタフライ S11(視覚障害)で優勝した木村敬一選手。
視覚障害のクラス・S11の場合、タッピングと呼ばれる合図で選手はターンやゴールへのアクションを起こします。この100m バタフライのレース、ゴール手前の時点ではウクライナの選手に僅差で負けていました。相手選手は、タッピングが木村選手よりもゴールから離れた位置で行われたため、泳ぎ込むのを止めてしまったのですが、木村選手はゴール手前でタッピングされたので最後まで泳ぎ切り、相手を差し切ることができました。選手の実力に加え、タップされるタイミングで結果が変わることもあるのはこのS11クラスの醍醐味のひとつと言えます。
※木村敬一選手…S11のクラスで二度パラリンピックに出場。ロンドンパラリンピックでは銀メダルと銅メダルを獲得。今年7月の障害者競泳 世界選手権では、金メダル2つを含む4つのメダルを獲得。リオデジャネイロパラリンピックは内定済み、リオでもいよいよ金メダルが期待されている。
その、ゴール側のタッピングを行っていたのがコーチの寺西さんでした。
その数週間後、8月に行われた「2015ジャパンパラ ゴールボール競技大会」の会場でカメラを向けていたら、最近みかけた、見覚えのある男性が…。カメラのズームで名札を確認すると「寺西真人」とありました。やはり!
「水泳じゃないのに、なぜだろう」と思ったのですが、よく考えるとゴールボールも視覚に障害のある選手の競技。両方ともかかわっているのか、とわかりました。
実は、このゴールボールの大会に出場している安室早姫選手・若杉遥選手・天摩由貴選手は、寺西さんが勤める視覚特別支援学校の生徒。夜、週に2-3回ほど学校の体育館で練習をしていると伺いました。
なぜ、水泳とゴールボールという二つのスポーツにかかわっているのか?
それは、寺西さんが学校の体育教師ということが大きく影響しています。
寺西さんのご実家は幼稚園だったり、親戚の方々も教員一家だったりと、“子ども”とは縁がある状況下、自然と教員を目指されました。その中で「人間ぽい先生」そして「出来ない子たちにやる気を起させるような先生」のようなかかわりを意識されたそうです。
人見知りではなく、かといって最初からベタベタしたくはない、ご自身が意識する“距離のとりかた”の積み重ねは、ごく自然と自分の周りに子ども達が集まる日常へとなっていきました。「先生」としてどのように、生徒である選手たちとかかわっているのか?そのあたりをお伺いしました。
――どうやってゴールボールを練習する生徒さんを集めているのですか?
今は、そんなに積極的に集めているわけじゃないんだけど、ゴールボール部に2人しかいなかった時があって。3人いなきゃ試合に出られないから、3年前(田渕)あづきを誘って。それで今あんなんなっちゃった。安室(早姫)も似たようなもんだし。天摩(由貴)も落ち込んでたときに陸上からゴールボールに変えたし。
日本代表・川嶋悠太選手と寺西さん。川嶋選手から自然と寄って行って話し始めるのが新鮮でした。選手とコーチの距離を近く保てるのも“得意な部分”なのですね。
田淵あづき選手。寺西さんいわく「昨年の日本選手権、競り勝った一番の原動力は、あづき!」。経験が短いため、同じチームの安室・天摩両選手に比べ狙われやすい状況を、見事守りきりました。
ちなみに田淵選手、寺西さんのインタビュー中に皮から作った水餃子を持ってきてくれました。餃子は美味しかったので2ついただいてしまいました。日々の練習は厳しそうですが、その中にもアットホームな空気があるのですね。
――1月の終わりに東京都のパラリンピアン発掘事業があって。その時にゴールボールの高田朋枝さんが、「選手足りないからちょっと練習来てみなよ」って言われてそこから入っていったとおっしゃってて。
あ、高田?高田も誘いました。
※高田朋枝さん…競技はゴールボール。2008年の北京パラリンピックで7位入賞。大会後、欧米視察の経験を生かし国内の普及活動に尽力している。
――ははは!
高田が高校1年生の時、恋愛の悩みで泣いてたんですよ、ここ(体育館)で。「お前そんなくよくよしてないでゴールボールやろうぜ!」って誘ったくち。で、高田はセンスありましたよ。実際北京にも行ったしね。
努力だけでも、(田淵)あづきみたいにある程度できますし。東京は狙わせますから。
――例えば、この子はゴールボール、この子は水泳とか、この子は陸上とか、そういう方向性はあるんですか?
決めたいよね。決めたいし、その方が伸びるんじゃないかって予測はつくけど、でも子どもたちが「これをやりたい」って言うとそこは変えられない。他の競技をやらせたくて、本人が「いいよ」といっても、結局それを受け入れてやる気にならないと、だめですね。
――今、この学校では、どんなスポーツをやっているんですか?
とりあえずパラスポーツやっているのは、陸上と、水泳と、ゴールボールとブラインドサッカー。サッカーも力入れ始めたから。サッカーはこれからだと思うけどね。人気なのはフロアバレーボールとかサウンドテーブルテニス(STT)とか、パラスポーツじゃないやつですよ。
――バレーボール、あるとはしりませんでした・・・。
ネットの下を通すバレーボールがあって。それは国内の社会人大会もあって。今まで全国盲学校野球大会だったのが、来年…再来年かな?全国盲学校フロアバレーボール大会に変わるんですよ。野球だと11人選手必要だけど、バレーだと6人でいい。あと、卓球もやってるね。
――柔道はどうですか?
この学校来てから最初は畳ひいて、柔道大会あったから教えたけど、やっぱり世界を見据えた時には自分でやってないととてもじゃないけど教えられないな。
教師になり、初めの5年間は筑波大学附属高等学校で体育教師をしていましたが、その後近くの筑波大学附属視覚特別支援学校に勤めることになります。
先日の春季静岡水泳記録会で木村敬一選手のタッピングをする寺西さん
この学校にくるまでは…ブラインド(視覚障害)のことは知らないし、障害のことも全然素人だし。「目、見えないのに何でこんなできるんだろう?」って。そして2年くらいたって、ブラインドのことも少しわかったかな、って思ってむくむくむくって調子にのってきた時に河合純一に出会って、またへし折られて(笑)。
――運命ですね(笑)。
運命だよね、河合に出会ったからこんなんなっちゃったもんね。普通のサラリーマン教師でよかったのに。
河合にとって自分なんかもう、先生じゃなくて“アニキ”でしたね、完全に。仲間でしたよ。「さー!プールいくかー!」って。
水曜日だけプールが休みでしたけど、月火木金土と週五回プールに行ってましたよ一緒に。
※河合純一さん…過去、視覚障害のクラスで五度のパラリンピックに出場し、21個のメダルを獲得している競泳選手。現日本パラリンピアンズ協会会長、日本身体障がい者水泳連盟会長。
――その時、ゴールボールは?
その時は水泳だけ。
しばらくしてからですねゴールボールは。2004年のアテネ終わったあたりくらいからかな?自分のゆとりができてもっといろいろやってみたいって広げたのは。いやでもアテネで(ゴールボールの加藤)三重子がメダルとってるから…シドニー…いや、1996年のアトランタ終わってからですね。ゴールボール始めたのは。そしてメダルをとっちゃった。
――(笑)。
練習だけ考えたら、ゴールボールの方が体育館があるし環境いいですよね。でもなんだろう。ここでゴールボールだけにして水泳を捨てたら多分自分だめになるだろうと思うんです。だから逆境の中、常にチャレンジ精神かな?苦しいなかでやると、味がでるし、達成感あるし。今度の小野は、命がけですもん、僕。
あいつは、4月から親元離れるし、練習しながら会社行かなきゃいけないですし。
だからリオにかけて、命懸けるんです。そこまでやって、だめだなと思ったら諦めるだろうし。でも多分、結果が出ると信じてる。
※小野智華子選手…S11のクラスでロンドンパラリンピックに初出場。4種目に出場し、100メートル背泳ぎでは8位入賞を果たす。また、去年7月の障害者競泳 世界選手権では、4位。今年3月に行われたリオ最終予選・春季静岡水泳記録会では、派遣標準記録から1秒近く遅れてしまいましたが、選考規定に基づき、リオ出場の推薦が決定しました。
――小野選手、グラスゴーの時には、確か3位の選手と、0.5秒弱でしたっけ?
あれは、メダルとれれば儲けもんだったけどね。小野は、ロンドン8位だったんで。リオは7位6位、1個でもあがればいいと思うんですよ。メダルは、ほんとに東京でとらせたくて。
――毎日一緒に練習するのですか?
月と金はここでゴールボールを見ようと思います。でも火・水・木は小野と一緒に。だから月と金は別に練習に行ってもらって。
――そう過ごすとあっという間かもしれませんね。練習は毎日続くんですけど。
まあねえ。4年単位であっという間なんだけど・・・でも、長いよね。
いつもパラリンピックのたびに、「あれから4年かあ。短いようだったけど、長かったなあ」って。その長い練習の積み重ねが、結局プレッシャーになって戻ってくるんですよね、いつも。
――乗り越えてしまったら、次へ、次へと期待が。
はじめてのときは分からないと思うけど、木村にも、「連覇は大変だ」って。
小野にも、「連続出場ぐらいじゃ俺は満足しないよ」って。
小野も凄いプレッシャーだと思うんですよ。(国家試験の)勉強したいだろうし、泳ぎたいに違いないんですよ。
だから、チャレンジャーのほうが、“気楽”ですよね。
――小野選手は、なぜ背泳ぎが得意なんですか?一番タイムが出るからですか?
よく分かんないですけど、ブラインドの子、背泳ぎ好きですよね。秋山もそうだったし。伸びるのが、背泳ぎが一番早い気がするなあ。…なんだろう、わからないです。顔つけなくていいからかなあ?
――体の特徴ってあるものですかね?
一般の、健常でも、背泳ぎって泳ぎにくいんですよ。
(天井に)線がないから、曲がりやすかったり。そういう意味ではブラインドのほうが、ハンデ少ないのかな?うーん分かりません。それは本人に聞いてください。
ただ不思議ですけど、シドニーからアテネにかけて、酒井・河合・秋山で、日の丸を計4回上げていますから、日本人に合ってるのかもしれません。まあ、関係ないと思うけどねえ。
――木村選手、背泳ぎは?
ダメ!(笑)ダメ!
泳がせられない。恥ずかしくて。背泳ぎ両手同時にバタフライみたいにしたら、早いかもしれない。
――(笑)。
メダル、女子は小野が一番近いと僕は思ってるけどね。でも取れないかもしれないし、木村は三つ取らなきゃいけないだろうし。
――グラスゴーの小野選手のインタビューで、背泳ぎ100メートル終わった後に「メダルはリオまで待っててください、有言実行で」って言ってましたよ?
言っちゃったね。その場逃れですけどね。そのつもりではいるんですよ!
【画像リンク有り】上から2つ目の動画。1分あたりから、おっしゃっています。
――これは書くしかないなと思って。
厳しいなあ!笑
でもそのくらい覚悟しなきゃメダル取れないってわかってるんですよ。ラクしてメダル取れないですよ。やっぱり選手にとらせるイコール、自分も追い込まないと。
世の中、「パラリンピック出場」だけじゃ許してくれないですから。相手にしてもらえないのも知ってるから。小野にメダルとらせてなんぼですからね。
とれなくても4位までですね。5位とか見向きもされなくなっちゃう。東京につなげるためにも、東京に追い風を吹かせるためにも、やっぱりメダルなんですよ。欲しいです!取らせたいです。そこはタッチ差の勝負になるので。うん、命がけですよ、ほんとに。
――あと六カ月くらいですか?
そうですね。4月はまだちょっと、スケジュールが安定しないですけど。5・6・7ってぐっと持って行って。8月なんかはたぶん、どこで合宿してるかわからないですけど、周りの人にバックアップしてもらいながらやってるんだろうなって思います。
こうやってコーチに取材がくること自体も、昔は考えられなかったんでありがたいっちゃありがたいですけど、悪いこと出来ないから困っちゃうんですよね。
――いやいや悪いことやってもいいですよ?こっそりやれば。
ははは(笑)。
――最後に。寺西さんはなぜ、水泳とゴールボール、二つの競技を見ているのですか?
個人競技と、集団競技というバランスですね。
両方をすることで自分自身、学ぶことが多くて、個人は個人、ゴールボールはゴールボールで、1+1+1が5ぐらいに化けるんで、「まさかこんなチームで」と思いながら勝つときがあるし、「これだけちゃんとしたメンバー揃ってて負けちゃう」って時もあるし。“人間の心”を操るのはゴールボールのほうなので、これはこれで面白いです。試合の流れは信頼関係を構築できている…すごく「人間、生きているなあ」って感じますね。
我々の夢…勿論生徒、選手みんなの夢であるんだけど、「東京でちゃんと世界と恥ずかしくない試合をしたい」ということです。こんな小さくても世界と対等に戦えるんだって、そういう“日本の魂”のようなものを東京で発表できるようにしたいと思っています。
昨年秋に取材した時の寺西さん
夢中になったのは、生徒の指導。
そうしたらいつの間にか“同志”が増え、そのうちに、自分が目指す道がはっきりしていったのだと思います。障害に関しても生徒たちとのかかわり合いの中で “特徴のひとつ”と感じられたようになったそうです。
パラリンピック…障害者スポーツを知ることで、いつか寺西さんと同じ感覚を抱けるようになるでしょうか?
1959年7月26日、東京生まれ。筑波大学附属視覚特別支援学校教諭。
日本身体障害水泳連盟競泳技術委員。日本ゴールボール協会運営委員。
大学卒業後、母校の体育非常勤講師、筑波大学附属盲学校(現・筑波大学附属視覚特別支援学校)の非常勤講師を経て、1989年同校教諭となる。日々、水泳とゴールボールを“両方”指導。水泳では、河合純一、酒井喜和、秋山里奈、木村敬一の4人のパラリンピックメダリストを育て、ゴールボールのメダリスト・加藤三重子、若杉遥の指導に携わる。2015年日本ゴールボール選手権大会では、自らが指導する「チーム付属A(男子)」、「チーム付属(女子)」で8年ぶりに男女揃っての優勝を果たした。
※2016.3.29 小野智華子選手について、追記があります!詳しくは⇒Road to Rio vol.72 リオへ6カ月、そして東京へ。 ~春季静岡水泳記録会・後編~
このコラムでは、パラリンピックの周辺にいる人たちの、日々積み重ねられる人間ぽさ、迷い、嬉しさなど、パラ競技との“かかわりかた”をお伝えすることで、みなさんが障害のある方々と共に生きていく時間をリアルに感じ、それぞれひとりひとりの想像の可能性がより拡がるきっかけになることを願っています。
コメント
私が障がい者スポーツと関わりを持った40年以上前とは、マスコミも世間も支援、思いが深く、隔世の感があります
20年パラピンピックに向け、一層盛り上がりを期待します
ブラインドスポーツは寺西さん抜きでは考えられません
投稿:kadoちゃん 2016年03月25日(金曜日) 15時13分