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ピョンチャンへ新たなスタート! ~アルペンスキー世界選手権報告(後編)~

2015年03月11日(水)

ピョンチャンへ新たなスタート! ~アルペンスキー世界選手権報告(前編)~はこちらをクリック

ちょうど1年前はソチパラリンピック開催中。あれから1年。すでに戦いは始まっています!
IPCアルペンスキー世界選手権(カナダ・パノラマ)は、現地10日が最終日を迎えました。2018年のピョンチャンパラリンピックに向けて、大事な大会です。
ソチでは、金3、銀1、銅1と活躍を見せた日本アルペンスキー陣。今大会最終日、「回転」で、日本勢が金、銀のワンツーフィニッシュ!やってくれました!
(情報・選手へのインタビュー:日本障害者スキー連盟より)


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優勝した鈴木猛史選手(右)、2位の森井大輝選手(左)。笑顔がまぶしい!
(写真(ブログ内全写真)=堀切 功/日本障害者スキー連盟)

 

ピョンチャンへ新たなスタート! ~アルペンスキー世界選手権報告(前編)~

2015年03月06日(金)

今回は、カナダで始まっている、IPC(国際パラリンピック委員会)主催のアルペンスキー世界選手権の結果をお伝えします。
(情報・選手へのインタビュー:日本障害者スキー連盟より)


2年に1度の世界選手権。今回、日本からは、ソチパラリンピックのメダリスト(森井大輝選手、狩野亮選手、鈴木猛史選手)を含む8人がエントリーしています。

現地時間4日、最初の種目、ダウンヒル(滑降)が行われ、女子座位(チェアスキーに座って滑るクラス)の村岡桃佳選手が銀メダル、男子座位の森井大輝選手が銅メダルを獲得しました!!ソチのダウンヒル金メダルの狩野選手は7位。銅メダルだった鈴木選手は9位でした。
特に、この4月から大学生となる高校3年生村岡選手は、ピョンチャンに向けて好スタート。何と、この種目でソチパラリン金メダルのドイツの選手を上回って2位でした。これからが楽しみです!

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森井大輝選手。ソチのダウンヒルでは悔しい途中棄権だったが、今回は銅メダル!
(写真(ブログ内 全写真)=堀切 功/日本障害者スキー連盟)

 

ピョンチャンへ新たなスタート! ~クロカンスキーワールドカップin 旭川~

2015年02月23日(月)

パラリンピックのブログでは、夏季リオ大会に向けての情報を紹介していますが、今回は冬のパラリン情報を!

みなさん、ソチパラリンピックを覚えていますか。あれからもう1年です。早い!!

選手たちは、次回、2018年に韓国で開かれるピョンチャン(平昌)パラリンピックに向け、新たな4年のスタートを切っています。その中でも、今後に向けて重要な、クロスカントリースキーのワールドカップが、2月中旬、アジアで初めて北海道旭川市で開かれました。


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世界9か国から50人を上回る選手が参加。様々な言語が飛び交い、国際色豊かでした。


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視覚障害のクラス。前を走るガイドの口元にはマイクが。指示の声がウエストポーチに入っているスピーカーから、後ろを走る選手に伝えられます。信頼が2人をつなぎ、目指すゴール。表彰式ではガイドにも同じメダルが贈られます。

 

ソチパラリンピックブログ「山田's eye」 ⑨選手たちが残したもの ~パラリンピックエピローグ~

2014年03月24日(月)

パラリンピックが終わりました。現地で開会式の実況を終え、帰国してからは大会後半のハイライト番組キャスターを務めました。私の中では、“あまロス”ならぬ“パラロス”。正直、寂しい・・・。

選手たちがこの4年に1度という大舞台で残したものは、とてつもなく大きな価値があると感じています。
私たちは、順位でその選手の頑張りを評価してしまいがちです。
でも、フィニッシュを目指して果敢に攻める姿。そしてフィニッシュ後、「力を尽くしてやりきった」という選手の表情。それを見ると順位は二の次。自然と感情がこみ上げ、よくやった!という思いになります。さらに、自身に向けて「もっと頑張れることがあるのでは」と、我を振り返る気持ちにもなります。
 

【出演者インタビュー】吉木りささん「熱い戦いばかりで、感動と勇気をいただけました!」

2014年03月24日(月)

3月20日放送(3月27日再放送)
ソチパラリンピック 熱戦の舞台裏
にご出演された、タレントの吉木りささんにメッセージをいただきました。

 

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今回はソチパラリンピックで見事メダルを獲得した狩野 亮選手、森井大輝選手、鈴木猛史選手、久保恒造選手に生出演していただきました。メダリスト4人を前にされていかがでしたか?

あれだけメダリストのみなさんがそろうと、なんだか輝かしいオーラが出ていました(笑)。
今回のソチパラリンピックは雪のコンディションだったり、霧や雨、気温も高くて、すごく難しい環境でしたけど、選手のみなさんにお話を聞くと常に冷静に対応されていて、本当にすごいなって思いましたね。

 

【大会10日目】NHKソチパラリンピックアルペンスキー実況解説者・井上真司さんに聞く。

2014年03月19日(水)

大会10日目の放送を終え、
アルペンスキー実況解説の井上真司さんにお話を伺いました。

2002年のソルトレイクシティパラリンピックから3大会連続出場。
本業は菅平高原にあるお寺の住職。


20140317_inoue001_R.JPGいつからアルペンスキーをやっていらっしゃるんですか?
「競技」となると、長野のパラリンピックを見たときからですね。それまでパラリンピックはよく知らなかったです。自分ぐらいの障害だと出られないものだと思っていました。


それは何故ですか?
ちょうど長野市でやっているスキー場でパトロールの業務をやっていたのですが、障害者スキー大会というのがあるんです。そこの係員の皆さんに「お前出ないか?」って言われたのですが、パトロールの隊長には「お前が出ちゃまずいだろう」と言われてそういうものだと思っていました。実際に見たら同じ程度の選手も出ていたので、これは「出れるんじゃないか?」と思ったのが始まりです。出るにはどうしたらいいのかと考えました。

【大会9日目】アルペン元オリンピック日本代表・川端絵美さんに聞く。

2014年03月18日(火)

大会2日目の放送を終え、
解説いただいた川端絵美さんにお話を伺いました。


競技が全て終わって、いかがでしょうか?
長野パラリンピックが終わってオールラウンダーを育てようっていうアルペンチームの作戦としては、すごくいい状態で強化が出来ましたね。トリノ、ソルトレイク、バンクーバーの3大会できっちりと本当に上位に来れる力のある選手を育ててきたなっていうのが印象です。実際に今回活躍している選手っていうのは長野大会を見ていたときに多分人生の“どん底”にいたと思うんですよね。そこからこういう楽しみがあるんだっていうのを見いだした選手達がいることの嬉しさと、本当に表彰台独占できたであろう状況だった事は、日本チームとしては嬉しい話だったのかなって。
ただ途中で天候が崩れて、種目の順番が変わったり雪質がまた大幅に変わった事によって、メダルが大量生産出来たはずの種目で取れなかったっていうのは、残念といえば残念ですが。でも全体としては非常にいい結果だったのかなって思いますね。

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【大会9日目】クロスカントリー元オリンピック日本代表・夏見円さんに聞く。

2014年03月18日(火)

大会9日目の放送を終え、
解説いただいた夏見円さんにお話を伺いました。


大会期間10日間のうち、7日間ご出演いただきましたが、いかがでしたか?
こんなにパラリンピックを見たのは初めてですね。私は競技をやっているので、この時期は特に北欧やヨーロッパだったりっていう事が多いので、なかなか見る機会も無かったのですが、すごく勉強になりました。今まで選手と会う機会も何回もありましたけれど、そこで感じた以上にやっぱり心意気が違うなと・・。もっとトレーニングの面で一緒に出来ることがあればもっともっとしていきたいなと、何かもっと出来るんじゃないかなと。日本チームとして一緒にできることが何かあると思うので、そういうところを荒井さん(荒井秀樹さん:パラリンピック クロスカントリー・バイアスロン日本代表監督)とでも話が出来れば面白いかなと感じました。

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【大会8日目】NHKソチパラリンピッククロスカントリー実況解説者・長田弘幸さんに聞く。

2014年03月16日(日)

大会8日目の放送を終え、
クロスカントリー実況解説の長田弘幸さんにお話を伺いました。

長田弘幸さん
1998年の長野パラリンピックから4大会連続出場。
シットスキーを使用し、クロスカントリー、バイアスロンに出場している。



20140316_nagata001.JPG長田さんというとこの分野の先駆者というか、さきがけとだと思うのですが、あらためて競技を始められたきっかけを教えていただけますか?
もともとケガをしてから・・・96年くらいからなんですけど、18年ぐらい前ですかね。長野が98年でしたので、その2年前、車いすマラソンをやっていまして、その車いすマラソンの友人が誘ってくれたのがきっかけです。


どのようなケガをされたんですか?
バイクで交通事故を起こして。それで脊髄損傷になりました。


始まりは長野パラリンピックの前、ということだそうですが、その頃、日本にはシットスキーのノルディックをやられている方っていうのはどのぐらいいらっしゃったんですか?
10人弱ぐらいだったと思います。長野パラリンピックがあるので、選手の募集をしたんですね。それで何人か立候補した中の私もその一人だったんですが。車いすの選手は10人ぐらい・・・10人もいなかったと思います。

【大会8日目】NHKソチパラリンピックナビゲーター・為末大さんに聞く。

2014年03月16日(日)

大会8日目の放送を終え、ナビゲーターの為末大さんにお話を伺いました。

20140316_tamesue001.JPGソチパラリンピックナビゲーターとして、最初にお話をさせていただいたのは12月ぐらいからですかね。振り返っていかがでしたか?
体験としてはパラリンピックが初めてというのと、冬の競技も初めてというので、結構初めてなことだらけだったんですけれど、すごく勉強になりました。あと、もう1つは直感的にパラリンピックっていうのはおもしろいし、これから広がりそうだなっていうのを、現地で見て確信したので、それがすごく良かったなと思う点ですね。


具体的には現地で見た「感触の広がり」っていうのはどんなところですか?
競技性が高くなっていて、そこは僕は日本は少し認識がずれているんじゃないかと思うんです。リハビリテーションをした人たちの披露の場と思っているのが、もうそうではなくて、スポーツの新しいカテゴリが出来ているんだっていうことですね。オリンピックにパラリンピックが追いついていくという方向性じゃなくて、パラリンピックっていう新しいメッセージを発信出来るスポーツの舞台が出来たっていう印象があるんです。例えばアカデミー賞、ノーベル賞、オリンピックとか、そういう賞を与えたり、競争している場があると思うんですけれど、そういう中の1つのカテゴリとしてパラリンピックが出てきた。それに、より人に訴えかけているものとかコンセプトとかが強い気がするんですよね。選手個人のメッセージも強いですし、その魅力はすごく強く感じたと思います。