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【取材記】桑折(こおり)さん家の雪かき

2014年02月24日(月)

3/4(火)のシリーズ【被災地の福祉はいま】「頑張るよりしょうがねえ~南相馬市・瀬戸際の介護現場で~」の担当ディレクターです。
昨年3月の放送に続き、私たちは今年も、原発事故の影響にいまだに翻弄され続けている福島県南相馬市の介護現場の実情をお伝えします。


今回の取材で、私たちは、津波で自宅を失い、借り上げ住宅で避難生活を送る桑折馨(こおり・かおる)さんという85歳のおじいさんに出会いました。番組タイトルの「頑張るよりしょうがねえ」は、この桑折さんの口癖です。

 


桑折さんは、3年前の大津波で、自宅だけでなく、最愛の息子も失いました。
唯一手元に残ったのが、避難時にも使用した愛用の軽トラです。
朝、昼、晩の1日3回、桑折さんは、この軽トラを飛ばして、妻・タキ子さん(85歳)が入院する病院へ食事の介助をするために向かいます。
タキ子さんは、慣れない借り上げ住宅で転倒し、持病の腰痛が悪化。
さらに、息子を亡くしたショックで、心もふさぎがちです。
そんな妻を、桑折さんは懸命に励まし続けます。

(夫)「タキ子、頑張って生きろ」
(妻)「返事はできねえ」
(夫)「返事できねえことはねえ。頑張れ」
(妻)「頑張らねえ」
(夫)「頑張らねえでなく、頑張ります!」
(妻)「…んだら、頑張っぺ」


タキ子さんが退院したら、桑折さんは、在宅でひとりで介護をする覚悟です。
老々介護の日々が再び始まります。
85歳の桑折さんも、満身創痍。
タキ子さんの退院に備えて、毎日整骨院に通い、体を整えています。
献身的な桑折さんの支えがあって、タキ子さんはかろうじて生きる希望をつないでいます。
桑折さんが病院に来られない日があると、とたんにタキ子さんの体調が悪くなります。
桑折さんがそばにいないと、食事の量が極端に減るのです。
だから、桑折さんは、何があってもタキ子さんに会うため、軽トラを飛ばします。


しかしこの冬、軽トラの行く手を阻むものがありました。
2月上旬、日本列島を襲った記録的な大雪です。
主要な道路の雪はすぐにおおかた取り除かれましたが、桑折さんの借り上げ住宅は雪に取り囲まれ、85歳のお年寄りにとっては、身動きがとりにくい状態でした。
その日は、入院中のタキ子さんのところを訪ねる様子を撮影させていただく予定でした。
私たちが約束の時間に訪ねると、桑折さんは険しい顔で一言、
「せっかく東京から来てもらって、あんた達には悪いが、今日はどこさも出ねえ」。

こういう場合、
「そうですよね、この大雪じゃあ、タキ子さんは可哀そうですけど、仕方ないですよね」
とは言いたくても言えないのが、私たちTVディレクターという仕事の業です。

何としても今日撮影して帰らなければ、編集に間に合わない。
つまり何としても、桑折さんには病院に行ってもらいたい。
しかし、85歳のお年寄りを前に、
「今日行っていただかないと‘私が’困るので、多少無理してでも行きましょうよ」とは口が裂けても言えない。
どうしたものか…と困っていると、玄関口から、ロケバスで待機していたカメラマンの声が…。
「ここにあるスコップ、お借りしていいですか?」


「雪かきをして軽トラが出やすくなったら、今日の撮影が可能になるかも?」という下心がロケクルーにあったかどうか(少なくとも私は瞬間的にそう思いましたが)、ともかく、カメラマン、音声マン、ドライバーが黙々と雪かきを始めました。
20140224_hisaichi001.jpg

20140224_hisaichi002.jpg

一応東北出身者である私も、15年ぶりくらいになる雪かきに加わりました。
真冬なのに、汗がしたたるように流れ落ちます。
不思議なもので、無心で作業をしていると、この際撮影などどうでもいいような気になってきます。
確かに「頑張るよりしょうがねえ」なと、
この瞬間について、実感として単純にそう思うだけです。


そして振り向くと、軽トラの荷台に腰かけ、満足げな顔で作業を見守る桑折さんの姿がありました。

20140224_hisaichi003.jpg

 

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2015年03月07日(土) 頑張るよりしょうがねえ―福島・南相馬 ある老夫婦の日々―

 

▼シリーズ 被災地の福祉はいま
(本放送=夜8時、再放送=午後1時5分)
だれもが暮らしやすいまちを目指して―岩手県・陸前高田市―
本放送3月3日(月)、再放送3月10日(月)

頑張るよりしょうがねえ 南相馬市・瀬戸際の介護現場で
本放送3月4日(火)、再放送3月11日(火)

支えあいの“縁”を創る ―石巻市・地域福祉コーディネーター―
本放送3月5日(水)、再放送3月12日(水)

コメント

昨日のアンコール放送を見ました。
86歳になる桑折さん。土地を買って家を建てて。
ただただ、震災前のタキ子さんに戻ってほしかったんですね。
タキ子さんのために設計した新しい家を見せてあげたかったね。

桑折さんの人間性に心を打たれました。
ただただ頭が下がります。

どうぞお元気で。
長生きしてください。


投稿:れいれい 2015年06月13日(土曜日) 14時42分

おじいちゃんの歳で家を建てるというおばあちゃんへの愛情から生まれるのチャレンジ、敬服します。
無謀にも思える行動だけど、自分の信念に従って逃げない姿勢に自分は若いのにチャレンジせずに事無かれ主義、恥ずかしいです。
おじいちゃん、おばあちゃんの背負った悲しみや困難、はかりしれません。被災しなかった私たち若者が少しだけでもその重荷を軽くしてあげたいです。

もっと再放送していろいろな人にまだ復興には程遠く苦しんでいる人がたくさんいることを知って欲しいです。

投稿:まいける 2015年06月13日(土曜日) 02時22分

桑折さんの番組見終わりました
涙が止まりませんでした
今後も追って欲しいです

投稿:めい 2015年06月13日(土曜日) 01時08分

桑折さんの誠意ある生き方に胸を打たれました。どんなに辛いときも、妻を心から愛し支える姿は涙なしには見られません。同じ状況で、これほど妻へ尽くせるのは桑折さんしかいないのではないでしょうか。タキ子さんは最高の旦那さんに出会えて幸せだったと思います。新居で2人一緒に暮らす夢は叶いませんでしたが、家を建てる話をする時タキ子さんは微笑んでましたよね。最高のプレゼントであり励ましだったと思います。もし家を建てていなかったら、あの時家を建てればタキ子さんをもっと励ませたかもしれない…と後悔してしまっていたかもしれませんね。今、天国でタキ子さんは自分のために建てられた新居を見てとても喜び、桑折さんを見守ってくれているに違いありません。

津波で息子さんを失い大変お辛いことと思います。息子さんへ伝えたかったこともたくさんあることでしょう。しかし、桑折さんの意思はテレビを見た私たちが受け継いでいけるのです。桑折馨さんという人がいたこと。どんなに辛いときも妻タキ子さんを心から愛し、最後まで支えたこと。原発さえなければ運命は違っていたかもしれないことー。

自分に与えられた命の意味を考えながら、タキ子さんの分も、忠夫さんの分も、1日1日を精一杯生きねばならぬと改めて痛感しました。

桑折さんのことを思う人間が日本全国にいることを忘れないでください。遠く離れた土地から 応援しています。

投稿:みみ 2015年06月08日(月曜日) 22時47分

桑折さんの生き方に感動と私もガンバらないとと強く思いました。
こんなに大変な方がいらっしゃるのに日本の政治家はほんとに何をしてるのかと怒りが立ち込めました。是非この桑折さんの映像をもっと多くのメディアに取り上げて頂き、もっと福島に援助して頂きたいです!!他国を援助するるのもいいことですがまずは日本国民を助けるのが一番だと思います。

投稿:まい 2015年06月06日(土曜日) 23時45分