本文へジャンプ

【最終回】これからのこと

2014年01月22日(水)

2014年1月20日 日本は障害者権利条約を批准しました。(発効は2月19日です)
条約は、憲法と国内法の間に位置します。
今後は、条約に合わせて国内の障害者施策を整備してゆくことになります。
このブログに書いてきたように、課題は山積しています。
やっとスタートラインにたった、と言ってよいでしょう。

条約の実施にあたっては、それを監視する枠組みを設けるよう、条約の33条に書かれています。
障害者基本法に基づいて設けられた障害者政策委員会が行うことになります。
締結したあとは、2年以内に履行状況を国連に報告、その後少なくとも4年ごとに政府リポートとカウンターリポートを提出する必要があります。
条約の考えにそって国内の状況が推進しているのかチェックするのです。
カウンターリポートは、当事者団体などNGO(非政府組織)が作成することになります。

【第7回】自分で決める

2014年01月07日(火)

障害者権利条約は、これまで障害のある人たちを“保護の対象”としていた考えを大きく転換し、“権利の主体”として考えています。
自分の人生は自分で決める、という当たり前のことを、みなで合意したのです。

施設に住まざるをえなかった知的障害のある人たち、ときには長い間病院という名の場所で暮らさざるをえなかった精神障害のある人たちがいます。
好きなものを食べ、好きな服を着て、という暮らしができなかった人たちがいます。
たとえよかれと思って与えられたものであったとしても、自分の意思で選ぶ、自分で決めることとは違います。

【第6回】教育と雇用

2013年12月27日(金)

障害者権利条約では、50条にわたって、障害のある人もない人も同じように、自分の選んだ生活をおくることを保障するために必要なことがらが書かれています。
そのうち、教育と雇用についてみてみましょう。


日本の教育は、これまで分ける教育でした。
一般校に通えないとされた障害のある子どもたちは、
かつては、養護学校、盲学校、ろう学校で学んでいました。
今は、特別支援学校(学級)と名前は変わりましたが
その考え方は続いているとも言えます。

条約の精神は、違います。
インクルーシブ教育(政府訳では“包容”する教育制度←連載第5回参照)を確保する、
という記述で、
障害のある人もない人もともに学び、障害のある人が教育制度一般から排除されないこと、地域の学校に行き、個人に必要な合理的配慮が提供されるよう、書かれています。
また、手話の習得のために適切な措置をとること、さらには、盲ろう者の教育がもっともふさわしい意思疎通の手段で行われること、などがきちんと項目としてあがっています。

【第5回】地域で暮らす

2013年12月24日(火)

障害者権利条約は、国連の公用語で書かれています。
国連の公用語は6つ。
英語、フランス語、スペイン語、ロシア語、中国語、アラビア語です。

日本語の訳は、以下の外務省のホームページに政府訳としてPDFファイルで掲載されています。
外務省 障害者の権利に関する条約
※別ウィンドウ NHKサイトを離れます。


なかに、いくつか気になる訳があります。
”inclusion” という言葉は「包容」という言葉になっています。
英和辞典で調べると、包含、包括といった意味です。

格差や貧困がひろがるなかで困難をかかえるひとを排除しないという意味で使われる“ソーシャル・インクルージョン”は、“社会的包摂”と訳されます。

障害のある子どもたちが普通学級でともに学ぶことインクルーシブ教育、とカタカナのまま使われています。
いずれも、包容という日本語のニュアンスとはやや異なる感じです。
 

【第4回】手話は言語

2013年12月19日(木)

12月16日、北海道石狩市で「手話基本条例」が成立しました。
手話を言語として認め、手話を広め、聞こえない人と聞こえる人が理解しあえる社会をめざすものです。
こうした条例は、鳥取県についで2番目、市町村では初めてです。
この動きの原動力になっているのが、障害者権利条約です。

20131219_001.jpgのサムネイル画像
「鳥取県から いわば手話革命が始まるんだと思います」と語っていた、平井伸治知事。


障害者権利条約では、第二条 定義 という条文のなかに、以下の記述があります。
「言語」とは、音声言語及び手話その他の形態の非音声言語をいう

手話は言語である、とはっきり規定されたのです。
手話だけではなく、盲ろうの人たちが使う指点字、なども言語である、という認識です。

【第3回】合理的配慮

2013年12月13日(金)

「合理的配慮」という言葉は、障害者差別を考える上でとても大切な考え方です。

障害者を差別してはいけない、というのは、誰にでもすぐわかることです。
しかし、意図的に差別はしていない、というだけでは、不十分なのです。

ホームまでのエレベーターがないから車椅子のひとは電車に乗れない、点字の資料がないから目が見えないひとは会合に参加できない、など、結果的にやりたいことが制限される、社会参加できないことは、差別につながります。(「間接差別」とよぶ場合もあります)

障害者権利条約では、障害に基づく差別として「あらゆる形態の差別(合理的配慮の否定を含む)」という書き方で、合理的な配慮がなされないときは差別とする、としています。

では、「合理的配慮」とはどういうものでしょうか?

a1030_000056.jpg
合理的配慮って、なんだろう?

【第2回】障害者権利条約ってなに?

2013年12月09日(月)

障害者権利条約には、障害の定義がありません。
なぜでしょうか?

実は、前文に「障害が発展する概念であることを認め」とあります。
つまり、障害というのは、かわりうる、ということです。
機能障害がある人と、環境による障壁・まわりの人たちの態度、との間の“相互作用”こそが問題だとしているのです。

たとえば、私はコンタクトレンズを使っています。
もし、めがねもコンタクトレンズもない時代、たとえば狩猟時代に生きていたとしたら、遠くの獲物や木の実を見つけられず、生活に困難をかかえる障害者であったでしょう。

【第1回】障害者権利条約が批准されます!

2013年12月07日(土)

12月4日、参議院本会議で「障害者権利条約」の締結が全会一致で承認されました。
この日、日本障害フォーラム(JDF)の会合があり、多くの障害者団体が集まっていたのですが、国会での承認が伝えられると会場が感動の渦となりました。
今後、批准の手続きが行われ、来月にも発効します。

条約は、憲法と国内法の間に位置するもので、大きな力をもちます。
国内の法律が条約に合わない場合は、直してゆく必要があります。